第4話 レッテルと劣等感

 授業を終えた放課後のこと。図書室の隅の机に、アンネとネロは突っ伏していた。入学式から一週間。授業も本格的に始まり、段々と新しい環境にも慣れ始めていた。魔法基礎概論の教科書を枕にして、アンネはため息をつく。


「あぁもう、永遠に魔法が使えるようになる気がしないよ。」


隣で同じようにうなだれているネロは言う。


「コツを聞いてもよくわからない……。」


「そもそも、なんで試練の時は使えたんだろう。」


「うーん、差し迫った状況だからじゃないかって言ってなかったっけ。」


「でもだからって階段の二十段上から落ちてみるのは馬鹿だと思う。」


「あれは真似できない。」


検査の時の状況に似せようとして階段から落ちてみたクラスメイトに対して、真顔で辛辣なことを言うネロに思わず口角が上がる。二人は今、魔法使いにとって一番の障害にぶつかっていた。そう、魔法が使えないという障害である。魔法使いが魔法を使えないのは大問題である。しかしどうやら、これは新入生の誰もが通る問題らしく、授業でも先生が根気よく指導にあたり、それでも尚半分以上の生徒が未だに魔法を使えていなかった。


『魔力は実は誰しもが持っているものなんだよ。これはここにいる皆が全員っていう意味じゃなくて人類全員ってことだ。じゃあなんで魔法因子摘発検査なんてものやったのって言いたくなると思うんだけど、あれは素質を確かめるためのものだ。人類は全員、ごく僅かな魔力を垂れ流している。普段は微々たる量過ぎてなんの力も生み出していないけど、例えば火事の時にいつもなら越えられないだろう柵を越えられたりとか、四階から落ちたけど骨折で済んだとか、死が差し迫った時に起きる奇跡と呼ばれるものは大体が魔法によるものだ。垂れ流し状態になっている魔力を死に直面して、初めて使うことが出来たというわけなんだ。』


レイモンド寮の担任で魔法基礎概論を担当しているエリー・フォルテ先生は一番初めの授業で「魔法」をそう説明した。


『だから皆には、意図的に魔法を使えるようになってもらう。どんな手を使っても魔法を使えるようにしてみせる。一年間よろしく。』


先生は純真な笑顔を浮かべていたが、何故かアンネは鳥肌が立つような寒気に襲われたのは気のせいではないと思う。


「追い詰められたら使えるようになるのかな?」


机に額をくっつけたまま、ネロを見上げると階段からは落っこちないでね、と笑われた。




 魔法学校の夜は静かだ。ホームルームのようなクラスで纏まって何かをするような授業が今のところないからか、大人数で集まって騒ぐいうことが起こっていないのだ。アンネは二人部屋の自室に早々に籠り、ベットに寝そべって遊戯室から借りてきた本を開いた。


「あーあ、レイモンド寮はハズレだよ。ねぇ知ってる?実は寮分けの時点で割と人生決まってるんだよね。」


二段ベットの上の段から、聞いてもいないのにメイが覗き込んできて言う。


「そうなの?」


メイはアンネのルームメイトだ。噂話が大好きで、いつもこうやって自分から、集めた情報を得意げにアンネに話してくる。アンネも一番仲良くしているネロも噂話には疎いタイプなので、ありがたいと言えばありがたいのだが、毎日のようにローレムファスト寮のロビンはテルミレイド寮のサリーが好きだとか、そんな興味のない話をだらだらと喋り続けることには辟易していた。


「確かにうちの寮は一番魔法使いらしいし、これが漫画の世界なら一番人気の寮かも。」


メイはしたり顔で続ける。


「でもハズレだよ。卒業した後のことを考えると、当たり寮はテルミレイド寮なの。」


「どうして?」


「テルミレイド寮は座学中心でしょ、戦闘訓練が中心のローレムファスト寮とかレイモンド寮は、戦争で前線に送られがちだから。テルミレイド寮だったら高確率で戦場に出なくていいってこと。」


