第8話 対戦相手

 思ったよりも淡々と、魔法学校の生活は過ぎていく。対人関係も、魔法の習得も、あまりにもすべてが上手くいっている。こうも順調だと怖いくらいだ。鏡に向かって、髪を梳きながらアンネは物思いに耽っていた。時刻は朝の七時。もうすぐ、朝が来たことを知らせる教会の鐘が鳴る。


「幻影術系の魔法習得するといいらしいよ。割と重宝されるらしい。」


ベットの上に足を投げ出して、やすりで手の爪の形を整えながらメイが言う。


「重宝って誰に?」


「魔法警察だよ。軍より絶対良い就職先だから。」


就職。考えてみたこともなかった。いつも私は目の前の事に一生懸命で、今後のことなんて考える余裕がない。魔法学校は学校で、つまり、この先の未来のために学ぶ場所だ。メイはそれを最初から、わかって学校生活を送っていたんだ。魔法という非現実な事象に触れても浮かれてしまわなかったことがアンネは素直にすごいと感じた。


「将来のこととかちゃんと考えててすごいね。」


今まで適当に流していたメイの噂話ももっとちゃんと聞いておけば良かったのかもしれない。彼女なりによく考えて集めた情報かもしれなかったのに少しもったいないことをしたかもしれない。


「いやいや。むしろそういうの気にしないでいられるアンネの方がすごいよ。」


メイから褒められているのか貶されているのかわからない返事をもらって苦笑を溢す。


「万全な準備してないと不安になっちゃうから。」


心配性なだけなんだ、そう言って笑うメイに、それでもすごいよと返そうとして口を開いた時、教会の鐘が鳴った。


「そういえば、アンネ。今日って演習試合の対戦相手の発表の日じゃなかったっけ?」


「あっほんとだ。」


二人は顔を見合わせて、鞄を持って気になる対戦相手の名前を見に行こうと、ドタバタと部屋を飛び出した。


トーナメント表が大きく張り出された礼拝堂の前にアンネが辿り着いた時には、既にたくさんの生徒たちが集い、アンネたちがトーナメント表に近づくのを邪魔していた。


「見えないね……。」


メイが呟く。見えるのは生徒の頭ばかり。人が密集しすぎていて、前に進むのも難しそうだ。


「人少なくなるまで待ってから行こう。」


しばらくして、段々と人が散っていって、アンネたちは文字が読めるくらいの距離には近づくことが出来た。羅列されている黒い文字のどこに自分の名前があるか、アンネは目を凝らして表を見つめる。


「これどうやって探すんだ……。」


「一応上から一年生、二年生ってなってるみたいだけど、」


メイはそこまで言って、言葉を途切る。小さく呼吸をして驚いたように言った。


「アンネの見つけた。」


「え、どこどこ?」


「一枚目の下から三番目。」


淡々とした言葉の上には、抑えきれない興奮が溢れている。その声色を不思議に思いながら、アンネは言われたところを見て言葉を失った。


「アンネ・ストラディカ」の一回戦の対戦相手に書かれていた名前は「ルイス・レイアーズ」。


「いやいやいや、……え?」


ルイス・レイアーズ、一年生の中で主席候補だと囁かれている生徒だ。最近授業で出された課題をいの一番にクリアしていたところをアンネも見ている。そんな優秀なウィザードとして完成された人が、私の一回戦目の対戦相手だなんて。あまりにもくじ運が悪すぎる。


「えっとその、負けても恥ずかしくない相手だから逆に良かったのかもしれないし?」


メイは一生懸命言葉を選んでなぐさめてくれようとしているが、アンネは残念ながら生粋の負けず嫌いだった。戦う前から勝てないと諦めたくはなかったし、少なくとも歯もたたないような惨めな敗北だけはしたくないと思ってしまった。


「頑張るしかないか……。」


「本気!?」


重々しく呟いたアンネにメイは目を丸くした。現実主義の彼女には、格上の相手に対抗心を持つことが理解できなかったらしい。アンネは「ルイス・レイアーズ」の文字をもう一度、振り返って言った。


「ここで頑張らなかったら、なし崩し的に全部だめになりそうだから。」


 

 コンコンコン、とノックを三回。重い木製の扉に手の甲を打ち付ける。


「ルイスです。」


そう告げて、青い髪を下ろした少女ルイス・レイアーズは扉を開けた。部屋に入って目に入ってくるのは重厚な机と椅子。右の壁にはガラス棚があり、中には所狭しと何に使うかわからない液体が入った瓶が並んでいる。


「君のお父さんから伝言を預かっていてね。」


肘掛け椅子に深く腰を掛けて微笑んでそう言うのはソフィア校長だ。


「『演習試合で必ず準決勝まで行くように。』だそうだ。」


「わかりました、とお伝えください。それだけですか。」


「ええ、それだけ。」


はぁ、と溜息をついてから、ありがとうございますとルイスは言った。たったこれだけのことを伝えるために校長に電話をするなんて。お父様はよっぽど暇なのだろうか。


ルイスの家、レイアーズは伝統ある名家であり、今のエクストリアの魔法教育の仕組みを整えた家の一つだ。国の政治にも口を挟めるほどの権力を持っている。私は、首席を取らなければならない。寮長にならなければならない。そうすれば、お父様も女であっても、立派に当主の務めが果たせることを認めざるを得ないはずだ。学校に入ってから内緒で伸ばしている髪に指を通す。一人娘のルイスはずっと男として育てられてきた。名前も着るものも、男のもの。そもそも、男として育てれば女でもなんとかなるはずだ、という考え方が馬鹿らしい話だ。まずは演習試合に勝って、女でもなんら男と変わらない能力を持っていることを証明してみせる。廊下を行けば、ステンドグラスの窓から朝の光が差し込んで床に模様を映している。目を細めながら、ルイスは朝の勉強をするために、図書室へと足を向けた。



