第11話 王妃の逡巡
離宮に、夜の帳が降りて来る。
窓の外は夕闇の紫に染まり、空には星々が輝き始めた。
温泉にゆったりと浸かった後、部屋で髪を乾かしたリリアーヌは鏡の前に座って、侍女に波打つ赤い髪をゆるく三つ編みに編んでもらっていた。
鏡に映る自分の姿を見て、リリアーヌはつくづく寵姫エレオニーとは正反対な女だと思った。
燃えるような赤毛に金の瞳の少女めいた華奢なリリアーヌと、サラサラと流れる白銀の髪に菫色の瞳の妖艶な肢体を持つ美女エレオニー。
「もう休んでいいわ。私も今夜は早めに寝るから」
寝衣に着替えると、侍女を下がらせる。
リリアーヌは、王族たちとの社交でたいそう気疲れしていた。
ジェレミーの両親や姉たちは、リリアーヌたちの夫婦関係を修復させる目的のために、この離宮に招いた。
彼らはリリアーヌに優しく接してくれるが、それも身内のジェレミーへの愛情あってのこと。
王太后や王姉たちから言外に「愛人の一人、一度の浮気くらい許してあげて」と言われているような気がして辛かった。
「それも、ただの浮気などではなく、ジェレミーは本気で寵姫にのめり込んでいたのに」
ジェレミーはリリアーヌになんの報告も相談もなしに、宮廷法で新たな制度「公妾」を作ってしまった。
フレイア教会の教義、一夫一妻に反することを、王国の法で定めたのだ。案の定というか、教会からは反発と非難が起こった。
教皇からも非公式ではあるけれど、ジェレミーに対して「霊的に成長するように」と誡告があったという。
中原で絶大な力を持つフレイア教会も、豊かで大国となったプロヴァリーの国王に対して「姦淫の罪を悔い改めよ」とは言えなかったらしい。
それを伝え聞いたニコラは、昔のやんちゃな子供時代のように、ひとしきり悪態をついた。
「は? 霊的に成長って何だよ。『お前は地獄行き、破門!』くらい言ってやれよ。そうすりゃ、同盟国からもハブられて、ジェレミーも少しはリリィの苦悩が分かったかもしれないのに。全く使えねーな、もうろくじじいめ」
――言葉は悪いが、リリアーヌも全く同じ気持ちだった。
「教皇聖下に八つ当たりしても仕方ないと、分かっているけど」
聞くところによると、中原の王侯貴族が密かに愛人を持つことは結構あるらしい。その程度で一々破門していたら、キリがないとか。
ただジェレミーのように、寵姫のために法律を作ってここまで大胆に教義に逆らった王はいない。
ジェレミーが好き勝手するのも、リリアーヌに後ろ盾となる実家がないためかと思うと、やるせなかった。
「聖女だからって、何でも受け入れて、いつも慈悲の心でなんかいられない。夫に裏切られて、憤りもする」
公妾となったエレオニーが豪華絢爛なドレスと宝飾品で着飾り、社交界でも大きな顔をしているのを見て、リリアーヌはめまいがした。
他国の外交官に対して、まるでこの国の女主人であるかのように挨拶し、もてなす様子を耳にすれば、とてもじゃないが穏やかな気持ちでは居られない。
公的な外交の一端も公妾の仕事になったと知らされ、華やかな社交は寵姫に奪われた気がする。
宮廷の人々から、同情と憐みの視線を向けられるのも嫌だった。
リリアーヌは逃げるように、教会の奉仕活動に打ち込むようになった。
教会が運営している孤児院には、特に熱心に通った。
子供たちの無垢な眼差しのなかに身を置くと、焼けつくような嫉妬や悲しみ、憎悪の感情が薄まっていく。
かつてのリリアーヌも、孤児としてこの国に来た。
昔の自分を思い出し、幼い孤児たちにご飯を食べさせ、風呂に入れて身体を洗い、絵本を読み聞かせる。
心の平安を得るために、礼拝堂で祈ることも多くなった。
教会の高位聖職者、大司教に相談したこともある。
「王妃の座を譲って、静かに暮らすことは出来ないでしょうか」
「いけません、王妃さま。主神フレイアの前に結ばれた婚姻は神聖なもの、教会は離婚を認めておりません。祈りなさい、苦難は神の与えたもうた試練なのです」
リリアーヌは大司教に諭されただけだった。
離宮に来る前日まで、ジェレミーはずっとリリアーヌを避けていた。
ここしばらく、公務で人々の前で同席することはあっても、ふたりだけで会うことも、話すこともなくなっていた。
「なのに、離宮に来てから急に態度が変わって。皆から見えるような場所で跪いて謝罪するなんて、ジェレミーはずるい」
あんな風に謝罪されてしまったら、ジェレミーを許さなければならなくなる。
仮にも『国王陛下』が、膝をついてリリアーヌに謝ったのだから、と。
ひとり言をつぶやきながら、寝室の中をぐるぐると歩いていたリリアーヌだったが、ふうと大きくため息を吐いて天蓋ベッドに腰を掛ける。
サイドテーブルに置かれたランプを消して眠ろうとした時、侍女が再び寝室に入って来た。
「王妃さま。国王陛下が、これからいらっしゃるそうです」
「何ですって?」
リリアーヌは驚いて起き上がった。
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