第7話 和解

 ようやく、警察が本気を出した。別荘地に、次々とパトカーが到着した。僕たちは店のみんなに、銀子を見つけたと電話をかけた。夕方になり、森の中はすっかり暗くなった。寒さも秒刻みに厳しくなった。でも僕たちは、みんな明るかった。

「俺の情報提供、なんて言い訳すればいいかな?」

 下田さんだけ、とても動揺していた。プローブ情報を無断で開示したことが、バレると怖いようだ。

「堂々としてればいいじゃん。正しいことに、使いましたって」範子さんが、ちょっと怒って言い返した。

「記者会見は、大竹さんと斉藤さんでお願いしますね」と、僕は言った。

「ええー!?」斉藤さんが、思い切り嫌な顔をした。一方大竹さんは、構わない風だった。

「ここまでやっちゃったから、知らんぷりして帰るわけにはいかないね」と、温子さんが言った。

 話し合いの結果、大竹さんと範子さんがマスコミ応対役になった。

 銀子は病院に直行、即入院となった。アメリカンさんが付き添い、今夜仕事を休んで病院に泊まることになった。明日、ブルさんもこっちへ来るそうだ。

 それから僕たちは、地元警察署で一人ずつ事情聴取。続いて、警察、僕たちの順に記者会見。全部終わったのは、22時だった。もちろん、みんな疲れていた。でも、疲れを感じなかった。目が冴えて、頭も冴えていた。

「ねえ、やったね。私たち」と、帰りの車で範子さんが言った。

「やったな」と、大竹さん。

「やった。すごい」と温子さん。

「やりましたね」と、僕。

「いや、すげえよ。朝の時点じゃ、予想できなかったよ」と、斉藤さん。

「郁美がね」と、また範子さんが代弁した。「人生で、一番成功した日だって」

「そうだよな。みんな、そうなんじゃない?」と、大竹さんが言った。

「賛成でーす!」

「同感!」

 みんな大声を出した。

「でもさ、犯人の協力者が現れたときは、怖かったー」と、温子さんが言った。「だって、見るからに強そうなんだもん」

「怖かったです」と、僕は正直に答えた。

「大竹さんは目が回ってるし、進はもう死を覚悟した顔してるし。今なら、笑い話だよねー」と、温子さんが言った。

「俺は、飛び膝蹴りの準備をしてたんだよ」と、大竹さんが言い訳した。

「ホント、申し訳ない。大事なときにいなくて。まったく範子がさ、洋服は駅前で売ってるって聞かないからさ。駅前行ったって、観光地じゃ土産物屋しかないんだよ。あれで時間ロスした」と、斉藤さん。

「自分だって、勝手にホームセンターにばっか車停めて。ホームセンターは作業着は売ってるけど、女の子の服があるわけないじゃん!」と、怒り心頭の範子さん。

「まあまあ、いいじゃない。銀子の服は間に合ったんだから」

「まあねー」

 このままこの車で、ずっと走っていたいと思った。みんな、素晴らしい人たちだ。みんな、心から信頼できる。でも、みんな家に帰る。僕も家に帰る。厳しい現実に、戻らなくちゃ。


 真犯人は、翌日捕まった。八王子に住む、二十代の会社員だった。別荘は高齢のおじさんのもので、好きに使っていいと言われていたそうだ。僕たちの誰も、犯人の顔に見覚えがなかった。というか、一度見てもすぐ忘れそうな、とても平凡で普通の人だった。とても、犯罪者には見えなかった。そんなものなのだろう。

 僕らは地元警察で、表彰された。表彰式には、下田さんと大竹さんに出てもらった。下田さんはデータの無断使用でひどく怒られたらしく、警察の表彰で挽回しようというのが僕たちの作戦だった。

 店には、お客さんが戻ってきた。というより、店は観光名所になってしまった。一番名を上げたのが店長だ。「誘拐事件を解決に導いた、天才的リーダー」という、ありがたい肩書きが店長についた。地元の各行事でスピーチは頼まれる、マラソン大会のスターターになる、中学生野球大会の始球式は務める、もう時の人だった。

