第2話 惨劇と亡命
峠の坂道を、ガタガタと揺れる馬車を守るように、前後並列して馬を進めるラグランジュ侯爵と騎士たちが下って行く。
「リリアーヌさま、もうすぐでございますよ。
あと少しでプロヴァリー王国の国境です。
国境さえ超えれば、プロヴァリーから出迎えてくれる護衛騎士たちも待っているし安心です。
今夜はお屋敷でちゃんとした食事をして、ベッドで眠れますね」
「わぁい、やったー!」
長旅のため、馬車の中で退屈し切っていたリリアーヌと乳兄弟のニコラは、乳母の言葉に大喜びだ。
リリアーヌの母親も、無邪気な子供たちの様子に思わず微笑んだ。
リリアーヌは、ジェレミーの治めるプロヴァリー王国の隣国の侯爵令嬢だった。
古くから続いているラグランジュ侯爵家には、秘密主義な一面があり、そのために様々なうわさや憶測がささやかれていた。
それは例えば実は魔女の末裔であるとか、あるいは大昔に伝説の勇者を輩出しただとか。
そんな一族に生まれたリリアーヌが、初めて力を発揮したのは、まだ小さな少女の頃だ。
ある日、領地の近くにある沼地から突然発生した毒ガスによって、近くの野生動物や魔物が死んだ。
それが
乳母と乳兄弟たちと一緒にピクニックに出かけていたリリアーヌは、運悪くその
ところが驚いたことに、小さなリリアーヌが、
それからリリアーヌは、本物の聖女ではないかと評判になった。
侯爵家には、まだ成人前の令嬢に数多くの縁談が舞い込んだ。
リリアーヌの両親は自国の王家からの勧めもあって、プロヴァリー王国の王太子ジェレミーを娘の結婚相手に選んだ。
一方、断りを入れた王侯貴族の一部からは恨まれることになった。
数年後、ラグランジュ侯爵は政敵によって陥れられ、国を追われる事になる。
両親はリリアーヌの婚約者が王太子なのを頼って、プロヴァリー王国への亡命することを決めた。
プロヴァリーへ向う一行の旅は、途中までとても順調だった。
それが国境を前に、あと一歩のところで敵が差し向けた傭兵たちに追いつかれてしまう。
侯爵家の騎士や家臣、リリアーヌの父親は剣を抜き、襲ってきた傭兵たちと激しい抗戦を繰り広げた。
「少女を殺すな、生け捕りにしろ!」
「貴様ら、リリアーヌさまが狙いか!」
「リリアーヌの馬車を守れ! もうすぐプロヴァリーから援軍が来る、それまで持ち堪えるんだ」
騎士や傭兵たちの怒号が響き、剣戟を交す音が打ち鳴らされる。
まだ少女のリリアーヌは、馬車の中で母親に抱かれて震えていた。
馬車の中で息を潜め、戦闘が終わるのをじっと待つことしか出来ない。
「大丈夫よ、お父さまは強い」
母親の自らに言い聞かせるような言葉。
そこへヒュンヒュンと風を切って飛んで来たのは、油を染みこませた火矢。
馬車にいくつか火矢が突き刺さり、バチバチと黒煙を上げ始める。
「何故だ――っ!」
ラグランジュ侯爵の、絶望した叫び声が響く。
馬が嘶き、馬車が大きく揺れた。
御者が悲鳴を上げて台から転がり落ちていく。
暴走を始める馬たち。
馬車の中で悲鳴が上がる。
リリアーヌたちの乗っていた馬車も、急に斜めに傾いだと思ったら、激しい衝撃に見舞われた。
母親の腕に抱かれていたリリアーヌは、窓の外へと放り出された。
「リリアーヌッ!」
母の悲痛な叫び声。必死に手を伸ばすのに、虚しく空を切る。――それが母との最期の別れになった。
外へ投げ出されたリリアーヌの華奢な身体を、誰かが受け止めてくれた。
――そして馬車は、崖の下へと真っ逆さまに落ちて行った。
「お母さまぁああっ」
ショックのあまり、リリアーヌはそのまま意識を失った。
そのあと、リリアーヌが目を覚ましたのは、襲撃から丸二日以上経ってからだった。
リリアーヌはプロヴァリー王国内の城の一室、暖かなベッドの中で柔らかなモスリンの寝衣を着ていた。
まぶたを開いてすぐ視界に映ったのは、寝ているリリアーヌを覗き込んでいる金髪の美しい少年。
宝石のような
「……あなたは、だぁれ?」
「僕は君の婚約者、ジェレミー・アラン・フィルベール・プロヴァリーだ」
「ジェレミー……?」
窓からあふれる光が部屋の中へ降り注ぎ、レースのカーテンが風に揺れる。
「おかあさまと、おとうさまは!?」
ジェレミーは、悲しそうな顔になり答えられずに口ごもる。
するとリリアーヌの瞳に見る見るうちに涙が溜まり、大粒の涙がポロポロと零れ出す。
「泣かないで、リリアーヌ。これからは僕がずっと側にいて、どんな時も絶対に君を守ってあげるから」
少年が慌てて少女を慰めようとする。
ラグランジュ侯爵家の一族は皆、戦いによって命を失い、リリアーヌと乳兄弟のニコラだけが助かったのだった。
ジェレミーはリリアーヌの小さな手を握り、涙にぬれる頬にキスをした。
「ああ、僕の聖女! 君が来てくれて、本当に嬉しいんだ」
ジェレミーから花のような芳香が匂い立ち、リリアーヌは深く息を吸い込んだ。
それは気持ちを静め、慰めと力を取り戻してくれるような香りで、とても好ましく思えた。
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