第31話 神明裁判 3

 


 雲一つない青空の広がる日。


 リリアーヌは、王宮前を流れる川に架けられた、アーチ式の土台が砂岩で出来た石橋の上で、手足を縛られて立っていた。


 教皇は金銀糸をふんだんに使った豪奢な祭服を着て、これから川の水に清めの儀式をほどこし、決められた口上を読み上げて、神に真実のうかがいを立てる準備をしている。



 これから厳粛な神判が行われようという時に、群衆の中から悪いうわさを信じた者たちから、ののしりの声が上がった。


「人殺し!」

「偽りの聖女!」

「神罰を、神罰を!」


 娯楽が少なく抑圧された階級の人たちにとって、王妃の生死をかけた神判は、日頃のいいうっぷん晴らし、恰好の見物だった。


 孤児院や貧窮院から来た者たちは、救国の聖女のなれの果てを憂い、この国と自分たちの行く末に不安を覚え、神に祈った。




 神判の前に教皇は、リリアーヌに赦しの秘蹟を行うように勧めた。


 それは、死ぬ前に犯した罪を聖職者に告白し、神に罪の赦しを願う典礼サクラメント

 教皇からリリアーヌへの慈悲深き配慮に見え、その場に居た聖騎士団もそう思った。


 リリアーヌが頷くと、橋の上を統率して群衆が近寄らないようにしていた聖騎士団が、二人からすこし離れ距離を置いた。

 教皇とリリアーヌを尊重し、話している内容が聞こえないように。




「回心を呼びかけておられる主神フレイアの声に心を開き、神のいつくしみに信頼して、あなたの罪を告白なさい」


 教皇が、教典にある呼びかけの言葉をかける。

 けれど真実の告白を求めるのは、リリアーヌの方だった。


「――聖下。なぜこんな茶番をするのですか。

 最後に、本当のことを教えてくださってもいいでしょう?

 私が邪魔だからと言って、この神判をする必要がありましたか」


 リリアーヌは、あの明晰夢で見たことを確かめるように問いかけた。


「いいでしょう、教えて差し上げます。

 私は……先代教皇の葬儀の日、あなたが主神フレイアの神託を受けた時から、ずっと考えていたのです」


 教皇は語る。

 今や政敵はことごとく闇に葬り去り、富も権力も名声も手に入れた。

 中原の国々の王ですら、教皇の前にこうべを垂れる。


 だが、一つだけ懸念すべきことがあった。


 聖女リリアーヌが、教皇の権威に対して脅威になる可能性があるのではないか――。


 教皇選出会議では、ペドリーニ商会の命運をかけて巨額の賄賂を使った。

 にもかかわらず、結局彼が教皇の座を確定できたのは、葬儀の日の聖女の神託を自分に有利に働くよう情報操作したからだった。

 

 それでは今後、神託でもしも教皇にはふさわしくない、などと言われたら?



「聖女リリアーヌ。

 あなたは今日ここで、身の潔白を証明して、死ぬのです。

 その時果たして、主神フレイアは再び降臨なさるのでしょうか?」

「聖下は、神を信じておられないのですね」

「いや。神々がご自身の都合で動いていることを知っているのですよ。

 ですが私は今、神の奇跡が起こることを願っています。

 一度くらい、この目で見てみたいですからね」


 リリアーヌの視界に、決意に満ちた表情のニコラが映った。

 彼は今、聖騎士団の他の騎士たちから、勝手な行動をしないようにと監視下にある。



「教皇聖下。

 私はあの日の神託を、これを最後にとして、告げましょう。

 主神フレイアの言う私の選択の時とは、今日この日のことを言っておられたのです」

「ほう、それはそれは。

 確か、封印された古き神の呼び声に応えるなという、あなたの幻聴でしたね。覚えていますよ。

 このところひどく退屈していたので、その言葉が本当であることを祈りましょう」


 教皇は、穏やかに微笑んだ。


「国王陛下に、なにか言い残すことは? 

 もっともエレオニーは子が生まれたら王位につけて、摂政になるそうです。遠くない日にあなた方は黄泉の国で再会できるでしょう」


 リリアーヌの顔が悲し気に曇った。


「聖下が神託を信じていないのは、よく分かりました」


 贖罪の時間は、終わりを告げる。

 リリアーヌたちの側に聖騎士たちとニコラ、告発人のエレオニーが近づいて来た。


 この後、リリアーヌは橋の上から川に落ち、水の中に沈んだら潔白という判定が下る。

 決まりでは、一定時間の後、引き上げられることになっているのだが……。



「わたくしは、地下牢で王妃さまとあの騎士が、心中する方に賭けていたんですけど」


 エレオニーが楽しそうに笑った。


「でも、ここで王妃さまの最後を見物する方が、面白いわ」

「……なぜ、フェリクスを殺めてしまったの? あなたの子供なのに」

「あら知っていたの? だって子供なんて、またいくらでも産めばいいじゃない」



 その時、正午の鐘の音が鳴り響いた。

 時間が来て、リリアーヌは目を瞑り、橋の上から川へと恐怖に震える足で踏み出した。


 橋の上から川面までは、かなりの高さがある。

 石の錘をつけられたリリアーヌは、水しぶきを上げて川底へと沈んでいく。


 ニコラもすぐに後を追って、川へ飛び込んだ。

 他の聖騎士たちが、ニコラを抑え込もうとしたのをすり抜けて。


 流れる水の中で、ニコラはリリアーヌに追いつこうと必至に手足を動かして泳ぎ、川底へ潜った。



 リリアーヌとニコラは、示し合わせていたように主神フレイアではなく、に祈った。


 このまま二人が別たれてしまいませんように、と。



 麻布を着た華奢な身体にニコラの手が届き、冷たい水の中で彼の腕にしっかりと抱きとめる。

 蒼ざめたリリアーヌの唇に、ニコラは自分の唇を重ね、肺の中の空気を渡す。



 ゴボゴボと空気の泡が、水面に上っていく――。





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