第12話 風呂場でご主人さまと僕に囁いている 12

「わ、私の航宙艦が〜!」

「イズーはん、もう逃げられないでやんすよ!」

「ああああ……」

 イズーはうなだれると、そのまま黙ってしまいました。

 美也子は、ただ無言のまま彼女を見つめます。

 ──なんだか、可哀想。でも、自業自得よね。銀河を傷つけたんだし。

 美也子は、小さくため息を付きました。

「さて。すべて終わったようでやんすから、このストーカーを転送するでやんすよ。……こちらディディ三〇三。一名転送」

 人工生命体メイドの言葉と同時に、イズーは青い光に包まれます。

 その時。イズーは銀河に顔を向けると、わずかに頬を赤らめて言いました。

「あなた……。本当にお強いのですね……。私、あなたに惚れちゃったかも……」」

 そう言い終わるやいなや、彼女の姿は光と共に消え、どこかへ転送されてゆきました。

 そして同時に、TVの画面も消えました。

「これで、終わったのかしら……」

 美也子が、大きくひと息をついた時です。

 彼女の言葉を否定する宣言を、トレアリィが貴種にふさわしい顔で放ちました。

「いいえ、終わりではありません。これは始まりなのです」

「えっ?」

 美也子の軽い驚きと同時に、再び青い光が、リビングの中で輝きました。

「ステーションシップ≪サスケハナ≫から、一名転送でやんすね」

 ある女性が、銀河達の目の前に転送されてきたのです。

 その女性の顔と体つきは、トレアリィをそのまま大人にしたような風貌でした。

 服装はトレアリィと同じ、白い全身一体型スーツ姿です。

「あなたは……」

 美也子が尋ねると、

「トレアリィが母、ペリー・フィメル・グライス。グライス星間王国王妃でございます」

 彼女はそう答え、丁寧におじぎをしました。

 ペリー王妃のお辞儀と同時に、ディディも深々とお辞儀をします。

「お母、さん……?」

「お母様……!」

 トレアリィはソファから立ち上がり、ペリー王妃のもとに駆け寄ります。

 二人はお互い強く抱きしめあうと、優しくなであいます。

「我が娘トレアリィ、大丈夫だった? 怖くはなかった? 何かされなかった?」

「はい、お母様。ご主人さまのおかげで、ストーカーを捕まえることができました……」

「我が娘トレアリィ。ご主人さまとは……?」

「お母様、この方です」

 トレアリィは王妃から離れると、銀河を手で指し示して、

「この方がわたくしのご主人さま、天河銀河様です」

 とゆっくりとした口調で紹介しました。

「まあ……」

 黙って一礼をした銀河に、ペリー王妃は驚きを隠せないでいます。

「我が娘トレアリィ。現地人の子を、ご主人さまと……! もしや……!」

「はい……」

 トレアリィは、ちょっと恥ずかしげな表情と仕草を見せつつ、言いました。

「この星に来たとき、テレパシーでお互い通じ合ったのです。それで、わたくしはこの方をご主人さまとすることにしたのです」

 彼女の言葉に、ペリー王妃は目をさらに見開きました。

 そして、幾度か頭を左右に振ります。

「我が娘トレアリィ……! この年でご主人さまを選ぶとは……! それに、この方は異星の方ではありませんか……! 我が娘トレアリィ、それでいいのですか? あなたは一生のこんな早くから、このご主人さまに捧げて良いのですか?」

 ペリーの問いに、トレアリィはしばらくうつむいていました。

 が、やがてしっかりと顔を上げると自分の母親に告げました。強い意志を込めた口調で。

「はい……! わたくしは、ご主人さまと共に暮らして行く決心を固めました。ご主人さまと一緒に生きて行けるなら、どんな困難も辛く、怖くはありません。……だからお母様、わたくしをこの星に残してください!」