アンネは本を閉じて、枕元に置く。確かに、魔法学校で学んだカリキュラムに合わせて戦争の役割配置が決まるのは合理的だ。


「でも、せっかくだったら魔法たくさん使える寮の方が良くない?」


「正気?死んだら終わりなのに。」


「そうだけど、生きることを目的にして生きるのってつまんないじゃん。」


真面目な顔をして言い切るアンネにメイは理解出来ないというように枕を抱きかかえたまま、ベットの上に仰向けで転がった。


「なんか羨ましいな。私も何も考えずにそうやって言ってたい。」


そうやって呆れたように言ってくるメイに少しむっとする。私だって何も考えていないわけじゃない。ただ、どうせ命の危険が少なからずあるのなら楽しく生きれた方がいいなと思っただけだ。


「死なないように気をつけても死ぬときは死ぬよなぁって。」


ぱちくり、と本当に不思議でたまらないという顔で瞳を瞬いた後メイは呟いた。


「その時はその時だよ。」


メイは髪に櫛を通していた手を止めて、ヘアオイルの瓶の蓋を開ける。そんな姿を見ていて、昼間の色んな人に笑顔で話しかけていた彼女を思い出す。こんなにに表情がない彼女を目にしたら皆はどれくらい驚くだろうか。でも、アンネは夜の二人だけの部屋で見せる脱力しきった姿を見せる彼女の方が好きだった。人が頑張っている姿は、時折見ている方も疲れる。


アンネは本を手に取って残りのページ数を見て少し考えてから閉じた。明日の朝も早い。瞼が自然と下がってくるから、もう眠ってしまおう。目を閉じると上から「電気消す?」と問う声が降ってくる。


「うん。」


頷くと、部屋の照明は消えて瞼の裏は闇に包まれた。この頃は起きても夢が続いているような感覚がある。そろそろ非現実に心を躍らせることにも疲れてきた。今日は夢を見ませんように。そう願いながら、アンネの意識も闇に落ちていった。


翌日の魔法基礎概論の授業でも相変わらずアンネは魔法が使えないままだった。それはネロも同じで、少し安心したが自分より先に彼が使えるようになったら嫌だと思ってしまったことに罪悪感が募る。


「先生、条件で縛った方が魔法の術式効果は大きくなるんでしたよね?」


教室のあちらこちらで悪戦苦闘する皆を横目に澄ました顔で、エリーに質問する一人の少女がいた。たくさんの視線が突き刺さっても、彼女は先生を見上げたまま視線を外さなかった。


「うん、合っているよ。でもルイスの術式にはあまり合っていないんじゃないかな。」


「どうしてですか?」


ルイスと呼ばれた少女は眉根を寄せて問う。彼女の周りには、三つの小さな青白い炎が浮かんでいる。平然と魔法を使いながら、表情を変えず会話する様子は明らかに他の生徒たちを圧倒していた。


「ルイスの降霊術みたいに臨機応変に対応出来るのが強みのものを条件で縛ったらせっかくのアドバンテージがなくなってしまうから。」


「確かに、そうですね。」


優しく諭すエリーに納得したように頷いて自分の席へと戻っていくルイスの後ろ姿をじっと見つめていると、さっきまで教室の後ろの空いたスペースで唸っていたネロが近づいてくる。


「すごいよね、ルイスさん。」


「一人だけなんか滅茶苦茶進み早くない?」


「なんか噂ではそういう家系、の人らしいよ。」


そうやって説明してくれるネロもあまりよくわかっていないようで、言葉の端々に疑問符がにじんでいる。


「そういうって、魔法使いの家系ってこと?」


「そう。」


アンネは、メイが魔法省幹部の一人娘がいるとかいう噂話をしていたのを思い出した。もしかすると、このルイスがそうなのかもしれない。プライドが高そうとか、ナルシストだとか、聞いた特徴にも当てはまっている気がする。考えを巡らせていたその時、授業の終わりを告げる鐘が鳴った。生徒たちは散り散りに教室から出ていく。二人の視線の先にいたルイスも分厚い本をまとめて、小脇に抱えると足早に廊下を歩いて行ってしまった。



