第19話 悔悛する国王

 

 

 新教皇には、ペドリーニ枢機卿が即位した。


 先教皇葬儀後の十二人の枢機卿による教皇選挙は混迷したが、聖女リリアーヌに神託が降りた出来事が最後の決め手となった。


 聖地神託調査官による公式記録によれば、神託の内容について聖女は『主神フレイアは重要な選択について語られた』という。


 『重要な選択』とは、もちろん教皇選挙のことである。


 聖女は神託が降りるとすぐにペドリーニ枢機卿との面会を望み、葬儀の直前に二人だけの話し合いの時間を持った。


 後になって、ペドリーニ新教皇はその時のことを振り返り「主神フレイアから、人々を導くための精霊が下った」と話した。



 教皇戴冠式は、大聖堂宮殿で厳粛に取り行われた。


 中原に限らず大陸中の様々な国々から多くの信者たちが集まり、大聖堂前広場に詰めかけて、新教皇の誕生を歓迎する。


 やがて新教皇がバルコニーに現れ「聖地から世界へ」ではじまる在位最初の祝福を人々に与えた。


「聖地から世界へ。奇跡の業を行う者に注意しなさい。それが主神フレイアから来る者なのか、邪神から来る者なのか、見極めなければなりません。邪神から来る者を警戒し、彼らを決して信じてはなりません――」






 プロヴァリー国王夫妻も、教皇即位戴冠式に列席し、その後帰国の途に着いた。


「ジェレミー、どうして私に、あのひとが懐妊したことを話してくれなかったの?

 馬車で旅している間、ずっと一緒に居たのに!」

「話そうとは思っていた。

 何度も言おうとして……、でも言えなかった」

「私は、新教皇からその話を聞かされたのよ。

 なんの心の準備もなく!

 私がどんな気持ちだったか、分かる?」


 帰りの馬車の中で、はらはらと泣くリリアーヌを前に、ジェレミーは心底後悔していた。


「悪かった、謝る。

 君が傷つくだろうと思うと、どうしても言い出せなかった。

 帰国する前までに、話そうとは思っていたんだ」


 思わぬ謝罪の言葉にリリアーヌは驚いて、ジェレミーを見た。


「本当は、僕は君との子供を望んでいた。

 でもそれが叶わないのなら、こうするしかなかった」

「ジェレミー……?」


 突然のジェレミーの悔悛と告白に、リリアーヌは戸惑う。


「エレオニーは遠ざけるし、生まれた子は君の子として育てよう」


 リリアーヌは信じられない思いで、ジェレミーの話を聞いていた。

 ジェレミーが、エレオニーをあっさり捨てようとすることへの不安も感じた。

 彼の言う事を真に受けたら、また傷つくのではないか、とも思った。


「そんな簡単に……」


(子供が欲しくても授かれなかった私の悲しみを、ジェレミーも感じて理解してくれていたのかしら。もしそうなら、やっぱり嬉しい)


 夫の言葉に今まで心に淀んでいた、澱が溶けていく気がした。


 ただ、ものごとは単純ではない。


「エレオニーを遠ざけるなんて、本当に出来るの?」

「少し前から考えていた。

 彼女には公爵位と、城を一つ与えよう。

 宮廷を去った後も、次期王位継承者の生母として体面を保った暮らしが出来るように。

 再婚を希望するなら、それも許す。

 それでこちらの誠意も分かるだろう」


 リリアーヌは、ジェレミーがこの場の思い付きで寵姫を遠ざけると口にしたのではなく、きちんと考えていたと知る。


「でも……彼女は納得するかしら」

「叔父が教皇になったんだ。

 今の公妾の立場は、教会の教義では不貞にあたる。

 このままではまずいと、エレオニーも分かっているだろう」

「ーー生まれて来る子を、取り上げてしまうのは……」


 母としてそれがどんなに辛いことか、と自分の身に置き換えてリリアーヌは考えた。


「庶子では正当な王位継承者として、認められない。

 子供のためにも、君が母親になって育てて欲しい」


 ジェレミーは席から身を乗り出し、向かいに座っているリリアーヌの手を握った。

 彼女よりしっかりした男らしい手で、華奢な両手を包み込む。


「もう一度、僕たちはあの浄化の旅をしていた頃の気持ちに戻って、やり直そう」

「――本当に? 本当に、信じていいの?」

「ああ」


 彼が王になってから感じていた心の隔たりを、一気に取り払らわれ――。


 ジェレミーの端整な顔がリリアーヌに近づく。

 黄金の前髪がかかった緑柱石エメラルドの瞳は、真剣な眼差しでこちらを見つめている。


 リリアーヌは、昔の純粋な王子だった頃の彼を思い出して、胸が詰まった。






「――それで結局、リリィはジェレミーを許すことにしたんだ?」


 気まずそうに話すリリアーヌに、ニコラは複雑な気持ちを抑え、茶化すようにお道化どけて見せた。


「ニコラにはたくさん心配かけて、申し訳なかったと思ってる」

「俺はリリィが幸せなら、いいんだよ。そんな顔しないで。

 丁度良かった、これから祖国に行って色々調べようと思っていたから。

 リリィを置いて行くのが不安だったけど、ジェレミーが改心して、しっかり守ってくれるなら安心だ」


 あれからニコラは、リリアーヌから神託の内容をくわしく聞くと、祖国に行くことを決断していた。

 自分たちの一族、ラグランジュ侯爵家について調べるために。


「でもニコラが一人で、祖国へ行くのは心配だわ。

 なるべく早く、帰って来てくれるわよね?」

「ああ、もちろん。俺はリリィの守護聖騎士だからね。

 これまでも、これからもずっと」


 しばしの別れを惜しむリリアーヌとニコラだったが、もう一人、この離別に納得のいかないエレオニーがいた。






「許さない、絶対に許さない……!」


 身重のエレオニーは癇癪を起し、ガシャン、ガシャンと次々にテーブルの上の茶器や、暖炉の上の飾り棚マントルピースに置かれた花瓶や燭台を床に叩きつける。


 床は割れた陶器の破片や水が散らばり、壁に飾られた絵画はペーパーナイフで切り裂かれ、豪奢な部屋は燦々たるありさまになっていく。

 侍女たちはすっかり怖れをなして、逃げ出した。


「見ていなさい、王妃リリアーヌ。

 決してあなたたちを、幸せになんかさせないから!」




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