 そしてトレアリィは足を揃え、腰を大きく曲げてお辞儀をしました。

「お願いします、お母様……!」

「トレアリィ……」

 トレアリィの決心に、ペリー王妃はただ絶句、というような表情を見せました。

 自分の子が信じられないというように思っているのでしょうか。

「……」

 しばらく黙っていた王妃でしたが、ゆっくりと口を開きました。

「……我が娘トレアリィ、帰りましょう」

「お母様!」

 王妃の否定の言葉に、トレアリィは顔を上げました。

 その両目の端には、潤いが溜まっています。

「……聞きなさい、我が娘トレアリィ。ディディがいるとは言え、今のままではこの星で暮らすには不十分でしょう。一旦サスケハナに戻り、この星で暮らすための準備をしてから、貴方のご主人さまと暮らし始めるのです」

「お母様……」

 母親の言葉に、トレアリィの顔はやや明るくなりましたが、それでもなお釈然としない顔をしていました。

「……ギンガ様」

 ペリー王妃は銀河に向き直り、深々と一礼します。

「このように未熟な我が娘トレアリィですが、これからも我が娘トレアリィのことを大切にしてやってください……。どうぞよろしくお願いいたします……」

「いやいや……」

 ちょっとだけ慌てた様子を見せながら、銀河はお辞儀を返しました。

 が、髪の毛は相変わらず立っていて、目元も鋭いままです。

(──まだ元に戻らない。一体なんなのこいつ……?)

 銀河を観察していた美也子が、首を捻ったときでした。

 お辞儀を終えたペリー王妃が、何かから開放され、楽になったような笑顔を見せました。

 そしてがらっと口調を変え、こんな事を言ったのです。

「さあて……。我々の存在が地球人に知られた以上、地球の各政府との条約を結ばせてもらいますわねー」

「え゛?」

 美也子は、その言葉を聞いた瞬間、胸に悪い予感がよぎりました。

(──この異星人達、なんか企んでるー!?)

「そう、条約やんすよ。国と国とが何らかの関係を結ぶときに決めるのが、条約でやんす」

「ま、まあそれは知ってるけど……」

 ディディの説明を飲み込んだ美也子でしたが、悪い予感は止まりません。

 その予感は、ペリー王妃とディディの言葉で具体化しました。

「事故などにより、未開種族に知的生命体の存在を知られたら、必ず通商条約などを結ぶのが慣例となっておりますのよー」 

「……未開種族との条約は、文明のレベル差などの条件から、大抵が不平等条約となるやんすけどね。おわかりでやんすか?」

「……やっぱり!? 日米和親条約!?」

 二人の言葉に、美也子はようやく合点がいきました。

 なぜペリー王妃は、トレアリィがストーカーに狙われていると知っていながら、それを事前に阻止しなかったのか。

 なぜグライス人の艦隊は、トレアリィが地球に逃れたことを知っていながら、どうして早期に、内密に助けに来なかったのか。

(──全てはこのためだったのね!)

 マグマのような感情が、ふつふつと胸の奥から湧き上がります。

 美也子はペリー王妃の目前まで来ると、突っかかりました。

「あんた達! わざとストーカーを泳がせていたわね! そしてトレアリィを地球に行かせて、ストーカーも地球に降りさせ、誘拐するのを待っていたわね! そしてこの件で地球に介入し、不平等条約を結ばせ、しいてはこの地球を占領するつもりね!!」

「あら人聞きの悪い……。私達はこの件を起こしたわけではないわよ。この件に乗じただけですわ」

 しかし美也子のかみつくような追求も、ペリー王妃は平然と聞き流しました。

 こんな未開人にかまっていられますか、というような顔と声です。

「その方が性質悪いわよ……!!」

「さあて、我が娘トレアリィ、この惑星の全政府向けの演説を行うため、サスケハナに戻りますわよ。この現地人達とはおさらばしましょっ」

「はっ、はい……。お母様……」

 トレアリィは浮かれた母親の声に、未だに釈然としない声で答えました。

(ご主人さまとは少しも別れたくないのに。ご主人さまとはずっといたいのに。なぜここで帰らなければならないのでしょうか。 お母様はわかっておられない。ご主人さまの素晴らしさが)

 自身でも気がついていませんでしたが、トレアリィは、銀河に対し、彼女は姫君ではなく、より深い存在でありたいと言う思いで満たされつつありました。

 そんなトレアリィをよそに、美也子はペリー王妃に噛みついていました。

「待ちなさいよ、コラ……! あんたらの地球侵略に抗議するわよ……! 侵略反対!」

「何の権力も持たない貴方が抗議しても無駄よ。話はこの国の政府を通してちょうだいな」

「ぐっ……!」

 美也子はペリー王妃の言葉に、ただ歯噛み、うつむきました。

(たしかに、自分はただの一般人で、なにもできない人間で……)

 イズーの時と同じように、拳をギュッと握ります。

(──でも、どうにかできたら……!!)