食堂に寄って自分専用のタンブラーに冷たいレモンティーを注いだ後、アンネとネロはいつものように図書室の隅の席へと向かった。二人はしばらく、ペラペラと分厚い教科書を捲っていたが、不意にネロが手を止めてアンネに向き直った。


「ちょっと変なこと言うんだけどさ……、首絞めてみてくれない?」


「へ?」


「首を、締めてみてくれない?」


アンネは驚きに目を見開いてから、まじまじとネロの顔を見つめる。


「それは検査に関係があること?」


「うん。」


凪いだ水面のように揺らぎのない瞳に見つめ返されて、否定する言葉を失った。そっと触れられたネロの手に導かれるようにして、白い首に手をかける。彼は微笑んで目を閉じた。こんなに細い首を絞めてもいいのだろうか。恐る恐る力を込めると、嚥下するように喉が動く。虚ろな表情で彼は何もない宙を見つめた。ひゅうっと喉から空気が漏れた音がして、唇が微かに動く。慌てて手を離そうとした時、何か自分のものではない強い力が加わって弾かれるようにしてアンネは固い木製の床に尻餅をついた。


「今、僕魔法使えてた?」


「……使えてた。」


ネロは目を輝かせて、自分の両手を見つめた。


「これが魔法を使う感覚……。」


嬉しそうに呟いた様子を見ていると何故か、胸がざわついた。その訳はすぐにわかった。私は置いて行かれた、と思ったんだ。置いていくも何も、平凡そうな彼にレッテルを貼って自分より先に魔法が使えるようになることはないと勝手に安心していただけだ。なんて私は馬鹿なんだ。


「ごめん、変なことに付き合わせて。」


しばらくして、やっと我に返ったらしいネロが眉を下げながら差し出してくる手を一拍遅れて握り返す。アンネが立ち上がると、彼はほっとしたように息をつく。


「いや、魔法使えるようになったなら良かった。」


「アンネも、魔検の状況をなぞった行動をしてみたら使えるようになるんじゃないかって思ったんだけど。手伝えることあったら僕も手伝うよ。」


「うん、」


上の空で返事をしかけて口を閉じる。ネロの優しく微笑んだ顔を見る。あぁ、駄目だ。アンネは俯いて、そっと視線から逃げる。このまま、魔法を使いこなせなかったらどうしよう。焦る心が友達の気遣いをも拒絶する。


「ありがとう。でも、ちょっと自分でも試してみたいことあるし部屋帰るね。」


さっきまで高ぶった熱で上気していたネロの表情も、そんなアンネの様子を察していつもの落ち着いた表情に戻る。


「そう、じゃあまた明日。」


「うん。」


魔法使えたという興奮が覚めやらない様子で手を振って、女子寮の方へ歩き出す。少し歩いて足音が去ったのを確認して立ち止まる。ため息をついた。


「おや、今授業終わりかい?」


その時、不意に後ろから声を掛けられる。振り向くと、腕にはたくさんの本を抱えたこちらも授業終わりらしいオズワルトの姿があった。


「『ウィザードクロス』でもやりながら雑談しない?今なんか誰かと話したい気分なんだよね。」


「いいですよ。」


今は人畜無害な善人です、と顔に書いてあるネロをこれ以上見ていると理不尽にむしゃくしゃしてきそうだった。しかし、今目の前に立っている食えない笑みを浮かべた先輩になら、何も気にしないで話せる気がした。


「それで、さっきの憂鬱そうなため息はどうしたんだい?」


向かい合わせでウィザードクロスの盤を囲み、盤の上に駒を並べながらオズワルトが問う。


「まだ魔法が使えるようにならないんですよ。」


「あぁ、なるほど。毎年手こずる人多いし大丈夫なんじゃない?」


「なんかもっと具体的なアドバイスとかないんですか?」


「いやぁ、だって僕手こずらなかった側の人間だから。やってみたら普通に使えた。あ、でも死にそうな目に合うのが一番良いって聞くよ。」


あっけらかんと言うオズワルトにアンネは目を丸くして、「首絞めるとか?」と首を傾げると、いや物理的な方じゃなくて精神的にねと彼はやんわりと訂正する。


「いや、怖すぎるでしょ、首絞めるって。」


「そうですよね。」


そう言って、アンネは乾いた笑みを浮かべる。


「まぁでもそもそも魔検、魔法因子摘発検査は被検者の心の脆い部分に付け込んだ時に反発して魔法の力を引き出すっていう仕組みだからね。精神的に追い込むのもそれはそれでつらいかもね。」


