第18話 凋落の予兆

 

 

「ペドリーニ……枢機卿猊下?」


 枢機卿があまりにもエレオニーと面影が似ているので、リリアーヌはひどく驚いた。


「主神フレイア神の御名の元に、平安あれ。お初にお目にかかります。聖女さまには、ぜひお会いしたいと思ってました」

「主神フレイアの御名の元に、栄光あれ。それは……どうしてでしょうか」

「もちろん、あなたが主神フレイアの、聖女さまだからです。どうぞお掛け下さい」


 天鵞絨張りの長椅子にリリアーヌが再び腰掛け、枢機卿はテーブルを挟んで向かいの肘掛椅子に座った。


「ゆっくりお話を伺いたいのですが、残念ながら聖下の葬儀の時刻が迫っています。単刀直入に聞きますが」


 枢機卿は興奮を抑えながら、やや身体を前に乗り出した。


「聖女さまが受けた神託は、次の教皇選出についてでしたか?」

「えっ? いいえ。フレイアさまは、私個人について言及されたように、思います」

「ほう。それは、どのような?」

「よくわからないのです。本当に、短い間の出来事で」


 ふむ、と枢機卿は身を引き、考え込むような仕草をする。


「聖下が崩御されたこのタイミングで、聖地の礼拝堂で聖女のあなたが神託を受けた。

 人々は、葬儀後に開始される教皇選出会議に対して、神から何かしらの啓示があったのでは、と紐づけて考えるでしょう」

「ですが、フレイアさまはそのことについては何も」

「聖女さまには、宣誓した後に一筆書いていただくことになります。

 神託の言葉についても、然るべき様式に則って、一言一句記録しなければなりません」

「……わかりました」


 柔和な表情で枢機卿は続けた。


「――先ほど修道女から、聖女さまは私から赦しの秘蹟を願ったと聞いております」


 リリアーヌは、ぐ、と言葉に詰まる。

 相手がおそらくエレオニーの縁者だろうと考えると、うかつなことは言えない。


「もちろん、直接主なる神と言葉を交わされたあとでは、ご不要でしょうが……。

 ところでエレオニーは、私の姪に当たります」


 やはり、とリリアーヌは思った。

 聖地の高位聖職者に味方になってもらおうという考えが、脆くも崩れ去る。


(味方どころか、むしろ――彼はエレオニーの後ろ盾になっているのでは)


「聖女さまのお側で、姪が良い感化を受けるであろうことを期待しております。

 彼女に課せられた責務についても、神の恩寵を頂いたと、私の元に知らせが届きました」

「……いったい、なんのことでしょうか?」


 枢機卿の意味深な言葉に戸惑うリリアーヌ。

 掌にじっとりと汗をかき、次第に鼓動が早まっていく。


「おめでとうございます――神はプロヴァリー王家に、新たな後継者を授けられました」


 枢機卿は口をつぐむと、慈愛深い笑みを浮かべた。

 その顔が、リリアーヌの記憶にあるエレオニーと重なり……。


(そんなっ……。ジェレミーは、私に何も言ってなかったのに!)


 リリアーヌは衝撃で息が止まり、血の気が引いていく。

 ぐらり、と身体が揺れると長椅子に突っ伏してしまった。


 その時、ドンドン! と応接室の扉が乱暴に叩かれ、許可を待たずにバン、と大きく開かれた。


「リリィっ! しっかりしろ」


 彼女を案じて探し回っていたニコラが、飛び込んで来た。

 枢機卿を無視して、リリアーヌのもとへ駆けつける。


「てめぇ、リリアーヌに何をした!?」

「……聖女さまはお疲れになったのでしょう、騎士殿。

 神託を受けるということは、人の子の身にとって、大変な負担となります。

 プロヴァリーの賓客には知らせておきますので、聖女さまは客室でゆっくりお休みくださいますように」

 

 睨みつけるニコラに全く動ぜず、枢機卿は淡々と話す。

 そして葬儀の時刻だからと断ってから退出し、代わりに修道女を呼んで聖女の世話を命じた。


 ニコラはリリアーヌを抱き上げ、修道女に案内された客室まで連れて行った。


「リリィ、何があったか話せるか?」


 リリアーヌを寝椅子カウチ・ソファに横たえた後、ニコラが小声で話しかけた。

 修道女が部屋の隅に控えているので、そちらを気にしながらリリアーヌは「ええ」と答えた。


 おそらくあの修道女は、ここでニコラと話したことをペドリーニ枢機卿に報告するだろう。

 そう思うと、リリアーヌは慎重にならざるを得ない。


 言葉を選びながら、礼拝堂で主神からリリアーヌに神託があったこと、枢機卿がエレオニーの叔父だったこと、そしてエレオニーが懐妊したことを、かいつまんでニコラに話した。


「――そうか、分かった。今は少し休め」


 ニコラは寝椅子の前に膝をつき、リリアーヌの手を握る。

 リリアーヌはうなずいて、目を瞑った。


 青ざめた白い頬に涙が一筋流れるのを、ニコラはじっと見つめていた。


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