04 赤と熱砂と紫の夜

 激しい炎のような波が、気づくと辺り一体に押し寄せていました。

 懐かしいような、初めて見るような、赤い炎の波。それは夕日なのか、今、周りを包んでいる音楽の波なのか。

 景色と音楽とが溶け合って、ジャックの黒い全身を包んでいるのでした。

 公会堂の鐘が、一定の間隔で鳴り響き、それを軸としてあらゆる方向から色々な楽器が鳴り響いています。

「国、全体が炎の獅子の楽器だ」

 そう呟いたショウの横顔をふと見ると、黒いつやつやの長い髪の間で、薄い茶色の瞳は夕日の赤を映し、赤く赤く染まって潤んでいるようでした。

 ショウはポケットから小さな笛を取り出し、静かに吹き始めました。

 それは高く綺麗な音で、鐘の音や周りの音に溶けていき、美しいとジャックは思いました。

 音楽は日没まで続き、やがて静かに止みました。

「すごいね……美しい国だ」

 辺りが紫の闇に包まれ、恐らくハッティーワークスの街灯が等間隔にぽつぽつと優しく光っています。

 ショウは笛をポケットにしまって言いました。

「綺麗だよね。大好きなんだ」

「もしかして……君が炎の獅子かい?」

「えっ」

 ジャックの質問に、ショウは慌て蓋めいたように手をぶんぶんと振りました。

「ち、違うよ!どうしてそう思ったんだい?」

 ジャックはふむ、と考えました。

「耳たぶに炎の獅子がいるし、笛をすごく心を込めて吹いていたからさ」

 ショウは耳を押さえました。

「ジャックは目がいいんだね。母と兄ちゃんと、家族みたいな幼なじみにしかこんなに早く気づかれたことないのだけど」

 ショウの耳たぶには、ピアスのように、ちょうど獅子が大地を駆けているような形をした痣があるのです。

「でもこれは昔からただここにあるだけなんだ。結構嬉しいけどね」

「ピアスみたいだ」

「そうかもね」

 ショウは困ったように笑いました。

「笛は……あの時間、誰でも主旋律に合わせて楽器を鳴らしてもいいことになってるんだ」

「確かに、色んなところから聞こえたね」

「うん。主旋律と鐘のタイミングは、炎の獅子が作ったのさ。元々、この国、レオニールは音楽に明るい国ではあったけど、公会堂を作り、鐘を作り、みんなが参加できるしくみは炎の獅子が作ったんだ。凄いよ、あんな人になれたらとは思うけどね」

「君は何をやってるんだい」

 二人は帰り道を歩き始めました。

 街灯が並ぶ紫の砂の道をさくさくさくと歩きます。

 ショウはヒラヒラとした異国のズボンをなびかせて、真っ直ぐに歩きます。

「僕はハーブなんかを研究してる薬師かな」

 ジャックは時折、道の端の岩に飛び乗ったり、金色の目を光らせて家々の中をそっと覗いたりしていました。

「凄いね」

「別に凄くないよ。家が食堂をやってただけだから」

「ショウも料理をやるのかい?」

「僕はあんまりかなぁ。仕事も、この国に来るためにやってるみたいなものだからね。炎の獅子ってさ、凄いんだ。彼の音楽には物語や響きがあるんだけど、なんていうか、色々考えたくなるような、何も考えたくないような、ずっと彼の音楽に包まれていたいんだ。熱い砂に埋もれてしまうみたいにね」

「……へぇ、そんなに好きなのかい?」

「まぁ。趣味だからね」

「趣味かぁ」

 ジャックは趣味のために仕事を頑張ったり、国を超えたりするショウを凄いと思ったのでした。

「ジャックは何か趣味はある?」

 ショウがジャックを見て立ち止まりました。

 ジャックは考えました。

 趣味、好きなこと、大事にしていること。

「綺麗なものを見たり、綺麗な音楽を聴いたりすること」

 ショウは嬉しそうに笑いました。

「……だと思うよ」

 ジャックは趣味について考えたことがありませんでしたので、そう付け加えることにしました。自分に、ショウほどの煌めきのようなものがあるのでしょうか。

 けれどもショウは、こう言ったのです。

「ちょっと似てるかもしれないね」

「僕たちのこと?」

 ショウは嬉しそうに笑っているのでした。

「ジャック、僕ここからこっちだから。君が泊まってるハッティーワークスはあっちじゃない?」

「あっちから来たかもしれないね。ありがとう」

 ジャックは手を振り、ショウは「また明日学校でー」と言ったのでした。

 ジャックは約束の19時に旅の拠点の鍛冶屋を営むハッティーワークスに戻り、友だちのジェイクと、鍛冶職人の人々と美味しい夕食をとりました。

 ジャックは猫ですが少し強いので、時々傭兵の仕事をしていると、こんな風に体の大きな男の人たちとガヤガヤと食事をすることがありますが、大勢でバクバクと食事をするのは楽しいのです。

「ジャック、日没のシンフォニーは聴いたか?」

 美味しそうなカレーを、頬張りながら、ジェイクが尋ねました。

 ジャックの玉ねぎを抜いたポトフを啜りながら応えます。

「聴いたよ、驚いた」

「いい猫じゃねぇか!」

 職人たちが口々に言います。

 ここは音楽の都だということを思い出して、ジャックは尋ねました。

「毎日なんですか?」

「そうだ、毎日だ。俺たちの青春は日没のシンフォニーと共にあるのさ」

 大きな職人たちは、体に負けないくらい大きな声で笑いました。

「皆さんも楽器を持っているんですか?」

「当たりめぇだ!この国のやつはな」

 職人たちは、ポケットから様々な形の笛や、カスタネットや、見たことのない楽器を取り出しました。

「ジェイク、次の休みにそいつを楽器屋に連れてってやれよ。それまではこいつを使いな」

 職人のひとりが、シャボン玉にガラスの筒が付いたようなキセルに似た何かをジャックのポトフの横に置きました。

 それは、水色と黄緑の水玉が薄く描かれているガラスの品で、ジャックは綺麗だと思ったのでした。

「ハッティーのビードロさ。後で吹いてみろよ。じゃあまた明日な」

 職人たちはご飯を食べるのが早いので、皆んなぞろぞろと食堂を出て行ったのでした。

 最後にジェイクとジャックが残り、食堂のマニラさんがジェイクとジャックにはちみつパンをデザートにくれたので、二人はジャック泊まっている屋根裏で、それを食べようと持ち帰ることにしました。

 部屋で、はちみつパンを食べながら、ジャックはもらったビードロを吹いてみると、ぽこん、ぺこんと可愛らしい音が鳴ったのでした。

 窓の外には、柔らかいランタンの光に照らされた公会堂の鐘と、優しい夜に包まれたレオニールの石造りの街と、家々の灯りが見えます。

 砂が風に舞う音が、穏やかに響いています。

 部屋にははちみつの香りと、ぽこん、ぺこん、という可愛い音が、静かに穏やかに、しばらく響いているのでした。

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