03 ジャックと灯りとガラスの町
翌朝、ジャックは国を見て回ることにしました。
真っ暗闇の国、という、少し怖そうな国ですが、中を歩いてみると怖いなんてとんでもない、豊かな自然に囲まれた穏やかで美しい国でした。
レンガ造りのかわいらしい家々に暮らす住人たちは、ほとんどがスピカのような小人族のようで、どの人も感じがよく、とても住みやすそうです。
砂利の敷かれた小道をゆったり進む馬車を引く小人の若者が、ジャックに道を譲ってくれました。
「ありがとう」
見慣れないジャックに対して、爽やかな笑顔を向けてくれた若者にお礼を言い、ジャックは建物がたくさん並んだ、町が栄えていそうな方向に向かって歩いて行きます。
その町の入口に着くと、ジャックは木の看板の前で立ち止まりました。
そこには、きれいな色の美しい文字で、こう書かれています。
ようこそ 真っ暗闇の国 ガラスの町 シリウスへ
そのきれいな文字は、よく見ると、小さなガラスのタイルでできていました。タイルの小さな塊をつなげて、文字の線にしてあるのです。
「ほぅ」
思わず触れてみると、ジャックの黒い肉球はヒンヤリしたのでした。
ガラスの町シリウスは、名前の通り、一歩町に入るとガラスだらけでした。たくさんのガラス工房の合間にある家やガラス工房以外のお店も、表札や看板にガラスや、タイルを使っていましたし、どの建物も、それぞれきれいなガラスのランタンを下げていました。
道のわきに並んだ街灯も、丸い、ガラスの街灯で、それは等間隔に道の端の方まで続いているのでした。
こんなにきれいなガラスに囲まれた国は、ジャックは初めてでした。
美しい美術館を歩き回るような気持ちで、ジャックはいろいろなところを見ながら歩きました。工房や家や、お店が並んだきれいな通りを抜けると、きれいな、広々とした広場になっている場所にでて、その中心の建物の入口に、ジャックは見たこともないような大きなガラス細工を発見しました。
「あれはなんだろう」
ジャックはそれに向けて走り出しました。
近づいてみると、それは大きな大きな、何かの動物のようでした。
ジャックの何倍の大きさか言い表せられないくらい大きなガラス出来た動物は、四本の足で、地面に大きく、立派に立ち、顔のような部分の側面には、大きな大きなハスの葉のようなものが垂れ下がり、顔の中心のような部分には、太いホースのような長いものがぶらんと垂れていました。
そして、走って後ろに回り込むと、体の大きさに似合わないような、かわいらしい、小さな、筆のようなしっぽがお尻にちょこんと付いているのでした。
ジャックはまた、正面に走っていって、そのガラス細工をしげしげと眺めるのでした。
「よぅ、いらっしゃい」
後ろから声がして振り返ると、小人の少年がこちらを見て立っています。
「見ない顔だね、旅の方だな。ランタンを買うなら、国一番のガラス工房、ハッティワークスしかないと思うよ」
「ハッティワークス?」
「そ、入口はそっち」
少年は巨大なガラス細工の後ろにある建物の入口を指さしました。
「猫……の柄もあったはず。ちょっと値が張るが、オーダーメイドもやってるよ」
「あ、あぁ、違うんだ、入口のこれがすごいなって思って」
「やっぱりか」
少年は嬉しそうに笑いました。
「わかるよ、すごいよな、これ。そうなんだよ、これは親方の最高傑作でこんなに大きいランタンは他にはないよ」
「これはランタンなの?」
ジャックは驚きました。たしかに、こんなに大きなランタンは見たことがありません。ちょっとした家くらいの大きさくらいはあるかもしれません。
「ちょっと考えられないな……これは本当に光るの?」
「もちろんそうさ。今もきれいだけど、夜になるとこれが優しい光で光って、この広場を照らすんだ。すごくきれいだぜ」
「へぇ、見てみたいな……今もすごく綺麗だけれど。何色っていうんだろう。青っぽいような、灰色っぽいような……それでいて太陽の光が反射してきらきら光って。すごくきれいだ。ところで、これは何なの?動物のように思うけど」
「大正解。これはなぁ、ぞうだよ。ぞうって名前の動物さ」
「ぞう?」
「ぞう。おいらも見たことはないんだけどさ、南のほうの国に、こういう、大きい生き物が住んでいるんだ。大きくて強くて、優しい生き物らしい」
「……恰好いいね。あれは、鼻?」
「そう、真ん中の長い部分が、鼻で、横に広がってるのが耳。なんでも聞こえそうな耳だよな。あぁ、まぁ猫の耳も結構いいと思うけど」
ジャックは自分の耳をぴこぴこと動かしました。
「ありがとう」
「まぁ、良かったら中も見てけよ。ぞうのランタンもあるし、猫もあるし。あぁさっき言ったか。まぁいいのがあるからさ。あぁ、おいら行かなきゃ、じゃな」
そう言うと、小人の少年は店の奥へと消えて行ったのでした。
大きくて強くて、優しいぞうは、青灰色に透き通る美しい体で、ゆうゆうと大地を佇んでいるのでした。
ジャックはお店に入ることにして、ぞうの足元を進みました。ぞうの爪に、ジャックの姿が映り、ジャックの瞳が反射してきらきらと光ります。
入口につくと、町の入口にあったような素敵な看板があって、タイルのきれいな文字で、ハッティワークスへようこそ、と書いてありました。
ようこそと言われるままにお店に入ると、そこは通りで見たものの倍、美しいもので溢れています。どれもこれも、心が震えるほどきれいで、ジャックは、宝箱の中に迷い込んだような気持になりました。
さっきの少年が言ったように、猫のガラス細工や、猫の柄が施されたランタンもありましたが、ぞうの細工や、ぞうの柄の品物が多いように感じました。
「このお店の人はぞうが好きなのかもしれないな」
