演習試合編
第6話 日陰の壁に育つ蔓
全校生徒が一心に見つめるところに、向き合って立っているのはスーザンとオズワルトだ。長い槍を右の肩に
「試合開始!」
ソフィア校長の
「ウィアメイゼル寮って、医療系の魔法使うのかなって思ってたんだけど。」
アンネはちょうど隣にいたメイに声を潜めて聞く。
「確かに薬学系の魔法使う人が多いけど、オズワルトさんは呪術の方が本領の人らしいよ。勿論、寮長だし薬学系の魔法の方も出来るんだろうけど。」
「呪術……。」
物騒だな、と感じてからアンネはそもそも自分たちは戦争のために魔法を習っていることを思い出す。
オズワルトが引いた黒い布は、黒い布に見えただけで実際には白い布だった。布から黒い
「スージー苦しい?」
「ヘラヘラ笑いやがって。大分ため込んできたようね、そんな悪意の塊みたいなものの中にいてよく平気でいられるわ。」
笑顔で首を傾げるオズワルトに立ち上がりながらスーザンは悪態をつく。黒い
「スージーと違って慣れてるんだよ。」
「それも、腹が立つ。こんなのに慣れてどうするのよ。」
苦々しい顔をするスーザンにオズワルトは困惑したように笑う。なんにもわかっていなさそうなその顔を見て、スーザンは一年の冬、男子トイレの入り口に座り込んで動けなくなっている彼を見つけた日へ、思いを馳せた。
仲良くなったウィアメイゼル寮の友人を訪ねるためにスーザンが北校舎の日当たりの悪い廊下を歩いていた時のことだった。人が落ちていた。ただ蹲っていただけなのだが、落ちていたという表現が適切なほどにその人物はボロボロだったのだ。学校の制服である緑のローブは埃と水に濡れてドロドロに汚れ、伸びきった髪はぼさぼさに乱れている。肌が見えている部分はところどころ痣があり、見るに堪えない。足音に気づいて、その少年は地面に座り込んだまま顔を上げる。青紫の前髪から、緑色の瞳が覗いた。
「どうしたの?」
キョトンとした顔で尋ねられて、スーザンは瞳を瞬いた。
「どうしたのはこっちの台詞なんだけど。」
「あぁ、邪魔だった?」
頓珍漢な答えしか返さない少年に面倒くさくなって無言で手を差し出した。
「……ありがとう。」
理解出来ないものを見た、という顔をして少年はおずおずとスーザンの手を取って立ち上がる。
「殴られたの?」
「いや、まぁ殴られたのはそうなんだけど呪いを集めてたんだ。」
「呪い?」
「うん、僕の専門魔法は呪術だから。」
薬学魔法に隠れてあまりイメージがない、ウィアメイゼル寮が同じく得意としている呪術。名前は知っていても、どういう魔法なのかは全く知らなかった。オズワルトはポケットからくしゃくしゃになった手のひらサイズほどの布切れを取り出した。丸まっていたそれを開くと、中からはうにょうにょと動く黒い塊が飛び出してくる。
「うわっ。」
虫が飛んできた時に出る声を上げて、スーザンは咄嗟に飛びのく。
「あっおとなしくさせるの忘れてた!」
少年が空中を漂う黒い塊に手を
「ごめんごめん。」
黒い塊を綺麗に包みなおしながら少年は謝ってくる。
「今のが呪い?」
「ん~、呪いじゃなくて呪術。僕が魔法で形作ってるだけで呪いは本来目に見えるものじゃないからね。」
それにしたって、さっきから頬の痛そうな赤い痣が気になって仕方がない。スーザンの視線が気になったのか、オズワルトは痣に手をやって首を傾げる。
「そんなに気になる?」
「うん、とても痛そう。」
「別に直そうと思ったら直せるもの。」
面倒くさいといった顔をして指先を痣に翳すと、すぅっと痣が消えていく。
「すぐ直すより、痛みを感じていた方が呪いは育ちやすいから。」
「なにそれ、じゃあ殴られたのもわざとってこと?」
とんだ被虐趣味もいたものだ、と
「うーん、半分あってて半分違う。」
「どういうこと。」
さっきから曖昧な話ばかりで、いらだちが募る。
「そもそも、君ってここ来てから魔法使えるようになった人?」
「いや、階段の一段上から落ちそうになった時に使えるようになった。」
「なら話が早いや。僕が魔法を使えるようになったのっていじめがきっかけなんだよね。」
魔法学校には二パターンの魔法使いがいる。一つ目が魔法因子摘発検査によって才能を見出された者。そして二つ目が魔検以前から魔法が使えた者だ。後者は50人に一人くらいの割合で、学年に多くても五人ほどしかいない。そして、多くの人が命の危険に際した時に魔法が使えるようになっている。この法則から考えると、彼は命の危機を感じるほどのいじめを受けたことがあるということになる。
そんな個人的な重たい事情を通りすがっただけの人間に普通話すのか、と彼の神経を疑いたくなる。
「いつか復讐してやる、と思って毎日いじめを耐えてた僕はその実なんの手段も持ってなかったんだよ。」
語る彼の瞳はがらんどう。ビー玉のように何も映っていない。
「ある日、奴らはやりすぎた。器官に水が入って窒息死しかけてさ、僕は死んでもいいやって思ってたはずなのに、本当に死にかけた途端、死にたくないって思ったんだ。自殺する人とかもそんな感じなんじゃないかな。包丁で自分の腹刺した瞬間に死にたくないって思ったりして。まぁその場合、遅すぎるんだけど。」
