第17話 降臨する神

 


 聖都の中心にあるシンボル的な巨大な大聖堂は、石造りのドーム型建築で、教皇の住まう宮殿兼教皇庁が隣接している。

 さらにその他、国賓など貴人を迎える迎賓館、修道士及び修道女、僧兵の宿舎、用途に応じた複数の礼拝堂などいくつもの建物や広場、回廊、中庭などが併設されている。



 プロヴァリー王国からの弔問団は、迎賓館に案内された。


「こちらで葬儀の時刻が来るまで待機していただき、後ほど案内の者と共に大聖堂へ移動していただきます。

 なお、聖女リリアーヌさまは、先ほど大通り広場にて穢れを受けられましたので、お清めをしてから大聖堂へお越しくださいますよう、お願いいたします」


 玄関ホールの前で、ひとりの修道女が前に進み出た。


「わたしが聖女さまを、お清めのための洗清舎までご案内いたします」


 リリアーヌが修道女と共に行こうとすると、ニコラも当然のように護衛するため帯同する。


 中庭には白や薄桃色のカルーナや薄紫のサフランの花が揺れている。

 その庭を囲む屋根付き列柱歩廊クロイスターを通り、洗清舎へ向かう途中で、ニコラはリリアーヌに小声でささやいた。


「昨日の話だけど、もしかすると、今がチャンスかもよ?」


 リリアーヌは頷き、修道女に話しかけた。


「修道女さま。私は教皇聖下の葬儀に参列するために聖地に参りました。

 ですがぜひ、この機会に枢機卿猊下げいかに赦しの秘蹟ひせきをお願いしたいのです」

「聖女さまが、猊下に赦しの秘蹟を望まれるのですか?」


 修道女はフレイア神によって選ばれた聖女が、犯した罪を高位聖職者によって聖霊を介して許されるという、秘蹟のわざが必要なのかと、驚いたように目を瞠った。


「はい。俗世に生きていますと、どうしても心ならずも罪を犯してしまうことが……。

 それで、プロヴァリーから来た人たちには、内密にお願いしたいのです」

「猊下は、教皇座空位の今、お忙しいですから」


 同情的な表情をしつつも、修道女は断った。

 リリアーヌは指から指輪を一つ外し、修道女の手に握らせた。


「どうか、さほどお時間は頂きませんから」

「……分かりました。一応、お話は通してみますが、ご希望に添えるかどうかは」

「ありがとう」 


 洗清舎の前まで来ると、修道女はニコラに留まるように言った。


「ここから先は、聖職者以外の立ち入りを禁じられています。騎士さまはここでお待ちください」

「えっ、俺は聖騎士で、聖女さまの守護を教会から命じられているんだけど?」

「規則ですので。聖女さまが身を清める間は、わたしが付き添わせて頂きます」

「……ニコラ、ここで待っていて」


 リリアーヌにたしなめられると、ニコラは仕方なしに頷いた。


 洗清舎の中に入ったリリアーヌは、控室で渡された前合わせの白衣に着替える。

 着ていた喪服の礼装ドレスは、洗清舎にいた別の修道女が「お清めして参ります」と箱に入れて持って行った。


 穢れを清める場所は、洗清舎の中にある小規模な礼拝堂だ。


 高窓が並んでいて、中は明るく開放的な雰囲気が漂う。

 左右に等間隔で天使の像が置かれており、正面の壇上には等身大の慈悲深く微笑む主神フレイアの像が安置されている。


 中央の床に大理石の浅い水槽が供えられ、真ん中に手洗い用の水盤が置かれていた。


「裸足でお清めの水に入って頂き、洗盤で手を洗われたら、お戻りください」


 リリアーヌは修道女に促されて、中央の水槽に入った。

 浅いスロープになっていて、水の深さは足首より少し上くらいだ。


 真ん中に設置された洗水盤で手を洗うと、リリアーヌは一歩下がり、壇上のフレイア神像に深々と礼を取った。


 すると、その時――。

 ゴォォォォと耳鳴りがして、深い水底からゴボゴボと泡が水面に向かって浮上するような音がする。


 夢の中で聞こえた、咳き込むような不思議な未知の言語で、何者かに呼ばれたような気がした。


 驚いたリリアーヌが辺りを見回すと、礼拝堂に居たはずの修道女の姿はなく――。


 静まり返った礼拝堂の正面の壇上にある神像が、まばゆいばかりに白く輝き始めた。


 

 

『大いなる……を目覚めさせてはならぬ』


 主神フレイアの像から、この世のものと思えぬほど美しい声が発せられ、リリアーヌに語りかけた。


 聞き取れない部分の言葉は、人が発音できない言語で、風が唸るような音に近い。


 圧倒的な存在感が礼拝堂を満たし、足元の水は波だつ。

 そして先程まで聞こえていた、水底から呼ぶ声はピタリと消え去った。


「神よ――」


 リリアーヌは主神フレイアの降臨に怖れおののき、その場に跪いて両手を前に組んだ。


『そなたは、大いなる……の祭司ラグランジュの最後の末裔。ラグランジュ一族がこれまでして来たように、海底の廃墟に封じられた……の呼ぶ声に応えてはならぬ』


 神像の光が消えかかり、神が去っていくのを感じる。


「私はあなたの聖女です。どうすればいいのか教えてください!」


『いずれ重要な選択をする時が来る。その時、我が言葉を思い出すがいい――』


「お待ちください、選択とは! 何を選べば……」


 神の気配は完全に消え去り、静寂が訪れた。


 あっという間の出来事だった。

 神の言葉は一方的で、意味不明。


 呆然とするリリアーヌだったが、


「聖女さま、しっかりしてください」


 いつの間にか修道女が水槽の中に来ていて、膝をついている聖女の肩を揺さぶっていた。


 リリアーヌはゆっくりと視線を移し、修道女と目を合わせる。


「あ……今のは、いったい?」

「分かりません。聖女さまの様子が、急におかしくなられて」

「神の声が、あなたにも聞こえなかった?」

「ええっ、神託を受けられたのですか!? すぐに上の者に知らせなければ」


 リリアーヌはもとの礼装ドレスに着替えさせられ、慌ただしく別の場所に連れて行かれる。


 豪奢な調度が置かれた応接室で待たされている間、ニコラが心配しているだろうと気になり始めた。


 誰かに言伝してもらおうと、天鵞絨ビロード張りの長椅子から立ち上がった時、部屋の扉が開いて一人の高位聖職者が入って来た。

 

「お待たせいたしました、聖女さま」


 黒の長い祭服の上に袖のゆったりとした膝までの上着、枢機卿だけが身に着けられる紫の外套ミトラを着た壮年の男。


「私は、ペドリーニ枢機卿です」


 白銀の髪に菫色の瞳、容姿端麗、まるでエレオニーを男性にして、もっと冷徹に、知的で忍耐強く年を重ねたような風貌の人物だった。

 

 


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