 でも最年少の僕は、変わらぬ日々を過ごした。年上のみなさんの影に隠れていればよかった。僕は事件が起こした騒ぎから、一歩離れていられた。


 ある日の夕方、僕はバイトに行こうと自分の部屋を出た。すると、同時に向かいの部屋の扉が開いた。今日も、半開きだった。そして、姉が出てきた。

 びっくりした。大学生になった姉は、ほとんど家にいなかった。家にいても、自分の部屋からほとんど出なかった。特に僕が部屋を出入りするときは、絶対姿を見せなかった。

「進」と、姉は僕に声をかけた。およそ、一年ぶりのことだった。

「うん」

 僕は、やっと答えた。でも、姉をまともに見れなかった。まだ自分の犯した罪が、僕を包んでいた。僕は真下の床を見た。そこに、姉の履いた靴下が見えた。白地に赤いうさぎのマークが入った、可愛らしいデザインだった。

「範子さんって人と話したよ」

「え?」

「範子さんってね。道ですれ違う人の片っ端から、あの誘拐事件の話してるよ」

「ああ・・・」僕は密かに苦笑した。まあ、範子さんらしいけど。

「樹里さんを救出するのは、ものすごく大変だったって。めちゃくちゃ頭使って考えたんだってね」

「まあ・・・」

「でもね、範子さんはね。進、あなたが一番活躍したって。あなたが一番偉かったって」

「えっ!?」

 僕は思わず、顔を上げてしまった。そこには当然だけど、姉がいた。姉の身体があり、顔があり、あの目があった。姉の両目は、まっすぐに僕を見ていた。瞳の奥は、深い泉のような煌めきを見せていた。僕はその煌めきを、一年ぶりに目にした。

「私、嬉しいよ。進が誇らしい」

「・・・ありがとう・・・」なんとか、それだけ僕は言った。「バイト、行ってくる」

「うん。行ってらっしゃい」と姉は言った。


 銀子は、とんでもなく明るい女の子だった。

「あなたのことね、みんなで『銀子』って呼んでたんだよ」と、範子さんが説明した。

「ゲゲー。何ソレー。さいあくー。イタ過ぎー!」そう言って、銀子はカラカラと笑った。「お姉さんたち、あたしのセンスがわかんないでしょ?」

「ごめん。わかんない」と、温子さんがニコニコしながら答えた。

「待ってて!そのうち、あたしの時代が来るから。あたしのヘアーの時代が来るから」

「いや、それはねーだろ」と、斉藤さんが口を挟んだ。

「普通の人はね。でも、最先端のファッションはあたしのセンスになるの!」

 今の銀子は、髪を真っ黒に染めていた。中学校に復帰したからだ。彼女はあんなに怖い思いをしたのに、僕たちの前で笑顔を振りまいてくれた。すごいことだと思う。すごく、強い女の子だ。

 銀子はみんなのように、冷蔵庫と冷凍庫の前の通路に椅子を出して座った。もう夜遅くまでいれないので、銀子の友達は来なくなった。だがら店のみんなが、彼女の話し相手を務めた。部外者が店の裏に入るのを、店長は許してくれた。銀子はほぼ毎日店にきて、21時くらいに家に帰った。

「あたし、高校に入ったら、ここでバイトするね」と、銀子が言った。

「その前に、高校に受かんないと。大丈夫?」と僕は聞いた。

「それ、言わないでー!」と叫んで、銀子はゲラゲラ笑った。

「進が、勉強教えてあげなよ」と、範子さんが僕に振った。

「えええーっ!?」

「いいじゃん。それに私、もう中学の数学忘れたし」と、範子さん。

「ええーっ!?」正直、僕は呆れた。

「私も、忘れた」と、優しい温子さんが共犯になった。


 バイトじゃない日は、僕が銀子を家まで送った。一緒に帰りながら、僕らはいろんな話をした。僕は自分の秘密を、少しだけ明かした。

「僕もさ、母親と上手くいってないんだ。母親は僕が生まれたとき出て行って、二年前に家に帰ってきた。実の母親なんだけど、他人にしか思えないんだよ。だから、口も聞かない関係になってる」と、僕は説明した。

