第30話 神明裁判 2

 

 

 宮廷はひどく混乱していた。

 王妃が西の牢獄塔送りになり、老宰相は職を辞して宮廷を去ってしまったからだ。


 宮廷貴族たちは、一度消えたエレオニーの派閥が盛り返しているのを見て、時勢を見るのに聡い者たちから彼らの元へ集まっていく。


 国王のジェレミーはと言えば、王子の死、リリアーヌの投獄に続き、老宰相を失ったことが心に重く圧し掛かっていた。


 酒浸りになる王を慰めるのは寵姫のエレオニーで、心が弱っているジェレミーはすっかり彼女の言いなりになっている。



 これを見て真っ先に危機感を募らせたのは、亡き上王がジェレミーのためにつけた、選りすぐりの若き側近たちだ。


 王の秘書官や近衛騎士、侍従の彼らは、侯爵家に降嫁した王姉の元へ行き、現状を訴えた。


「このままあの寵姫に好き勝手にされたら、陛下や王国のためになりません」


 側近たちの話を聞いて、王姉とその夫たちがジェレミーを諫めようと王宮を訪れたが、エレオニーがそれを阻んだ。


「陛下は、王子の死を悼み、今はどなたともお会いになりたくないとおっしゃっています」


 衛兵たちが王の宮殿の前を固めているのを見て、王姉たちもその場は諦めるしかなかった。






 王都の教会も困惑していた。


 聖女リリアーヌが投獄され、教皇が神明裁判を執り行うという信じがたい知らせが届けられたのだ。


 フレイア教のシンボル的な存在だった聖女がこのようなことになったせいで、王都に悪いうわさや流言が横行している。


 不安に駆られた信者たちが、教会に押しかけて来た。

 聖職者たちは、みなその対応に追われていた。



 リリアーヌが、奉仕に通っていた孤児院や貧窮院の人々も、この事件を聞いて心を痛めていた。


 王妃の世話になった寡婦や孤児たちは、神明裁判が行われる王宮前を流れる川の橋もとへと向かう。

 正午の神判の時に、王妃の潔白と無事を祈るために。



 王宮前には大勢の人々が、この神明裁判を見るために集まっていた。



 王都に流れている聖女リリアーヌの悪い噂は、ペドリーニ商会の手の者たちによって流されていた。


 リリアーヌの実際にはありもしない、悪しき行いの数々が吹聴されている。

 それと対照的に、エレオニーは王妃に我が子を殺された悲劇の母として、同情を誘うように操作された。


 文字の読めない人々のために配られたかわら版には、魔女のような怖ろしい姿の王妃が赤子を殺し、寵姫が泣き崩れる絵と、魔女が教皇によって裁かれ、水に沈められる様子が描かれている。


 王都の人々は情報を得ようと競ってかわら版を買い、うわさはたちまち王都から国中へと広まっていく。






 ジェレミーは空になったゴブレットにワインを注ごうとして、酒瓶が空になったことに気づく。


 足元には空の酒瓶がいくつも転がり、部屋の窓は閉め切られ、空気は淀んでいた。


「誰かいないのか……酒を持って来い!」


 返事がないので、おぼつかない足取りで部屋から外に出ると、いつも近くに控えている従者や近衛騎士の姿が見えない。


 側仕えを捜して、フラフラと宮殿の廊下を歩いていると、窓の外から群衆の声が聞こえてくる。


 小高い丘の上の王宮の上階の窓から眼下に見えるのは、王宮の庭園を囲む城壁に沿って流れる川、橋の向こうにある王宮前広場とそこに集まるおびただしい群衆の姿だった。


 ジェレミーは、ようやく廊下に居た下働きの女中を捕まえた。


「いったい王宮で、なにが起きているのか」


 女中はひどく怯えた様子で答えた。


「ひっ、王さま! こ、これから、王宮前で王妃さまの神明裁判が行われるんです。

 王宮の人たちは、みんな、貴族も平民も神判を見に行っています。

 あたしは先輩から言いつけられた仕事があったんで、遅れちゃったけどこれから行くところです」

「なんだと! 余はそんなこと聞いておらぬっ」


 ジェレミーは女中を突き飛ばすと、宮殿の外に出た。


 エントランスホールに居るはずの衛兵の姿もなく、仕方なしに厩舎まで歩いて行く。

 やはりというか、厩舎にも馬番が居ない。


 普段は宮廷貴族や役人、女官、使用人、衛兵など大勢の人で溢れている王宮が、にわかに無人となっている。


 ジェレミーは不吉な予感がしてならない。


 王にかしずいていた数多の人々が、今は誰も側におらずその不便さに、ジェレミーは悪態をつく。


「職務放棄とは、いい度胸だ。あとで全員、罰をくれてやる」


 手近な馬に鞍を置くと、酔いにふらつく身体でなんとか跨った。


 王宮の広い庭園を過ぎて、城門に辿り着くとそこはもう人だかりで前に進めない。


「どけっ、無礼であろう。余を誰だと思っている」


 群衆は酔っ払いのジェレミーよりも、橋の上にいる教皇と聖女リリアーヌに釘付けになっている。


 いつの間にか、前も後ろも群衆に囲まれてしまい、ジェレミーは馬から降りるしかなかった。



「陛下? 陛下ではありませんか! なぜ供も連れずお一人で、こんなところに」


 やっと王の側近の近衛騎士が、ジェレミーを見つけた。


 近衛騎士は群衆をかきわけて王の側に近づくと、プンと酒の匂いがしたので思わず顔をしかめた。


「おい、お前。説明しろ。これはどういうことだ?」


 バランスを崩して倒れ掛かるジェレミーを、あわてて騎士が支えた。


「王妃さまがご自身の潔白を証明するために、神明裁判を願い出たのです。

 それによって王妃さまは王国法の下から外れ、神の裁きに委ねられることになりました。

 もう何人たりとも、これを止めることは出来ません」

「リリアーヌめ、勝手なことをっ。余は許さん、許さんぞ!」


 側近は、ジェレミーが神判を見守れるようにと、群衆を押しのけ、前に出た。


 酔いに濁ったジェレミーの視界に、白衣を着せられ真紅の豊かな髪をなびかせたリリアーヌの姿が映った。


 王妃は、両手両足を縛められてなお、凛として真っすぐ前方を見ている。


「……っ! リリアーヌっ」


 教皇が口上を述べ、聖水を橋の上から川に注いで聖別する。

 これで罪ある者は聖別された水から弾き出され、罪なき者は水の中に沈むということになる。


「や、やめろ――――っ! 誰か、止めさせてくれっ!!」


 今にもリリアーヌが橋の上から川に落とされようというとき、ジェレミーは絶叫していた。

 

「あれは、リリアーヌは、余の聖女だ。余のものだ! 余から奪われることなど……あってはならんっ」


 突然、ジェレミーは、リリアーヌを永遠に失うかもしれないという現実に直面する。

 酔いから我に返って、恐怖と絶望感に襲われた。



 そして、リリアーヌを見つめながら、滂沱の涙を流す。



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