そう呟いた彼は、ふと瞳に光を取り戻し笑顔で言った。
「だから、奴らには結構感謝してるんだ。だって、何にもなかった僕に魔法という才能を与えてくれたんだから!」
放っておけば、おお神よとでも叫び始めそうな狂信者のような陶酔した顔をして彼は笑っている。ぞっとした。彼は本気で言っているのだ。いじめてくれたから、魔法の才能が手に入った。それはとてもいいことだったと。
「呪いは人の悪感情から生まれる。いじめなんかは呪いを集めるのに最適なんだ。だからさっきも殴られたけどちょうどいいやラッキーと思って。」
ぞっとする。悲惨な目に遭ってきたから心が麻痺してしまったのか、それとも元々こういう性格なのかはわからないが、明日の献立を考えるような軽い調子の声音に背筋が寒くなる。だが、湧き上がるのは恐怖だけではなかった。何故、美しいと思ってしまったのだろう。彼の影の差した空虚な笑み。そんな不健全な美にスーザンは囚われてしまった。
襲い掛かってくる呪いの黒い影を躱しながら、足場になる階段を作り続ける。考え続けろ、想像し続けろ。私の槍があいつの喉元に突き付けられるところを。
魔法には三段階の準備があると授業で教わった。最初に自分にあった術式の構築。二つ目が、その術式を編み込んだ魔法道具を作ったり、オズワルトでいう呪いを集めたりする工程。そして三つ目が魔法を行使する今のこの瞬間だ。魔法はいつまでも完成しない。たった今、思い浮かんだ魔法を使うことだって出来る。むしろ、戦闘において事前に準備できる部分は少なくて、後はその時の瞬発力頼りになる。いくら、オズワルトが入念に呪いを集めてきたって咄嗟の対応力がなければ意味がないのだ。けれどもスーザンは去年、オズワルトに負けていた。周到な準備をするオズワルトは瞬発的な魔法にも優れていた。
瞬時に創り出した白い階段を駆け上がりながら、スーザンは槍に風魔法をかける。今までもはやてのごとく繰り出されていた攻撃は、速度を増した。びゅん、と空気が音を立てて槍はオズワルトへと突き出される。その重い一撃、一撃をオズワルトは黒い影の手によって受け止める。スーザンも、まさか一度で当たるとは思っていない。一度目で当たらないのなら二度目、三度目。当たるまで振るい続ける。さっきまで立っていたところを風圧をまとった槍に刺されて、オズワルトはひゅうっと口笛を吹く。
「危ない危ない。」
余裕そうな表情とは裏腹にその額を汗が滑り落ちる。
「スージーだけ空中にいるのずるくない?」
「オズにその必要がないだけでしょ。」
呪いの渦巻く布を敷いた床に平然と立っていられるオズワルトがおかしいだけだ。彼はそうとは考えなかったらしく、仰々しく指を鳴らすと宙に浮かんだ。
「えっ。」
スーザンは思わず声を上げる。オズワルトが浮かぶところは初めて見た。
「初めてやった。」
年に一度の見本試合で初めてやる魔法を試すなと口を開けかけた時、宙に浮いたオズワルトが揺れたかと思うと、何かに引っ張られるようにオズワルトの体が空中で振り回される。あっと思った時にはもう遅い。予想外の事態に驚きながらも楽しそうに笑い声をあげて、オズワルトはスーザンの両手を握ってくる。
「わあぁっ」
「あははははっやっぱり最初は上手くいかないなぁ!」
竜巻の中に巻き込まれたように手を繋いだまま、右に左に吹き飛ばされる。不意にオズワルトの魔法が解ける。このままだとバランスを崩して地面に激突する、というところで呪いの霧が集まってクッションのような形をつくる。果たしてこのクッション、人体に害がないのか疑わしいところだが気にしてもいられない。風魔法を使って、スーザンは二人の落下速度を落とす。オズワルトにも風魔法を使うのは癪だが、自分の分のクッションも作ってくれたので仕方ない。
手を繋いだまま、落ちていく。一人は満面の笑みで、一人はしかめっ面で。黒い、やわらかそうではあるが呪いによって作られたクッションに背中から倒れ込んだ。スーザンは次の瞬間、倒れ込んだ反動を利用して素早く起き上がるとクッションの上でまだ笑ったままのオズワルトの白い喉元へ槍の切っ先を突き付ける。ぱちくりと驚いた顔をすオズワルトに胸がすく。油断したな。叫びだしたくなるほどの衝動が体の中を駆け巡った。やってやった。やっとオズに勝てた。
同時にホイッスルが鳴る。
「ルール違反により両者を反則負け、失格とする。」
「え、」
ソフィア校長によって告げられた言葉に硬直する。反則負け……?
「戦闘終わっても槍向けてくるからびっくりしちゃった。反則になったこと気づいてなかったんだ。」
オズワルトはゆっくりと立ち上がりながら、床を指さして言った。
「僕たち、戦闘ゾーンから出ちゃったから。」
その視線を追って、スーザンも床を見る。試合は一段上になっている七畳半ほどのスペースで行われ、他の生徒に被害が及ぶことを防ぐためにそこから落ちると即反則負けとなる。そうして今、二人が立っているのは他の生徒たちと立っている場所と同じ平場だった。
「嘘でしょ……。」
スーザンの絶望が滲んだ声は、感染していた生徒たちの声にのまれて消えていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます