第9話 持つ者と持たざる者と

 様々な魔法陣の術式が載っている図鑑のページを捲る手が止まらない。アンネの目に飛び込んでくるのは綺麗な紋様の魔法陣の数々だ。オズワルト曰く、この紋様に意味は特にないらしい。ただ、魔法の効果をイメージする時に見分けがつくように分けているだけなんだそう。カウンターの効果がある術式を習得するために魔法陣の図鑑を読み始めたのだが、こんなに綺麗なものを見てしまうとせっかくだから自分も凝った紋様の魔法陣を編みたくなってしまう。


「わぁ、これなんて蝶みたい。」


「試合まであと一週間だけど、ものに出来るの、それ。」


図書館の隅の席で同じく術式の図鑑を読んでいたネロに水を差されて、アンネは唇を尖らせた。


「モチベーションにはつながるもん。」


難しい紋様にすればするほど、覚えるのが難しくなりイメージもぼんやりとする。イメージがぼんやりすれば、魔法の強度も著しく下がり、最悪なんの効果も果たさないものになってしまう。わかってはいるけどでもやっぱり綺麗なやつがいい!


そんな文句を言いたげなアンネの様子を見て、ネロは仕方ないなというように笑って言う。


「まぁモチベは大事。」


「でしょ。」


魔法陣の描かれた本を机の上に開いたまま、隣に未だ一ページ目も真っ白なノートを広げた。その上にシャープペンでアンネの自由な発想を走らせる。何枚も何枚も、顔を突き合わせて二人は紋様を考えた。



 授業が終わった後に、カウンター魔法のための魔法陣を考えることを繰り返して三日が経った。ようやく頭の中では具体的な紋様がはっきりと思い浮かぶようになってきたが、それを実際に術式として確立出来るかと言われると難しい。講堂の机の上にオズワルトが腰かけてアンネとネロを待ち構えていた。


「お行儀悪いですよ。」


机の上に座るなんて、とアンネが眉をひそめるとそれには何も答えず、オズワルドは首を傾けて微笑んだ。


「それで、僕が出した課題は済んだのかな?」


「三日で術式生み出せたら初めから先輩のこと頼ってません。」


「言っておくけど、術式は習得するより使いこなせるようにするまでの方が時間かかるよ。」


言外に、習得に三日も費やしているのなら一週間以内に使いこなせるようになるのは厳しいと言われて閉口してしまう。学年主席と戦って勝とうだなんていう最初の目標から不可能に近いのだから改めて言われなくてもわかっていると反抗期の子供のようなことを言いたくなる。


「まぁ実戦を積む方が早いし、復習と行きますか。」


オズワルトはそう言って机から立ち上がると、先日目にしたばかりの布人形を出現させた。今度は無様に捕まったりしない。アンネは心の中で自分を鼓舞して、頭の中に紋様を描く。三日間、考え続けてやっとまとまった魔法陣を。その紋様は丸い縁の外側がレースで象られた鏡のような形をしている。カウンター魔法、つまり攻撃を撥ね返す術式だ。そう考えた時に、鏡が一番ふさわしい形だとアンネは思った。現実へ、その紋様を映すために、集中する。そして、アンネが無防備に術式の展開に集中することが出来ているのはネロが布人形の動きをとどめてくれているからだった。


アンネが魔法陣の紋様を練っていた時間、ネロは白い腕の術式の精度を上げてきた。見た目こそ、気持ちが悪いこの術式はとても便利だった。人間の腕が出来ることは何でも出来て尚且つ人間の腕より遥かに力が強く、素早く動く。制御さえ覚えれば出来ることがたくさんある。


額に汗をにじませたネロと目が合う。


「あと五秒!」


早くして、と目で訴えられてアンネは脳裏に浮かべていた紋章を空中へと映し出す。ネロの術式の効果が切れて、白い腕は霞となって消え失せる。自由になった布人形は一直線にアンネの方へ向かってくる。


親愛Dearなるmymirror。」


アンネの口から紡がれたのはここ三日間、考え続けた自分のオリジナルの術式の名前。なんてたって、形から入るタイプなのだ。水銀色に輝く光は、今にも消えてしまいそうなほどか細い。けれど、鏡を模したその紋様はしっかりとその役目を果たした。


布人形は鏡の紋様を突き抜けて、アンネに手を伸ばそうとした。しかし、その腕は紋様に触れると、押し返されたようだった。そのまま、突き抜けようとする力と弾き返す力がちょうどよく合わさって、ぴたりと静止してしまう。


「すごい、思った通りになった。」


ぱぁっと顔を輝かせたアンネに、オズワルトはそりゃあ君がそう望んだからねそうなるに決まっているよ、と笑って言った。


「だって、君がこうなったらいいなって思ってかけた魔法なんだからさ。」


『あんなこと出来たらいいのにな、魔法が使えたら簡単に出来ちゃうのに。』


絵空事を思い描いて、物語の中の魔法使いに憧れていた幼い時を思い返す。さっきまで、物語の中の魔法使いと現実のウィザードは違うものだと思っていた。けれど、遠いからそう見えないだけでウィザードの延長線に魔法使いがあるのだとそんな実感が湧いた。私は、魔法使いだ。


拍手の音が響いて、オズワルトが座り直していた机から降りて歩み寄ってくる。


「おめでとう、これで練度を高めれば防御面は問題ないんじゃないかな。」


アンネの完成させたカウンター魔法の術式、「親愛Dearなるmymirror」は相手が放った魔法を反対方向に弾き返す。強く当たればそれだけ強く、そっと触れればそのまま弱く。さっきの布人形の攻撃をそのまま弾き返して吹っ飛ばすことが出来なかったのはアンネの術式に触れた後も尚、布人形が吹っ飛ばされる力以上の力をもってアンネに襲い掛かろうとしていたからだ。そうして、そんな力を人形に維持させることが出来るのはオズワルトだからだ。並の魔法使いならば、反動で布人形は向こうの壁に衝突していたかもしれない。


「まぁでも、詠唱には改善点が山ほどありそうだ。ネロがいなかったら術式、間に合ってないよね。」


オズワルトに言われてアンネは頷く。ネロが布人形の動きを止めてくれていなかったら、アンネは詠唱をすることが出来ないまま捕まっていただろう。演習試合はチーム戦ではない。一対一の個人戦だ。


「五秒で出来るようになろう。」


「ご、五秒!?」


先ほど三十秒近くかかってたものを、あと一週間ほどで五秒で出来るようになれと言うのは無理難題がすぎるのではないだろうか。縋るような目でネロを見ると、一緒に頑張ろう、と生温い同情の瞳をもって励まされた。



 大講堂の前を通ると、オズワルトの声がしてメイは扉を押し開いた。


「オズワルト先輩!」


声をかけようとしたところで他にアンネとネロという先客がいることを見てとると、慌てて扉を閉める。


「お邪魔しました。」


やっぱり、優秀な人には優秀な人が集まるのだろうか。メイは学校の首席に構ってもらえるアンネたちを羨ましく思う。居残りに残されているような私が自分から関われることなんて望んではいけないとはわかっているけらど、どうしてもずるいと感じてしまう。


「あ、メイじゃん。居残り終わったんだ。」


白い柱の立ち並ぶ廊下を歩いていると、友人の一人に声をかけられる。


「うん、やっとこさね。」


「マリーちゃんは?」


「まだやってる。」


「あの子やばくない?だってまだここに来てから一回も魔法使えてないんでしょ。」


1トーン上がった声で話す友人の瞳には喜色が差している。


「入学式の時もさぁ、ナイフが怖いとか言って大騒ぎしたじゃん。なんていうか、お騒がせっ子って感じだよね。」


「まぁでも、なんか下が居てくれると安心感はあるね。」


その場の流れに乗って言葉を紡ぐ。心臓がつきりと痛む。


「うわ、結構言うねメイ。」


「結構なんにでも言えることだと思うなぁ。」


事実、今だって自分よりも汚い感情を持っている人がいるから罪悪感から自分を守っていられる。自分は流れに身を任せているだけでこれは私の本心ではないと言い聞かせる。服もコスメも、有名人のおすすめを選んで、友人たちの好きなドラマを見て音楽を聴く。そうやって作られた自分はまるで他人の継ぎ接ぎで作られた人形のようだと思った。


「そういえば夜に女子会するけど、メイも来ない?」


「あぁ……、今日の夜はちゃんと寝たいかなぁ。昨日の夜ちょっと夜更かししちゃったから。」


「あら残念。わかった、また今度ね。」


友人に手を振って自室に戻ったメイはわずかに微笑した。さっき、嘘をついた。昨日は夜更かしなんてしていないし、今日だって早く寝たりなんかしない。机の鍵のかかった引き出しの中から、白い封筒を取り出して、中の便箋を広げる。


『招待状、現状に不満を抱く者へ

実力の無い者が切り捨てられる今の学校運営は間違っている。よって、会合を行う。意を同じくする者を、 で深夜二時に待っている。』


私は選ばれたのだ。そう思うと、メイは口角がすっと上がるのを自覚した。

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