第7話 青い春はかくも美しき
圧倒された。寮長同士の熾烈な戦いに。私はまだ魔法を使うだけでも一苦労しているぐらいなのに相手の攻撃を弾いたり、防御にまで手が回せるようになるとは思えないと、アンネは一か月後に迫った演習試合が怖くなった。
「演習試合は寮対抗で行われます。」
ホワイトボードに青文字で試合形式を箇条書きしながら、レイモンド寮担任エリー・フォルテが説明する。
「演習試合は寮対抗のトーナメント戦で行います。勝ち残った試合数によってポイントを与え、積み上げたポイントが一番高い寮を優勝とします。二週間前にくじを引いて対戦相手を決めます。」
呆けた顔をして立っている生徒たちをエリーはざっと見渡す。その品定めするかのような瞳に、アンネは思わず目を伏せる。
「ルールはさっきも言った通り、戦闘不能状態、または相手が降伏の意思を示した際に勝敗が喫する。攻撃は軽傷に済むように抑えること。また、場外へ出てしまった場合も失格とする。」
最後の一文を口にするエリーの視線は先ほど見本試合で仲良く失格となった二人に注がれている。舌を出して笑う悪びれないオズワルトと、バツが悪そうにそっぽを向いたスーザン。正反対な二人の態度に、エリーは苦笑をもらす。
「では生徒諸君、特に一年生は一か月後のこの日まで訓練を怠ることないようにしておくこと。解散!」
ぞろぞろと、後ろの大きな扉から出ていくのを眺めながら、アンネはぼんやりと立ち尽くしていた。一か月で自分がさっき見たような試合が出来るようになるとはとても思えなかった。もちろん私たちはまだ一年生だし、さっきの二人は寮長でこの学校でトップクラスの実力の持ち主なのだからあそこまでのレベルを要求されているわけではないだろう。しかし、アンネの負けず嫌いな性格がそれを許さない。相手の攻撃から身を守ることも出来ずに数秒で敗北するような事態は、どんな猛者相手でも避けたい。
「アンネ、戻らないの?」
気づけば、ネロの黒目がちな目がこっちを覗き込んでいる。
「あ、うん戻るよ。」
足早に歩き出そうとして、ふと後ろを振り返ればオズワルトとスーザン、それに寮長の印である星のバッチを付けた男がなにやら話し込んでいるのが見えた。
「アンネ?」
「行こう。」
ネロの声に慌てて、アンネは扉を押し開けた。その扉は重さは感じた重圧に呼応しているようだった。
それから、授業は厳しさを増した。今までは様子見といった感じで、アドバイスはするものの、各々の自主性に任せるような授業だったのがほとんど全員に同じ課題が出されるようになり、合格した者から授業を上がれるような形式に変わっていった。説明会から二日経った今日は、防御魔術の授業だった。向かい合って二人一組になり、片一方が軽い模造剣を投げる。それをもう一方が指一本動かさず、魔法で撃ち落としてみせれば合格、という訓練だ。
「じゃあ投げるよ。」
「うん。」
少し離れた位置に立ったネロがアンネに向かって模造剣を投げる。風を想像した。初めて魔法を使った時に吹いたあの、一陣の風。あの風を吹かせることが出来れば……。風が吹く。魔法因子摘発検査の時よりは控え目だが、アンネの魔法でちゃんと風が吹いた。しかし─────。ネロが投げたプラスチックの模造剣は音もたてずにアンネの右足に当たった。
「あぁぁ、駄目だぁ!風が吹いても全然軌道が逸れてくれない!」
思わず、頭を抱えてその場にうずくまる。ネロは床に落ちた剣を拾いながら、苦笑をもらす。
「いくら強い風を吹かせても、この小さいレプリカの剣の上側から風が当たらないと意味ないからね。魔法をコントロールするのって難しい。」
そうだ。風を吹かすことが目的なのではなく、飛んでくる剣を撃ち落とすのが目的なのだ。なら、別に強い風は必要ない。必要最低限の風でも、当てる角度を調整すれば剣を落とすことは出来る。
