第37話 旧神の呼ぶ声
リリアーヌは固く目を瞑り、恐怖に震える足を、高い橋桁の上から空へと踏み出した。
川の水面まで真っ逆さまに落ちながら、これまでのことが走馬灯のようによぎっていく。
西の牢獄塔でニコラから聞かされた話は、今までのリリアーヌの主神フレイアへの信仰と、聖女としての価値観を翻してしまうものだった。
リリアーヌのラグランジュ一族は、
ニコラが祖国で見つけた朽ちかけた礼拝堂は、主神フレイアではなく、カモフラージュされた古き神が祀られていた。
残されていた身内の司祭の日誌には、一族が昔からずっと、古き神を信仰していたことが書き残されていた。
かつてこの大陸に、別の大陸から大勢の人々が海を渡ってやって来た。
後から来た人々の信じる主神フレイアとその教えが、中原の国々に広まり、やがて国教となって、大陸を圧巻していく。
もとから大陸にいた人々が信仰していた古き神々は、邪神として忌み嫌われるようになる。
そして古き神を崇める人々は、異教徒として迫害され、改宗を迫られるようになった。
新しき神は古き神に取って代わり、かつて崇められていた神の名とその存在も、人々の記憶から失われて行った。
ただし、ラグランジュの一族を除いて。
ラグランジュは、誇り高き偉大な民の末裔だった。
一族は、はるか昔、まだ神と人の距離が今よりずっと近かった時代から、古き神の恩寵を得ていた。
彼らは表向きだけフレイア教に改宗した振りをして、隠れて古き神を信仰し続ける。
一族は子供たちがある一定の年齢に達すると、古き神への信仰を伝えていた。
ただしリリアーヌとニコラは、その年齢になる前に孤児となってしまった。
二人はプロヴァリー王国で教育され、主神フレイアの聖女として、また聖騎士として、あるべき姿を刷り込まれた。
教会は繰り返し教える。
聖女の力は主神フレイアから来たものである。
よってその力を人々のために使い、
司祭の日誌には、古き神の聖女についても細かい記録が記述されていた。
聖女は、紅髪金色の瞳を持つ一族の娘から、古き神によって選ばれる。
代々の聖女には、一族に伝わる
そして、聖女の力は
リリアーヌの身体が水面に落ちて、川底へと沈んで行く。
暗い水底から、古き神の呼ぶ声が聞こえて来る。
これまで理解できなかった言語が、思考の形でリリアーヌの中に伝えられた。
古き神は、自らの失われた民に呼びかけていた。
天上の神界の版図は、地上の人界の人々の信仰に影響されている。
人々に忘れられた古き神は力を失い、海底の廃墟に封印されていた。
――水中で追いついたニコラが、リリアーヌを抱きしめる。
携帯していたナイフで、素早くリリアーヌの手足の縛めを断ち切った。
ニコラは自分の肺の空気を渡そうと、リリアーヌに口づけた。
リリアーヌの真紅の髪が、水草のように揺れる。
日に焼けた長身のニコラのたくましい腕は、川の流れの中でリリアーヌを失わないようにしっかりと華奢な身体に回された。
ニコラの黒曜の瞳と、リリアーヌの黄金の瞳が交差する。
ふたりの唇が重なった時、リリアーヌたちは互いが離れ離れになりませんように、と一族の古き神に祈った。
リリアーヌの手首にはめられている、亡き父から貰った形見の
やがて光は、眩いまでの強さで輝き、辺り一面を真っ白な世界に変えた。
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