ジャックはそう思いました。
広い店内をいろいろ見ているうちに、ジャックは旅の思い出に、何か一つ、ほしいと思いました。
「だけど、お金はどうしようか」
ジャックは、川で魚をとって暮らしているため、お金を持っていませんでした。
けれども、ジャックはたびたび町に立ち寄り、思い出の品を欲しいと思うことがあって、そういう時は、川で捕ったおいしい魚を売ったりしてお金を稼ぐことがあります。
「だけど、この国はどうだろう。どこか魚を売るところはあるかな」
世界にはたくさんの国があります。
そしてそのたくさんの国にはそれぞれ決まりがあって、魚を売ってもいい国、悪い国。そもそも魚を捕ってはいけない国。捕ってもいいけれど、売ってはいけない国など、色いろあるのです。
ジャックは、情報を集めることにしましたが、この国の人々はみんな気さくで、すぐに教えてもらうことができましたが、どうやら、食べるために魚を捕ることは大丈夫なようですが、魚を売るためには、役所で許可をもらわなければならないそうです。
ジャックはさっそく役所に行くことにしました。
町の役所は古いレンガ造りのひっそりした建物でしたが、入口にはおしゃれなランタンがかけてありました。
中には、大きな看板で案内が書いてありましたが、受付の小人のお姉さんが、三階に行くといいと教えてくれたので、ジャックはてくてくと三階への階段をあがりました。
三階にはいくつか部屋があって、ジャックはお姉さんに教わった突き当りの部屋に入りました。
そこには、大きな机が一つあって、一人の小人の男の人が、お客さんの相手をしています。それから、すこし離れた壁のところに、順番待ち用の椅子がいくつか並んでいます。ジャックは札をとって、順番を待ちました。
待っている人は、ジャックの他に二人しかいなかったので、順番はすぐに回ってきたのでした。
大きな机のところまで行くと、小人の男の人は、小人にしては、大きく、普通の人間なみの大きさのようにも感じましたが、その人は優しい顔で言ったので、ジャックは安心しました。
「こんにちは。外国の人ですね。どんな用ですか?」
ジャックは小人の大男を見上げていいました。
「こんにちは。僕はジャックと言います。市場で魚を売る許可をもらいたくて来ました」
「わかりました。住民カードはありますか?」
「住民カード?」
ジャックは困りました。住民カードを持っていなかったし、住民カードのことを知らなかったのです。
「持っていません」
耳を垂れたジャックに、小人の大男は言いました。
「では作りましょう。名前の他に、住所と、年齢を教えてください」
「住所は、ありません。旅をしています。もともとは川上から来ました。川を上ってずっとずっと行ったところにある小さな村、ポルケというところから来ました。年齢は……」
ジャックは困りました。
実は、ジャックは、自分がいつどこで生まれたのか、知らなかったのです。ジャックは正直に話してみることにしました。
「年齢は、わかりません。自分が生まれた時の事を知らないんです」
「なるほど、そうですか」
男の人は、ジャックを上から下まで見ているようでした。
ジャックも、机の上を隅から隅まで見ると、机の端に、外国人生活課 今日の担当ダンカンとありました。
「ダンカンさん、もし、だめなら大丈夫です。魚を売って、この国のガラスを一つ、思い出に買いたかったんだけど、僕は思い出を頭にしまっておくことも得意だから」
「ふぅむ」
ダンカンさんは、首をひねり、それから言いました。
「ジャックさん、それでは、君が君として暮らし始めたのは、何年前ですか?」
帰ろうとしかけたジャックは振り返りました。
「え?」
ダンカンさんの目は真剣でしたので、ジャックも真剣に考えました。
「……十三年前です」
ダンカンさんは、机の上で何かを書き始めました。
「はい、これが住民カードと、こっちが市場の許可証です。警備隊に求められたら、見せてください」
受け取ったカードには、こうかかれていました。
名前 ジャック
住所 ポルケ(出身地)
年齢 十三歳
「いいんですか?十三歳じゃないかも」
ジャックはダンカンさんを見上げました。
「本当なら、自分が自分として生き始めた瞬間が、自分が生まれた瞬間ってなもんさ。ガラスはこの国の自慢だ。ぜひよい買い物をしてください」
「ありがとう」
ジャックはカードと許可証を丁寧にリュックにしまいました。
「ランタンの中身は、小さいのなら一階でもらえるよ」
ジャックはダンカンさんに言われたとおり、一階でスピカが持っていたような小さな石をもらいました。
石をもらう場所は混みあっていたので、すぐに外に出ると、外はまるで何かのお祭りのように、色とりどりのランタンが輝く夜の世界のとなっていました。
「ゆだんしていたな、もう外が暗いや」
ジャックは市場に行くのは明日にして、今日は湖のキャンプに帰ることにしました。
輝く街を抜けて、家々がぽつぽつと佇む風景を歩いて行くと、しだいに明かりが減り、闇の世界になってゆきます。
「こりゃあ、猫じゃなければ灯りがないと歩けないぞ。あれ、どっちだっけ」
森にさしかかり、ジャックは分かれ道で立ち止まりました。道の先のほうは真っ暗で、さすがのジャックも見渡せませんでした。
「しょうがない、道を照らそう」
ジャックは息を吸い込み、爪の先に力を込めました。
辺りは金色の優しい光に包まれ、だんだんと道の向こうが見えてくるのでした。
しかし。
ジャックはふいに火花に包まれ、辺りからはふっと金色の光が失われたのでした。
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