「待って、これ。今まで私の手から風が吹くようなイメージでやってたんだけどもしかして剣の周りから風吹かせた方が賢い?」
「もしかしなくてもそうでしょ。」
ばっさりと斬り捨ててくるネロに思わず笑ってしまう。人間、勢いよく否定されると笑いがこみ上げてきてしまうものらしい。
「まぁでも、そっちの方が難しいと思うよ。」
だよねとアンネが頷こうとした時、ちょっと待った、とエリー先生が会話に割って入ってくる。
「難しいとか、魔法にネガティブな言葉は厳禁!」
「え、」
エリー先生は困惑するアンネをよそにパンパン、と手を叩いて生徒たちを注目させて言った。
「いい、皆!魔法には想像力が大切だという話は口酸っぱく言ってきたよね。そして言葉はイメージに大きな影響を与える。簡単だと思えば、イメージしやすいし、難しいと思ったら、その魔法が使えるところもまた想像しにくくなる。だから気軽に難しそうだとかいう言葉は口に出してはいけない。自分がそう思ったとしても、相手にとっては簡単にイメージ出来ているかもしれない。そこに難しそうだと口に出してしまえば、相手もそうかもしれないと思ってしまって上手くイメージ出来なくなってしまうことが起こり得る。よって、魔法の練習の際にはネガティブな言葉は使ってはいけない。皆、わかってくれたかな?」
エリー先生はそう言って、ネロの瞳に目を合わせる。ネロははい、と素直に頷いてアンネに両手を合わせてごめん、と謝ってくる。アンネは手を振って気にしていないことを示した。
昔、小学校の時の担任の先生が暴言を吐いた男子生徒に言葉には魔法がこもるから気を付けなさいと言っていたのをアンネは思い出した。まさか本当のことだとは思わなかった。誰でも少しは魔力を持っていて、そして言葉に魔法がこもるのなら、「鏡の自分に向かって可愛いと言い続けると本当に可愛くなってくる」という迷信だって本当のことなのかもしれない。
「もう一回投げて。」
「うん、じゃあいくよ。」
もう一度、今度はネロが言ってくれたように、剣の上面に風が当たるように意識して、風を起こす位置を剣の周りに変えてアンネは想像する。出来るだけ、簡単に自分が成功する様子を想像しよう。想像することなら得意なはずだ。夢みたいな話に説得力を持たせることだってやってきたのだから、これくらい造作もないはずだ。
風が吹く。さっき吹いた自由気ままな突風と違って、今度の風はアンネの意思が明確に投影された風だ。投げられた剣は風に撫でるように絡めとられて、アンネに届く前に床に落下する。
「出来た……。」
「すごい。」
力が抜けて座り込んだアンネにネロが嬉しそうに駆け寄ってくる。
「どうやってやったの?」
「どうやってって……成功するところを想像しただけ。」
「そうかぁ、僕に出来るかなぁ。」
言ってしまってからネロはしまったというように口を押さえる。笑いながら、アンネはネロに向かって指を指した。
「ネガティブな言葉禁止!」
「次はネロの番ね。」
アンネはそう言って、床に落ちたままの模造剣を拾い上げる。
「上手く投げれるかわからないけど。」
「練習いる?」
「いや流石に投げる方の練習はいらないかな。出来なかったらその時考える。」
「了解。」
剣を投げた。心配してたより上手く投げることが出来て、剣はしっかりネロの胸へと飛んでいく。胸に当たる直前、白い腕が飛び出してきて次の瞬間べちゃっと音がする。
「うわぁ……。」
思わずアンネは顔を逸らした。白い腕は剣を掴み損ねていたが、剣からネロの体を防ぐ役割はきちんと果たしていた。剣の切っ先に潰されることによって。白い腕に散った赤色。そうしてすぐに消滅した。
「もっとグロくない感じの魔法にしない?味方の精神に大ダメージだよ。」