「ふーん」と、後部座席の銀子があいづちを打った。そして、何か考えている様子だった。

 銀子の住む団地に到着した。団地内は自転車通行禁止なので、僕らは自転車を降りる。銀子と並んで、自転車を押しながらゆっくり歩く。

「なんかさあ」と、銀子が言った。

「うん。なあに?」

「悲しいことって、どうしようもないよね?」

「そうだね」僕は母親でなく、姉のことを考えた。

「でもね。悲しいことばかりじゃないと思う」と、銀子はきっぱり言った。

「えっ!?」一瞬僕は、隣にいる少女が中学生だと思えなくなった。

「誘拐されてね」と、銀子はゆっくりしゃべった。

「うん」

「最初はね、毎日取っ組み合いのケンカだったの」

「犯人と戦ったの?」僕は、たまげた。

「もう、殴り合い」と言って、銀子は笑った。「そのときにね、身体中傷だらけ、アザだらけになっちゃった。でも意外に、暴力は振るわれてないんだよ」

「そうだったの?」

「二人とも、実は優しくてね。あーちゃんってね、あのゴツい人だけど。みんなが来てくれた日、松本の餃子を買って来てくれる約束だったの。前の晩、あーちゃんが松本の餃子の美味しい店の話をしてくれてね。『じゃあ、明日買って来てよ』って頼んだの。あたしが。餃子、食べれなかったな・・・」

「そうだったんだ・・・」

「あの、誤解しないでね。みんなが助けに来てくれたのは、これ以上ないってくらい感謝してるよ。でもね。あたしが言いたいのは、悲しいことばかりじゃないってこと」

「うん・・・」いつのまにか銀子は、僕を慰めようとしていた。

「マツキチくん、あ、あたしを誘拐した松木さんね。毎週、都内の有名店のデザートを何個も買って来るの。『美味しいけど、太るから要らない!』って、断ってた」

「うーん」

「みんなね、あーちゃんとマツキチくんを悪く言うけど、そればっかりじゃないの。もちろんスケベだけど」

「うん」

「美味しい食べ物の話をするとき、あの二人は本当に楽しそうに話すの。それでね。私が二人が買ってくれてたものを『美味しい!』って褒めると、さらに幸せそうな顔するの」

「そうだったんだ」

「あたしは思うの。あの二人は、ただ女の子と仲良くしたかっただけだって。でも女の子に相手にされなくて、あたしをさらったんだって。だって、二人ともブサイクだからね」

「うん」

「つまり、スケベ根性で誘拐なんてしたんじゃないの。誰か女の子に、自分のそばにいてほしかったんだと思う。寂しかったんだと思う」

 僕は、思わず立ち止まった。そうか、僕は。僕は姉の風呂を覗いたとき、性的興奮なんて一切なかったぞ。僕は、銀子のいう通り、姉のそばに近づきたかっただけだった。

「樹里ちゃん」と、僕は銀子に話しかけた。

「なに?」

「君って実は、ものすごく大人だよね?」

「えっへー。まっさかあ!!」と言って、銀子はカラカラと笑った。「でも、進ちゃんにそう言われるのは嬉しいな」

「ホント?」と、僕は聞いた。

「ホント」と、銀子は答えた。「なんかさ、進ちゃんと話してると楽しいよ」

「僕と!?」驚いて、僕は聞いた。

「そうだよ」と、銀子は堂々と答えた。「よく言われない?」

「ないよ、全然ない」と僕は少しうろたえて答えた。でもそのうち、銀子の作戦がわかって来た。くっそー。やられた。僕は一人で、笑ってしまった。

「どうしたの?」と、銀子が聞いた。

「樹里ちゃんさ。僕を必死に慰めようとしてるでしょ?」

「えっ!?」と言って銀子はとぼけたが、バレたかという顔で笑っていた。

 銀子の家の前に着いた。玄関の前で、銀子が振り返った。

「じゃあね。また、明日」と、銀子は言った。

「じゃあね。また、明日」と、僕も言った。

 親しい人と「また、明日」と言えることほど、幸せなことはない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

銀子と僕と自己肯定 まきりょうま @maki_ryoma

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