魔法使いは箱庭で踊る

詩村巴瑠

入学編

第1話 招待状

 鏡の前で、アンネはかれこれ何十分も己の癖っ毛と格闘していた。いてもいても、髪の毛がブラシに絡まる。ショートカットだというのにだ。しかも、色は赤ときている。赤毛の癖っ毛、あまりにも最悪な組み合わせ。これで、色がブロンドだったらまだなんとかなっていただろうに。時計を見て、舌打ちをする。アンネは髪を整えるのを諦めて、椅子の横に置いていた学校鞄を持った。


「行ってきます。」


キッチンで朝ごはんを作っている母に、一声かけて、家を出る。


 いつもと同じ最悪の朝。教室の扉を開いても、話しかけてくる友達なんていない。自分の席に座って静かに本を開く。物語の世界に入るために文字を追うが、教室はいつもより格段に騒がしく、本に集中できなかった。教室が騒がしいのは、今日が学校で中等学校三年次に行われる魔法因子摘発検査の日にあたるからだ。アンネは本を読むのを諦めてページは開いたまま、教室の話し声に耳を澄ませた。


「どうしよう、検査引っかかったら。」


「でもちょっと憧れない?魔法使えるの。」


「魔法で戦うのは確かにかっこいいとは思うけど、でも死にたくないじゃん。」


「逃げ出しただけで死刑なんだっけ。」


 エクストリア暦2084年、今から36年前のこと。この世界に、魔法を使える人間が存在することが明らかになった。きっかけはこの国エクストリアと隣国メイエースで起こった戦争だった。長く続いた泥仕合の末、メイエースは魔法の力を隠してひっそりと暮らしていた魔法使いを、戦争に参戦させるという秘策を繰り出した。結果、エクストリアは大敗し、それから対抗して魔法使いを戦争に使うために探し始めた。魔法が戦争に使われるようになり脅威として、認識されるようになった魔法使いは管理され、弾圧されるようになった。そうして時は流れ、現在は義務教育の機関で、魔法の才能があるかどうかを検査する魔法因子摘発検査が中等教育三年時に義務付けられるようになっていた。


「死刑っていうよりは狩られるって感じじゃないか?」


 政府には通称魔女狩り、と呼ばれる逃げ出した者たちの命を狩る魔法警察という組織がある。組織のメンバーも魔法使いなので、同族殺しという蔑称で呼ばれることも多い。


「でも、ぶっちゃけウィザードっているの?検査引っかかってるやつ見たことないんだけど。」


「まぁ、一万人に一人くらいの確立らしいからな。」


「一万人に一人だと……同じ年の中だと全国でも100人くらいか。」


「まぁ、検査漏れとか学校行ってないやつも含めたらもうちょっと少ない気もする。」


 魔法使いのことを政府の呼ぶ正式名称ではウィザードで統一されている。魔法使いと言うと御伽噺や物語の中のものを想像しがちなので、一般的にもウィザードと呼ばれてることが多かった。


「まぁ、俺らには関係ない世界の話だよな。」


 難病にかかる人と同じように、魔法使いもまた自分には関係ない世界の話だと誰もが当たり前のように思っている。本のページをめくりながら、男子たちの話を聞いていたアンネもその一人だった。


 チャイムが鳴り、ホームルームが始まる。いつもなら長い先生の話も今日は早々と切り上げられ、検査をする部屋へと生徒は列になって向かう。廊下で並んでいる間、無駄口を叩く者は誰もいなかった。皆、自分が魔法使いであるはずがないとは思っていても不安なのだ。そもそも、検査がどういうものなのかもよくわかっていない。検査を受けた先輩たちは箝口令かんこうれいが敷かれているらしく、聞かれても執拗に黙り込んでしまうという。


一人、また一人と部屋の中に呼ばれている。今日、検査室になっている部屋は普段は閉めきられている開かずの部屋だった。何があるのかもわからない部屋で行われる謎の検査。そんな非日常な空間にアンネは密かに高揚を覚えた。それはまるで大好きなファンタジー作品のような話で。現実にウィザードは確かに存在するけれど、現実で出会ったことはなく、画面越しにしか見たことがない。だから、今でも魔法使いはアンネの中で物語の中だけの存在だった。


名前が呼ばれた。アンネはそっと扉を開ける。閉めきられていたから少しは錆びついて重いのではないかと少し期待していたが、木製の扉は普通に開いた。いつもは優しそうな微笑を浮かべている若草色のワンピースを纏った保健室の先生が、今日は険しい顔をして椅子に腰かけ待ち構えていた。


「ここに寝転んでください。VRトリップを使ったことはありますか?」


診察台に上がるとそう聞かれて、アンネは小さく頷いた。


「一回だけあります。」


VRトリップというのは、脳に電極を指して特定の電波を送ることにより、仮想空間に実際にいる感覚を味わえるという娯楽サービスだ。VRトリップにはまっているクラスメイトはたくさんいる。アンネも無料体験キャンペーン中にやっていた、想定される200年前のエクストリアのVRにはトリップしたことがあるが、現実ではないという思考が邪魔をして没入できず、最初の一回を除いてはトリップしていない。


