「よいしょ」


「え?」


「ひさしぶり。意外と事後処理に手間取ってさ。連絡できなくてごめん。死んだ人間だから」


 彼女。夢でも見ているかのような、表情。


「お。炭酸飲料」


 ノンアルコール。酔ってはいないらしい。


「炭酸のよさを分かってくれたんだな。うんうん」


「のめない」


「え?」


「のめない。たんさんが、つよくて、のめない」


 彼女。無理して頼んでいたらしい。


「じゃあ、俺が飲むね」


 カクテルを頼んで、炭酸飲料を自分のほうに引き寄せる。注文のときに、店員に仕込みをすると伝えた。頷く店員。


 全ての仕込みを終えた。あらためて、彼女がさっきまで飲んでいた炭酸飲料を飲もうとして。


 別なものが、口を塞いだ。


 キス。


 ぷちっ、という音。唇が少しだけ吸われて。また、ぷちっ、という音で離れる。


「夢だと、思った?」


 彼女。だんだん現実だと分かってきて、顔が、だんだん朱くなる。


「うそ」


「ほんとだけど。仕事がようやく終わった」


「なんで。死んだってニュースで」


「そういう段取りなんだ。伝えようと思ったんだけど、電話が途中で途切れちゃってさ。ごめん」


「好きって言った」


「言ったね」


「ほんとに?」


「ほんとに」


「わたし。なんのとりえもないよ。もうすぐ30だよ。なにも。あなたにしてあげられこと、わたし、なにも、ない、のに」


「そこがいいんだよ。普通で、尖ってないところが。一緒にいて、安心する」


「うう」


「でも、公衆の面前でキスするタイプだとは思わなかった。ちょっとびっくりしてるよ」


「もういっかいする」


「ストップ」


 顔を近づけてくる彼女を、制した。


「はずかしいから。ほら。ね。そういうのは。人のいないところで」


「死んだって、テレビで、やってたとき。わたしも、しのうと、おもったんだよ?」


「そっか」


「なんで、なんでそんな、そんなことを。簡単に」


「死にたいんだよ、俺。むかしからずっと、死にたかった。だから、危険な仕事だけを受けてさ。ばかみたいだよな」


 彼女。じっとしている。


「でも、このバーであなたに会って。死ななくていい、普通の生活もいいかなって、思ったんだ。だから、一回死んで、色々とリセットしてきた」


 彼女。涙が、ぽたぽたと卓に落ちていく。


「そんなに悲しまないでくれよ」


「かなしくなんてない。うれしいの。今日。ここで。あなたに会えたことが。それだけで。わたしは、しあわせ、だから」


 カクテルが、運ばれてきた。


 彼女。美味しそうに、呑む。


「そのカクテル。なんていうか、わかる?」


「しらない。美味しいんだから、名前なんてどうでもいいわ。あなたがいてくれるだけで。それでいいの」


「マリッジカクテルだよ」


 カクテルの底。全て呑み終わったあと。グラスの底の透過する部分。裏側に。


 指輪を隠してある。

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