目にやって見えないようにしていた腕を下げて、アンネは言う。
「僕もそうしたいんだけど、上手くいかなくて……」
「大理石とかの腕にしよう。私、投げるたびに人間の腕が潰れるの見たくないんだよね。」
「善処します。」
にこっと笑うネロの顔を見て、あまり期待しないでいた方が良さそうだなとアンネは思った。じきに慣れるんだろうか。血濡れた腕に慣れてしまったらそれはそれで問題ではあるのだが。なにはともあれ、今は居残り練習をまぬがれたことを喜ぼう。
「そういえばネロは、秘密の会合って知ってる?」
「なにそれ、本の題名?」
「いや、なんか私も友達からそうやって聞かれたんだよね。なんなのかなって思ってて。」
どこか影の差した表情で聞いてきたメイのことを思い浮かべる。「秘密の会合」とは一体どんな会合なのだろう。もし、この学校のどこかで会合が行われているとしたら……、アンネの好奇心が搔き立てられる話だった。
「僕は知らないな。」
「そっか。」
もう一度だけ、メイに聞いてみよう。水面下で密かに何かの会合が交わされているのに、自分は何も知らず事が済んでしまってから知るだなんていう傍観者にはなりたくない。たとえそれが暗雲を引き寄せることになっても。
チャイムが鳴った。全員が揃って先生に挨拶をした後、生徒たちは散り散りに教室を出ていく。アンネは背伸びをして肩をほぐしながらネロを振り返った。
「帰る?」
「んー、調べたいことがあるからちょっと図書館よってく。」
「わかった、じゃあまた明日。」
「うん、バイバイ。」
ネロと別れてレイモンド寮へと向かうため、廊下を歩いていると前からスーザンが歩いてきた。明るく声をかけようとしてから、アンネははっとして口をつぐんだ。
「なぁにその顔。気を使わなくていいのよ。」
呆れたように少し笑いながらスーザンは言った。
「負けちゃった。」
そう呟いたスーザンの顔は妙に晴れやかでアンネは戸惑う。
「ちょっと中庭で話さない?」
初夏の風が中庭の木陰の間を通り抜ける。茂みに咲き誇る小さな白い小花が風に揺れている。
「オズに勝てるなんて最初から思ってなかった。」
木の葉によって陰になったスーザンの表情はアンネからは見えない。ただ、凛とした声がはっきりと届いた。
「でもね、勝たなくちゃとは思ってたの。だってあいつはどんどん魔法使いの高みへと登っていく。オズはきっとすごいウィザードになる。それはいいの。でも、それと同時に強い力は恐ろしい。今後、あいつを良く思わない人もきっと出てくるでしょう。行き過ぎた人はきっとオズに潰される。私は怖いの、オズを止められる人が誰もいなくなるんじゃないかって。だって、そういう時に止めてあげられる人が友達でしょ?私はオズの友達でいたい。」
なんでこんな大事な話を、先輩は私に話してくれたんだろう。アンネはそれがわからなくて、冷たいコンクリートの地面を見つめた。
「でも最近思うの、私じゃ駄目なのかなって。」
「え、寮長でもですか?」
「うん。」
スーザンの空色の凪いだ瞳は宙を見つめる。
「知らないの?私、寮長の中では落ちこぼれだから。今年のレイモンド寮三年は不作の年って言われてる。」
「初めて知りました。」
寮のトップである寮長になれた時点で、誇っていいことなのではないかとアンネは思ったが、スーザンの憂い気な顔を前にして口にすることは出来なくて、ただなんの慰めにもならない言葉をかける。
「だから、」
ポン、と肩に手を置かれる。
「アンネたちには期待してる。レイモンド寮の名誉挽回よろしく。」
「いや、私たちに丸投げしないでくださいよ。」
唇を尖らせてアンネが不満を表しても、スーザンは上滑りする声で笑うだけだった。
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