「今から行う検査にはVRトリップを使います。検査のために特別に強化されたものなので気分が悪くなることもあると思いますが、終わった後にちゃんと処置をすれば大丈夫なので安心してくださいね。」


「はい。」


正直あまり、安心できない言葉だと思ったが身を任せるしかない。寝転ぶと、診察台が動いて、中に身体を入れられるように半ドーナツ型のようになっているVRトリップのための機械の中に入れられる。視界が真っ暗になり、アナウンスが響いた。


「今から、魔法因子摘発検査用VRトリップを行います。」


AIの無機質な声が響いた後、しばらく静寂が続く。だんだんと視界が明るくなり、次に見えたのはどこか懐かしい原っぱだった。ここは……、そうだ。小学生の頃、家族と休みの日に行っていた大型のアスレチックがある公園だ。あの頃、親子連れで賑わっていた公園に、今は人っ子一人もいない。少し、怖くなって自分の腕を抱きしめた。


「アンネ、久しぶり。」


背後から声をかけられて思わずひぃっと裏返った声が出た。振り返ると、そこにいたのは自分と同じ顔をした分身、エレナだ。


「そんなに怯えなくていいのに。」


「だって、もう死んだはずじゃ……。」


「アンネ、ここが現実だと思ってるの?ちょっと没入しすぎなんじゃない。」


彼女の呆れた表情に、我に返った。これはVRトリップの映像であって、現実の世界の出来事じゃない。でもそれなら、目の前にいる死んだはずの双子の姉はなんだろう。


「どうして私が出てきたのかって顔してるね。会いたくなかった?」


そう言って、顔を覗き込んだエレナは、俯いて黙り込んだアンネを見て笑った。


「まぁ、そんなわけないよね。アンネは私が死んで喜んだんだから。」


ひゅっと喉が閉まる感覚がした。視界がぐにゃりと歪み、アンネは思わずその場に座り込んだ。気持ちが悪い。


一年前にエレナは死んでいる。死因は不慮の事故。空遊自動車が空から落ちてきて、下校中だったエレナは潰された。それぞれの仲のいい友達と下校していたので、アンネは事故現場には居合わせなかった。だから、アンネは死体を見ていない。圧死された死体は悲惨だ。当然、葬式でも棺桶の中は空っぽだった。そのせいか、エレナが死んだという実感も持てていなかった。嘘だよ、と言ってひょっこり帰ってきてもおかしくないくらい、彼女は奇想天外な性格をしていた。


エレナは華やかな人だった。いつも誰かの影に隠れておきながら、夢だけは一人前に描いているのが私なら、いつも皆の中心にいて、夢に描いたことはすぐ行動に移して実現させていた。それを羨ましく思っっていたのは事実だったが、死んでほしいとか、死んで嬉しいと思ったことはない。アンネはただ、エレナの輝きに目を細めていただけだ。アンネにとって彼女の輝きは眩しすぎた。


視界がまた暗転する。次に目を開けた時に見えたのは葬儀場だった。白い百合の花とエレナが好きだったピンク色のポピーの花が、棺を埋め得つくしている。立ち止まったまま、微動だにしない過去の自分の背中をアンネは後ろから眺めた。


『アンネ、聖水。』


『あ、うん。』


後ろから、母に声をかけられてようやく身じろぎをしたアンネは、棺におぼつかない足取りで近づいていく。過去の自分を客観的に見て思った。エレナの言っていたことは半分は当たっている。確かに私はエレナが死んでも悲しくなかった。


「そうだろうね。」


隣でしたり顔で言うエレナの顔をキッと睨みつける。


「でも、私はエレナの死なんて望んでない。確かに、醜い嫉妬はしたかもしれないけど、でも……エレナのこと好きだったよ私。」



『劇をしよう!』


 初等学校のいつも遊んでる顔ぶれで集まっていた時、エレナは突然そう言った。その時はちょうど先週、家族で劇場に行ったばかりだった。影響されやすい私たちは、すっかり劇に夢中になっってしまった。家で二人きりで話す時の話題はこのところ劇の話で持ちきりで、見た演目のヒロインや主人公の真似をしたりしていた。


『劇……?』


皆のきょとんとした顔を気にも留めず、エレナは大きく頷いた。


『うん、きっと楽しいよ。』


 満面の笑みで言い切る彼女を見て、劇にこれっぽっちも興味を持っていなかった皆がやるか、と言い始める。そうして、その日から仲間内の遊びは劇の練習になった。


『劇楽しい。エレナちゃんはいつも面白い遊びを教えてくれるね!』


友達の何気ない言葉を聞いて、アンネは私だって気づいてたのにな、と心の中で呟いた。私だって、劇やりたいってエレナに言ってた。まぁ、皆に言えないから仕方ないけど、皆から見たら私はエレナの後ろにいつも付き従ってる顔が同じやつ、って印象なんだろうな。


