第2話

「これ顔がおかしいよ、まちがえて編んじゃったの?」

 晩御飯を食べる手を止めて心配そうな顔をする息子に、結衣子は噴き出した。帰宅後に裁縫道具を取り出した結衣子を、息子は興味津々に眺めていたのだ。

「やっぱりそう思うよね」結衣子は手にした例の編みぐるみを食卓に置く。「フリーマーケットで買ったんだけどね、顔をつけ忘れたらしいの。それで家にあった材料で付けてみたんだけど……」

 そう言って自分の完成させた作品に、再び噴き出す。

「顔の部分が明らかに平板なのよね。勢いで作っちゃったのか、単純に製作途中だったのか。とにかくどうやっても人の顔みたいになっちゃうの」

 結衣子の笑い声に、黙々と食事を口に運んでいた夫が覗き込む。

「それ、件じゃないか?」

「クダン?」

「そう。事件の件と書いて件、日本の妖怪だよ」

 妖怪、と呟いて、結衣子は張さんの言葉を思い出した。

「確か中国の妖怪とか、神獣というものをモチーフにしていると言っていた気がする」

「そしたら、日本の妖怪も作るのかもしれないね」

 そう言う夫の目は、明らかに輝いて見えた。

 夫は妖怪や怪談の類が好きだ。といっても、たまに書籍を買う程度で、傍目にはオカルトマニアらしい感じは微塵もない。しかし結衣子は、夫がそういう類の存在を信じているのだという確信があった。墓から帰ると清めの塩を身体に振り撒く、暦書の方位を必要以上に気にする、部屋の目立たぬところにお札を貼る――そういう些細な行動に、夫の怪異への信用が表れていた。

「その件というのは危ない妖怪なの?」

「件自体に害はないようだよ。なんでも生まれて数日で死ぬらしいが、その間に作物の豊凶やら戦乱なんかの予言をするらしい。そしてその予言は全て当たるというんだね」

 へぇ、と相槌を打ちながら、自分の完成させた妖怪を見る。この半人半牛の異形の存在が人語を話し始めたら卒倒してしまうだろうが、どうみてもこれは編みぐるみ以上のものではない。

「害があるわけじゃないのね?」

 念を押すと、夫は頷いた。

「厄除けとして絵を貼り付けていたこともあったようだから、悪いものではないだろう」

「じゃあテレビの横にでも置いておこうかな」

 結衣子は厚意で頂いたトラの編みぐるみを出して並べる。

「これ、無料で頂いたの。可愛らしいでしょ」

 すぐさま手に持って眺め出した息子を、夫はぽかんと不思議そうに見つめる。

「テレビ横でいいでしょ?」

「ああ……」

 夫は生返事をして、編みぐるみを握った息子の手元をぼんやり見つめていた。


 三日後のことだった。

 夫と子供を送り出して居間の掃除をしていた結衣子は、ふとテレビ台に置いていた件の編みぐるみが消えていることに気付いた。

「子供部屋かしら」

 息子が持っていったのだろうかと思いながら廊下に出ると、息の荒い虎吉と鉢合った。

「なるほど、あなたが持ってたのね」

 虎吉の口は、茶色の編みぐるみをがっしりと銜えていた。結衣子は手を出して、「さ、渡して頂戴」と呼びかける。すると普段は従順な彼が、急に回れ右をして駆け出した。

「こら、待ちなさい」

 主人の制止も聞かず、家中を駆け巡る。和室を軽快に走り抜け、ダイニングの下をくぐり、風を切って縁側へと駆けていく。

 結衣子が追いかけるのに疲れ果てて居間へ戻ると、虎吉はソファの上で蹲っていた。鋭い歯と前肢を使い、一心に件の編みぐるみを引き千切っている。

 溜息をつきながら近寄ると、彼はぼろぼろに解体された編みぐるみを置き捨てて、平然とどこかへ行ってしまった。

「あらら、これはもう直せないかな」

 中綿の飛び散った悲惨な胴体を手に取る。すると、綿の隙間から何か四角い紙のようなものが飛び出しているのが目に入った。

 何だろうと思いながら抜き出す。それは名刺サイズの紙の二つ折りで、内側には何やら店の名前や電話番号が印刷してあるようだった。

「手芸教室……××ショッピングモール二階……毎週土曜……」

 何やら勧誘広告らしき文面を何度か声に出す。手芸教室という文面と、憐れな姿の編みぐるみ――それらを見比べて何度目か、結衣子はようやく、張さんの娘さんの手芸教室であることに思い至った。


「洒落た人だね」

 風呂上がりにテレビを見ていた夫は、ソファであくびをしながら結衣子にそう返す。

「洒落てるかしら。確かにうちに犬がいることを張さんは知っているけれど、作ったのは彼じゃないのよ。ペットがぼろぼろに壊すことを想定して、中にチラシを入れておくなんて、妙に用意周到で気味が悪いわ」

「手芸教室の生徒の作品なら、娘さんが入れておくよう指示していたんだろう。もしペットなり子供なりが破壊したときは、きっと直したいと思うだろうから。そんなときに制作者らしき手芸教室の番号が入っていれば、行ってみようと思う人もいるんじゃないか」

 暢気な調子で返答する夫に小さく溜息をついたが、確かにそう考えれば洒落ている、というより商売として上手く誘導している気はする。

「一度行ってみてもいいと思う?」

「どこなんだい」

「それがね、市内のショッピングモールの手芸屋で開かれている教室らしいの。そこの手芸屋には何度も行ったことがあるから、安心と言えは安心なんだけど……」

「そうか。なら行ってみたらどうかな。とりあえず壊れた編みぐるみを作り直すために」

 そうね、と結衣子は頷いたが、本心はまだ迷っていた。編みぐるみを直したいという思いはある。しかも件の編みぐるみなのだ。それがああも無残になったまま捨ててしまうのは不吉な気がした。

 しかしどこか違和感がある。中国の妖怪の中から件を選んで買い、それを虎吉が破壊し、娘さんの手芸教室へ行く――。

 ――あまりにも流れが出来過ぎている。

 買ったのは結衣子の意思だが、それはトラを無料で貰えることを心苦しく思ったからだ。

 誘導されている、という感覚を払拭できないまま、結局結衣子はチラシの連絡先に電話をしてしまった。娘さんと思しき中年女性の声に慇懃な応対をされ、活動内容を一方的に紹介されると、今週の土曜日にお試しで行くことがとんとん拍子に決まった。

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