第2話 鐘の音は告げる

アンネは言われるがままに受け取ったブレスレットをはめる。すると、ブレスレットはまるで枷のように、縮んで手首に吸い付き取れなくなった。


「えっ。」


不思議と、きつくはない。ブレスレットに自我が存在し、手首のサイズにぴったりと合わせたかのように肌に馴染んでいる。


「アシストブレスレット、よく出来ているでしょう。」


「取れなくなったんですが。」


笑うばかりで何も教えてくれない先生に抗議の声を上げる。先生の指先がつぅっとブレスレットをなぞった。


「才能を開花させる、って言ったのは嘘ではないんですよ。ただ、別の効果もあるっていうだけで。」


「へ……?」


意味ありげに微笑む保健室の先生を見て、思わず身を引く。診察台の上から転げ落ちそうになったアンネは逃げようとした相手である先生の手によってバランスを保った。


「魔法因子摘発検査、通称魔検では逃げ出そうとする人が毎年たくさん出ます。このブレスレットはそんなことが出来ないような仕組みになっているんですねぇ。」


半ばうっとりと心酔するような語り口で言う先生の袖の内にも、金色がちらりと見える。先生のつけているものも同じブレスレットなんだろうか。考えることが多すぎて、頭に靄がかかっているような感じがする。


「これを付けられたら逃げられないってことですか?」


「厳密に言うと、逃げられないというよりは位置が補足されてしまうんです。何しても壊れないGPSって言ったらわかりやすいでしょうか。逃げるとそれで魔法警察に補足されます。」


怖いでしょう、と顔を覗き込んでくる先生にアンネはこくりと頷く。先生はそんな恐ろしい話を怖いくらい穏やかな顔で話している。どんな気持ちで聞いていればいいのかわからなくなって、アンネは口を開いた。


「でも、なんでそんな親切に教えてくれるんですか?秘密にしておいた方が有利なことばかり……。」


「教えても大した問題にならないと思っているからです。それに、私は効率が悪いことは嫌いなんです。絶対に逃げられないのに、無理に足掻こうとする様を見るのは嫌ですから。」


魔法使いに対する物語の中のものというイメージが、段々と崩れていくのを感じる。ニュースとか都市伝説みたいなもので聞いたことはあっても、実際目の前にいる人から聞かされると話は違ってくる。今まで、ぼんやりとしていたウィザードに対する輪郭がかたどられていく。


「まぁ、無理に反抗するのはやめたほうがいいですよっていうことです。」


「私が反抗しそうに見えますか?」


「いいえ全然。」


あっさりと否定されてあっけにとられる。開いた口が塞がらないアンネから目をそらして、先生は呟いた。


「最初から知っていた方が良いと思って。貴方は私に少し似ているような気がするので。」


さっきまでの狂気的な笑顔は消えて、先生の瞳はどこか遠くを見つめていた。扉をノックする音がした。


「はい。」


「連絡を受けた護送員です。失礼します。」


扉を開けて入ってきたのはテレビでよく見る、魔法警察の制服を着た男だった。男は胸ポケットから群青色の手帳を取り出してアンネの顔を見る。


「クラス、出席番号、名前を教えてください。」


「Bクラス18番アンネ・ストラディカです。」


アンネの返答を聞いて、同じように胸ポケットに刺していたペンで、男は手帳に記入する。


「では、国立魔法学校へ護送します。」


護送、という言葉の硬さに緊張が走る。


「家に一旦戻るとか出来ませんか?」


「出来ません、決まりですから。」


素っ気なく言った後、俯いたアンネを見て男は付け足した。


「ウィザードと一般人との接触出来るだけ避けるためです。」


これ以上食い下がるのも無駄かもしれない。そう思って、アンネは口を閉じた。

男に連れられて、保健室を出る直前に先生を振り返った。さっき見せた、哀愁を含んだ表情はもう跡形もなく消えて、場違いに純真な微笑みを浮かべていた。



数分ほど、男の後について歩くと道路の端に黄色いバスが止まっていた。バスの正面には国花であるフォンマリーの花が象られた魔法警察の紋章がある。フォンマリーは、一つ一つの花弁の形が五角形と似ていることが特徴的な青紫の花だ。バスに乗り込むと、既に座席の半分ほどは埋まっており、誰かの隣に必然的に座らなければいけないようだった。辺りを見回して、隣に座っても嫌な顔をしなさそうな人を探す。


「隣、座る?」


かけられた声に視線を向けると、そこには長い前髪で目が隠れた気弱そうな男の子が座っていた。


「ありがとう。」


アンネが席に座ったのを確認すると、バスが発車する。

男の子は安堵したように息を吐いた。


「不安だったから誰かと話したくて。」


「魔法学校のこと?」


問いかけると、男の子は少し驚いたように目を瞬いた。


「怖くないの?」


「いや、怖いけど……なんか実感湧かないっていうか。」


「魔法学校ももちろん怖いけど、今一番話したいのは検査の試練のことだよ。」


「試練……?あっ、VRトリップの幻覚かぁ。」


「君ってメンタル強いんだね。」


しみじみと独り言を呟くように言われて、アンネは手を振って否定した。


「まさか、結構人見知りする方だし。」


「メンタルの強さってそういうことじゃないと思うけど。えっと、その……幻覚ってどういうやつ見た?」


男の子は曖昧に微笑んでから、流れていた話を思い出したようで少し身を乗り出していてくる。


「死んだはずの人が出てきた……。あの検査って死んだ人が出てくるものなのかな?」


「違うと思う。僕の場合は、生きてる人だったし。」


「そっか。」


ふと横を向けば、近所の街が車窓を流れていく。見慣れているはずの景色は、何故かいつもと違っているように感じられた。


「悪夢よりひどいものを見たから、皆もそうなのかなって思って。」


「確かに悪夢みたいだった。」


アンネは呪いのようなエレナの言葉を思い返しながら頷く。


「あぁやっぱり皆そうなんだ。僕が悪いのかと思った。」


「気分悪くなって吐いちゃう人もいるって先生が言ってたよ。」


「僕は吐いたよ。でも僕だけじゃなかったんだ、よかった。」


そう言って控え目に笑う目元が前髪で隠れてしまっていて、アンネは少し顔を近づけてたずねた。


「前髪切らないの?」


「あぁ……確かにもう切ってもいいのかもね。」


彼がその時、作った表情はどこかちぐはぐで、上手く笑えていなかった。聞いてはいけないことを聞いてしまったのだろうかとアンネが考えていると、彼は前髪をそっとかき分けながら言った。