『アンネアンネ、新作の脚本考えよ。』


エレナはベットの上に寝転んで足をばたつかせて言う。ランプの灯りで、部屋の電気が消された後でも本を読んでいたアンネはその言葉に弾かれたように顔をあげる。


『いいね、今度は悪い魔法使いの話とかは?主人公たちから見たら敵なんだけど、実は仕方がなくて悪いやつを演じてるっていう。』


『え、めっちゃ良いねそれ。私ほんとアンネの脚本好きだなー。発想がすごい。』


きらきらと瞳を輝かせるエレナを見て、心が満たされるのを感じた。机の上に開いたままだった本に栞を挟んでパタンと閉じ、ランプを消して、布団に入り込んだ。


『もうちょっと寄って。毛布に入れない。』


『あーげない!』


『ちょっとひどいよ。』


 毛布一枚を二人で被って、どたばたと毛布奪取の戦争が始まる。そんな日常を確かにアンネは愛していた。


 確かにエレナには複雑な感情を抱いていたかもしれない。いつもたくさんの人に囲まれて幸せそうに笑っていた彼女の影で寂しい思いをしたこともあった。それでも彼女の、一番のファンは自分だった。そう断言できる。そして、エレナは他の誰が馬鹿にしても、アンネの話す妄想話をいつも喜んで聞いてくれた。


「私は、本物のエレナがこんなこと言わないって知ってる。」


「アンネに私の何がわかるの!」


悲痛な叫び声に耳を塞ぐ。もう、心が揺らぐことはなかった。光を失った瞳と目が合っても、アンネはもう目を逸らすことはなかった。


「偽物と本物の違いくらい一番近くにいた私にはわかるよ。」


「簡単に言わないで、決めつけないで。私ってそんなに、」


かすれた涙声で言い募るエレナを、アンネは途中で遮って言った。


「貴方はVRトリップで生み出された幻。偽物の言うことはもう聞きたくない。」


一陣の風が吹き、エレナの姿が歪む。歪んだのはそれだけではない。周りの風景も、アンネが立っている地面も世界そのものが歪んでいる。立っているのがやっとの強風に、バランスを崩してうずくまる。


気が付けば、白い保健室の天井を眺めていた。


「大丈夫ですか?」


保健室の先生が心配そうに顔を覗き込んでくる。

会話をする気力は残っておらず、アンネの唇からは率直な感想が零れ落ちた。


「吐きそう……。」


「洗面器いりますか?」


「いえ……いや、一応貰っといていいですか。」


「どうぞ。」


洗面器を受け取りながら、身を起こすとアンネはようやく保健室の惨状に気が付いた。まるで嵐にあったかのように、窓硝子が全部割れていた。呆然としている様を見て取った先生は告げる。


「今直すので大丈夫ですよ。」


今直すので、とはどういう意味なのだろう。それに、今の言い方的にあの窓硝子は私が割ったということなのだろう。でも、いったいどうやって。


アンネが今行われていたのは魔法因子摘発検査、魔法の才能があるかどうかを調べるための検査だったことを思い出したと保健室の先生が動いたのはほとんど同時だった。


 割れた窓硝子に向かって、先生は静かに右手をかざす。瞬間、青白い光が放たれ、粉々に割れた窓硝子の欠片を拾い上げるとパズルのように窓枠に綺麗に収まる。光が霧散した後、そこには傷一つないピッカピカの窓硝子があった。


「なにこれ……。」


「魔法です。」


そっと呟いて、先生は診察台の上に身を起こしたまま動けずにいるアンネの元にゆっくりと戻ってきた。


「先生は……魔法使いだったんですか?」


「そうですよ。そして、貴方も魔法使いになるんです。ウィザードと言う方が正確ですが。」


にこりと微笑む先生の言葉がアンネには理解できない。


「私が……?」


 地味で特に誇るところも、悪目立ちしているところも見つからない私が、魔法使いなはずがない。魔法使いっていうのはもっと、悲劇的な天才とか、悪名高い問題児とかそういう他とは変わった人がなるものだとばかり思っていた。


「さぁ、このブレスレットを嵌めてください。貴方の魔法の才能を開花させるためのものです。」


 先生は鍵のかかった戸棚から、金色の輪っかを取り出してきて言う。魔法の才能がある、という普通の生徒であれば身構えてしまう危険な言葉が、アンネには甘美な言葉に感じられた。いつだって、普通から外れることを夢見ていた。しかし、自分から道を外れることは生来の生真面目な性格が邪魔していた。今、目の前にあるブレスレットは、言うなればアンネにとって特別な世界への招待状のようなものだった。



















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