「で、僕に訓練を付けて欲しいというわけかい?」


「そうです、話が早くて助かります。」


食堂の隅の席で、固まって座っているのはアンネ、ネロ、オズワルドの三人。共に朝食を摂りながら語らっていると、話題は必然的に今日発表された演習試合の組み合わせの話になった。アンネが初戦の相手がルイスさんだったという話をしてから、オズワルトに頼み事があると言い出したところで冒頭の会話に戻る。


「え、いいな。僕もお願いします。」


「アンネもネロも気軽に言うけどさぁ、僕だって忙しいんだよ?」


口ではそう言っているオズワルトだが、その口元は綻んでいてまんざらでもないように見える。


「暇な時で大丈夫なので!」


もう一押しとばかりにアンネが言うと、オズワルトはスプーンですくったコーンフレークを口に入れた後頷いた。


「じゃあ、授業終わりとかに教えようか。」



誰もいなくなった授業後の大講堂。その中をアンネとネロは走り回っていた。


「ちょっとちょっと逃げ回ってるだけじゃなにも練習にならないよ?」


アンネとネロの後ろを追いかけまわしているのはオズワルトが操る等身大の二体の布の人形だ。授業の時に見かけたルイスの術式が鎧の騎士だったのでそれに近いもので練習したいと言ってみたはいいものの、すぐ対応出来てしまうのがオズワルトの主席たる所以なのだろう。


「だって、怖すぎて魔法使う余裕なんてないです……。」


人形が動くというだけで怖いというのに、それが等身大になって追い掛けてくるのだ。大の大人でも夜眠れなくなること間違いなしだ。しかも、聞くところによるといつもは呪術用に使っている人形らしい。オズワルトが調整しているのか、人形たちの走る速度はそこまで早くはないが、次第に二人の息が切れてくる。人形の白い手がアンネの肩に触れそうになり、アンネが引き攣った悲鳴をあげたその時、人形の動きが止まった。どうしてだろうと見て見ると、地面から白い腕が生えて人形の足をがっちりと掴んでいた。等身大の人形と、地面から生える白い腕。一体どっちがより怖いだろう、と一瞬思考を止めたくなる。そんな不気味な腕を出した張本人のネロは、汗を流して叫ぶ。


「今のうちに倒して!」


「えぇ、私攻撃魔法なんて覚えてないよ。」


授業でちゃんと練習しているのはまだ防御魔法くらいで、この状況でアンネが人形にかけられる魔法なんてなにもない。そう思いながら、ちらりとオズワルトの顔を見れば彼は笑いながら言った。


「魔法の戦闘には臨機応変に対応する力が大切だよ。」


重ねるようにして、ネロが情けない声を上げる。


「アンネ、もう僕は限界……。」


人形の足を掴んでいる腕がぷるぷると震えているのが見て取れた。アンネはまとまらない頭でなんとかイメージを創り出そうとする。ネロの出した地面から生えた腕が、人形から手を離す。アンネは自分の傍から人形が離れて欲しい一心で、吹き飛ばされて向かいの壁に激突する様を想像して強く念じる。一瞬の後、風が吹く。しかし、人形はぺたんと床に倒れただけですぐに起き上がって追い掛けてくる。


「うわぁ、これ無理だって!」


「無理だと思うから出来ないんだよ!」


「ネロだって動き止めてただけじゃん!」


「‘‘だけ’’じゃないよ!アンネもやってみればいいじゃん、大変なんだからね。」


ぎゃあぎゃあと言い合いながら逃げる私たちをオズワルトはただ笑って見ているだけだ。魔法を教えてくれと頼んだのに見ているだけだなんて、アンネはなんだか騙されたような気分になる。


「オズワルト先輩!まだ即座に対応した魔法を使うのは私たちには無理です!」


「無理って思うから無理なんじゃないのー?」


「じゃあ、無理じゃないって思わせるようなこと言ってください。」


「それもそうだね。」


オズワルトは顎に手をあてて考え込む仕草をする。


「アンネは防御魔法と攻撃魔法を同時に扱うのはまだ難しそうだから、カウンターの術式を覚えたらいいんじゃないかな?」


「カウンター?」


「アンネ、危ない!」


オズワルトの方を向いていたアンネは迫りくる人形に気付いていなかった。人形の腕がアンネの脇を掴む。そのまま、人形はそこをくすぐり始める。


「あははははっふふっあはったす、ひゃはははは」


身をよじって悶えるアンネをネロはなんだくすぐられるだけかと笑えばいいのか、くすぐりも十分拷問になり得ると深刻に捉えればいいのかわからなくなって複雑な心情になる。


「ネロ!あはっひゅはははっ」


「あ、えっとオズワルト先輩止めてあげてください。」


「え~もうちょっと見てたくない?」


「さすがに呼吸が出来なくなったら可哀想なので。」


オズワルトがパチンと指を鳴らすと、布人形はくたりと地面に倒れて動かなくなった。


「かっこいい!」


息を整えてからのアンネの第一声。


「指パチンで止まるように術式を組んでるんですか?」


「ううん、ただの演出。」


「じゃあ私にも出来ますね!」


目を輝かせるアンネと満足げに笑うオズワルト。アンネってオズワルト先輩のこと変な人だって言ってたけど、意外と似た者同士なんじゃないか、とネロは思った。

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