「ずっと願掛けみたいなもの、厳密に言うとちょっと違うんだけどそんな感じのことをしてて……でも魔法学校に行くならもう伸ばしてる意味もないかなって。」


「うん、切った方がいいと思う。見てる方もうっとおしいし。」


「君、結構言うねぇ!?」


「あ、ごめん。なんかあなただったら言っても大丈夫かなと思って。」


「光栄なのか、舐められてるのか……。」


「あはは。」


「これから、長い付き合いになると思うんだけど、なんて呼べばいい?僕はネロ・ラグダス。」


「あだ名がつけにくい名前だね。」


「つまらないって言ってる?」


「感想を言っただけ。私はアンネ・ストラディカ。好きに呼んで欲しいな。」


「君も十分あだ名がつけにくい名前だね。アンって縮めたら、アンと区別つかないし。まぁ、よろしくアンネ。」


「こちらこそよろしく、ネロ。」


普段のアンネだったら、男の子に手を差し出して握手をするなんて絶対にしなかっただろう。それだけ、この時は夢物語のような現実に浮かされていたのだ。



バスが辿り着いた先は丘の上にそびえる教会のような建物だった。青空に突き刺さるような尖塔に、レンガ造りの屋根。昔は白かっただろう壁は茶色にすすけているが、そこには歴史を感じさせる浪漫がある。魔法学校のイメージを損なわない外観に胸が高鳴る。


「アンネ、降りるよ。」


バスが停車しても身じろぎせず窓の外を見ていたアンネに、ネロが遠慮がちに声をかける。


「あ、うん。」


好きなことに夢中になっている時に帰ってこれなくなるのはアンネの悪癖で、エレナが死んでから声をかけて引き戻してくれる人はいなかった。久しぶりの感覚に胸が熱くなる。


運転手に促されて降り立った数十人もの少年少女を待ち構えるかのように門の前に一人の青年が立っていた。


「やぁやぁ諸君。今年の新入生は君たちが最後の到着だ。バスに荷物の置き忘れはないかい。僕はヘンリー・オズワルト。寮長の一人として君たちの案内を任された。」


青紫色の特徴的な髪の青年は大袈裟な身振りで一礼をする。列の後ろの方で誰かが「ウィアメイゼル寮の寮長だ」と呟いた。「どうしてわかるの?」「着てるローブが緑色だから。寮ごとに色が別れているんだ。」


こそこそと話す生徒たちの声は、オズワルトにも届いていたらしい。


「随分と我が校について詳しい生徒もいるようだね。広間では最初に寮分けが行われる。その時に各寮についての説明もされるから今中途半端な知識を披露する必要はないよ。」


遠回しにお叱りを受けた、さっきまで得意げに喋っていた男子生徒はびくっと肩を揺らして会釈した。オズワルトの温度のない流し目は生徒たちを萎縮させるには十分だった。その後、口を開く者はおらず粛々と一団は長い廊下を歩いた。


それにしても、浪漫あふれる建物だ。アンネは柱に施された複雑な装飾や、壁に取り付けられたキューピッドの像を眺めた。南側の廊下の壁には大きなステンドグラスがはめ込まれていて、外から優しい光を取り込んでいた。未だに現実感が乏しくて、アンネはふわふわと夢の中を漂っているような感覚でただ足を前に進めた。


しばらくして、視界に大きな両開きの扉が見えてくる。オズワルトは木の重い扉をゆっくりと押し開いた。中から光が溢れ、明るさに目を瞬く。


「さぁ、一番左の列に座って。」


目前に見えるのは礼拝堂だ。今アンネたちがいるところよりも一段上のところの壁には大きな人の身長ほどもある大きさの十字架が取り付けられている。手前には四列に分かれたベンチが整然と並んでいる。一番左の列以外のベンチにはもう既に、アンネたちと同じ魔法学校の新入生たちが座っていた。総勢100人ほどの生徒が一言も私語を発さない様子は異様な光景だった。それぞれの列の前にはオズワルトの胸に輝いている星のバッチを付けた人が立っていて、おそらく寮長なのだろうということが推測出来る。言われた通りにアンネたちが順々に席につくと、突然鐘が鳴った。さっき、バスから降りた時に遠目に見えた教会のひときわ高い塔にあった鐘の音だとわかる。鐘の音に気を取られて窓の外を向いていると、後ろから部屋に入ってくる足音がしてアンネは肩を揺らした。


入ってきた人たちはどう見ても大人で、彼らが先生であることは一目瞭然だった。一番最後に入ってきた初老の婦人はカツカツとヒールの音を響かせながら前の壇上に立つ。鋭い視線で周囲を見渡して、婦人は口を開く。


「魔法学校へようこそ、新入生諸君。私がエクストリア国立魔法学校の校長を務めるソフィア・ベルマンディーだ。最初に言っておく。この学校に青春なんてものは存在しない。教師は君たちが死なないために、強くなるために魔法を教える。君たちが立派なウィザードとなることを切に願う。」

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