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 死ぬまえに。

 もういちどだけ、バーに行こうと思った。


 下を向いて歩く。仕事帰り。ネオンの灯りも星空も、眩しすぎて見れなかった。

 バーの扉を開けて。いつもの席に座る。彼は、もう二度と、現れない。


「炭酸飲料をください」


 彼と同じ頼みかたをした。

 この前の、炭酸が強くて飲めなかったジンジャーエールのようなものが、運ばれてくる。


 彼の飲み跡を、無意識に探す。そんなもの、存在しないのに。

 ひとくちだけ。口に含む。


「っぐ」


 強い炭酸。舌の上で。ばちばちと弾ける。


 飲み込んだ。


 涙が、出てきた。


 彼を失った涙ではなくて、炭酸が強すぎる涙だと自分に言い聞かせる。

 振られたと思えばいい。彼には恋人がいて。告白して断られたんだと思えばいい。


 できなかった。


 彼は。


 最期に、わたしに電話をして。


 好きだと言い遺して。


 もう、いないのに。

 彼のことばかり、考える。

 わたしも死んで、あなたのところに行きたいけれど。

 わたしには、そんな勇気がないから。

 きっと、これからも。普通に押し込められて、普通の生活を送るんだろう。


 彼のいない、普通を。果てしなく長い、生活を。そして、そのなかで適当な相手を見つけて、妥協で結婚して。


「いらない」


 そんな普通。いらない。


「あなたさえいれば」


 触れなくていい。前のままでいい。彼がいてくれたら。それだけでよかったのに。


「また、ここに座ってよ。わたしの、隣に」


 呟いた声は、炭酸飲料の弾ける泡の音よりも、小さかった。

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