 無言のままの美也子を目前に、

「こちらペリー王妃。サスケハナ、三名転送よ」

 とペリーは、月近郊にいるステーションシップに向かって呼びかけました。

 しかし。

 青い光の門は、現れませんでした。

「……あれ、どうしたのかしら? ……サスケハナ、三名転送よ! サスケハナ!?」

 何度呼びかけても、何も起きません。

「どうしたんですの……?」

 トレアリィが首を捻ったときです。

 何事かを調べていた様子のディディが、何かを見つけたような顔で言いました。

「お妃様、姫様、この星の周辺に大規模な転送妨害波が発生しているでやんす! これでは衛星の周回軌道上にいるサスケハナまでゲートが開かないでやんす!」

「なんですって……?」

「どういうことなんですか……? 一体誰が……!?」

 そうトレアリィが、問いかけた時でした。

「俺さ。俺、いや、俺の艦が、転送妨害波をかけているのさ」

 そんな声が、部屋の片隅から飛んできました。

 声の主は、リビングで今までの状況を黙って見ていた銀河でした。

 彼の声は、尊大な王のそれにも似ていました。

「ご主人さま……!?」

「ギンガ様……!? 貴方は現地人のはずでは……!?」

「銀河……!? あんた何言ってるの……!?」

 トレアリィ達は、一斉に戸惑いの声を上げます。

 それに対し『銀河』は、淡々と、しかし何者も許さぬというような口調で、

「よぉ……、黙って聞いていれば、不平等条約を結ぶだと? あんたら、この地球の市場が、あるいは資源が欲しくて、こんなことをしたんだろうが……」

 一旦『銀河』は言葉を切り、さらに語気を強めて言いました。

俺達・・・がいる限り、そんなことは許さねえぜ!」

「銀河はん、あんさん急に言葉遣いが乱暴になってどうしたでやんす!?」

「あ、あなた……。不敬ですよ!」

 戸惑う二人をよそに、トレアリィは、急に険しい表情になって問いかけました。

 先ほどの銀河と接したのとは違う、どちらかと言うとイズーに対する態度に似た態度で。

「あなた……、ご主人さまの精神パターンじゃないわね!? 一体誰ですか!?」

 同時に美也子もなにかに気づきました。そして猫が怒るような顔で、

「……あんた誰!? あんた銀河じゃないわね! もしかしてトレアリィ達と同じ異星人!?」

 声を絞り出すように問い詰めます。

 二人に問いかけられた『銀河』でしたが、彼は平然とした顔で、

「俺? 俺はあんた達がよく知っている『天河銀河』だぜ? それ以外の何者でもないが?」

 そう不敵に返しました。しかしその変貌ぶりは、彼の言葉とは全く逆です。

 それから、

「美也子、よく知ってるだろ? 俺が学校で、女とイチャイチャしているところをな?」

 と美也子に向け、問いを投げかけます。

 問いを受け取った美也子は、少し戸惑いながらも、ある事を思い出していました。

「たしかにあんたって、ときどきこんな時もあるけど……。でも……」

(──この『銀河』。一体何者なの!?)

 大海を漂流しているかのような面持ちで立ち尽くす、四人の異星人と地球人の女性達。

 その四者四様の姿を見ながら、ソファに座りながら唇のはしを歪める『少年』。

 窓の外では日は既に暮れ、宇宙そらとつながっている宵闇が支配しています。

 天河家のリビングは沈黙に覆われたまま、時が過ぎようとしていました……。


 銀河は、トレアリィ達は。これから一体、どうなってしまうのでしょうか……?


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