先刻、何もない宙を見つめていた彼には何が見えていたのだろう。あの時、首を絞められた彼は身体的に死に近づきはしたが、むしろそれはただの過程だったのかもしれないと考えをめぐらしながらアンネは賢者の駒を進めた。


「私、多分善い人間ではないんです。」


ぽつり、と呟く。その瞬間胸の奥に巣くっていたもやが一気に溢れ出した。


「魔法が使えるようになった友達に嫉妬したんです。それで裏切られたって勝手に思って……。今だって、焦ってるから仕方がないってどこかで思ってる。それでもってそんな自分を嫌うことで満足してるんですよ。」


「うん、」


今、思い返してみるとエレナのことを羨ましく思ったり、周りの人にわかってもらう努力をしていないのにも関わらず、私はわかってもらえなかった、裏切られたと子供のように駄々をこねていた。皆に囲まれていたのはエレナで、どうして私ではなかったのか、その理由の一端を掴んだアンネは唇を噛んだ。


「私はほんとに愚かな人間です……。」


「別にさ、それでいいんじゃない。」


オズワルトは銀の魔導士を動かしてアンネの賢者を取った。


「人はさ、誰もが自分のことを一番に考えていてきっとそれは悪いことなんかじゃない。嫉妬や羨望はあって当然。まぁ、自省出来るアンネはえらいと思うけど。自分勝手に生きてこそ人間でしょ。」


どこか遠くを見つめるような瞳をして、オズワルトは呟く。彼の表情には見てはいけないような、それでいて視線を逸らしがたい厭世的な陰があった。アンネの視線に気が付いたオズワルトが首を傾げる。誤魔化すように愛想笑いをしておく。劣等感も自己嫌悪も抱えて生きていかなくてはならないものだ。オズワルトの言葉はアンネを肯定も否定もせず、それでいて受け入れてくれたように感じた。


「オズ、こんなところに居たの。もう寮長会議始まってるんだけど。」


遊戯室に入ってきたのはスレンダーな体つきの綺麗な銀髪を肩まで垂らした女性だった。アンネやネロの所属するレイモンド寮の寮長スーザン・グレイだ。まだ春だというのに着ている服は真っ白のタンクトップだけで、腕の均整の取れた美しい筋肉が覗いている。


「あっそうだっけ?」


驚いたように目を見開いた後、オズワルトは悪びれる様子を見せずに言った。


「これだからオズが寮長はおすすめしないってソフィア先生にも言ったのに。」


「えっスージー、あの婆さんになにか言ったの?」


「ちょっとうちの寮生の前で良くない態度取らないでよ。」


呆れたようにため息をついて、スーザンはずっとオズワルトに向いていた視線をアンネに移した。


「大丈夫?変なこと吹き込まれたりしてない?」


背の高い彼女は少し屈んで、アンネの目線に合わせてくれる。


「いえ、相談に乗ってもらってただけなので。」


「酷いよスージー。」


「前科三犯が何を言うか。」


頬を膨らませてむくれる十七歳男子をスーザンは辛辣にあしらう。前科三犯……。

一体なにをしたんだこの人。


「じゃあアンネ、ごめんだけど会議行ってくるね。またいつでも相談して。」


「あ、はい。」


ひらっと手を振り去っていくオズワルト。スーザンはそれを見送ってから言う。


「悪いことは言わないから、オズなんかじゃなくて寮長の私にしときな。」


「あ、はい。」


曖昧な返事を繰り返す。スーザンはオズワルトの後を小走りで追っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る