第6話 ゴースト・タウン
翌日はまるで、みんなと旅行に行く気分だった。「樹里さんを探しに行く」と連絡すると、アメリカンさんも参加してくれることになった。今夜は21時出勤だから、昼間は大丈夫だそうだ。
参加者は、大竹さん、斉藤さん、範子さん、郁美さん、温子さん、アメリカンさん、そして僕だ。総勢7名。僕は学校をずる休みした。
車は2台で、行く手もあった。しかし、
「1台で行けばさ、車の中で作戦会議ができるじゃん」と、範子さんが提案した。
「そりゃ、そうだ」と、大竹さんと斉藤さんが同意して決まり。早朝にレンタカー屋で、8人乗りのハイルーフ車を借りた。
みんな、気分が高揚していた。車内は、小学生の修学旅行みたいな騒ぎだった。一歩間違えば、酒盛りが始まりそうだった。
「ねえ。到着したときのこと、考えとこうよ」と、範子さんが言い出した。「進。ほら、昨日みたいに仕切って!」彼女はそう言って、僕の肩をバシバシ叩いた。彼女の隣で、郁美さんが大きくうなずいていた。
「はい・・・」僕は、正直まごついた。でも、昨夜から考えていることを披露した。「銀子が、見つかる前提ですが・・・」
「うん、なあに?」と、温子さんが聞いた。
「① 銀子が、一人でいる。
② 銀子が犯人か、犯人の協力者と二人でいる。
③銀子が、犯人と協力者と三人でいる。
この、三つのパターンがまず考えられます」
「そりゃそうだ。それで?」と、斉藤さんが運転席から聞いた。
「① 銀子が一人でいる。の場合は、簡単です。彼女を助け出して、地元の警察に保護してもらえばいい。犯人は、銀子がいた別荘を自由に使える立場の人です。上手くいけば、今日中に捕まります」
「それはわかる。次は?」
「② 銀子が犯人か、犯人の協力者と二人でいる。この場合は、やっかいです」と、僕は言った。
「俺、小学校のとき、空手習ってたんだ」と、大竹さんは両腕でファイティング・ポーズをとって見せた。
「まず俺が、タックルで相手を潰す。約束する」と、運転しながら斉藤が言った。
「ねえ。二人とも格好いいんだけど、もし犯人が、家に閉じこもっちゃったら?」と、温子さんが不安そうに言った。
「郁美がさ」と、範子さんが言った。「犯人が銀子を人質にして、立て篭もるかもって」
「そうかー。それやられたら、手も足も出ねーな」と、がっかりした様子で大竹さんが言った。
「追い詰められた犯人が、人質を殺すってよくある話だよな」と、斉藤さんが言った。
修学旅行気分だった車内が、静まりかえった。みんなすっかり、シュンとなってしまった。
「ねえ」と、アメリカンさんが口を開いた。「犯人が、樹里のそばにいるとは限らないんじゃない」
「それはそうだね」と、範子さん。
「犯人は、俺と斉藤で抑え込む」と、大竹さん。
「その間に、私たちが樹里を助け出す」と、アメリカンさん。
「よし。その手で行くか」と、斉藤さん。
「郁美がね」と、範子さん。「犯人が銀子と一緒でも、離れるまでじっと待とうって」
「長期戦だね」と、アメリカンさん。
「ここまで、来たらね」と、温子さん。車内はにわかに、戦闘モードへ変わった。
「③銀子が、犯人と協力者と三人でいる。ですが、僕は可能性は低いと思ってます」
「何で、そう言い切れる?」と、斉藤さんが厳しい口調で聞いた。
「大きいのは、エデンが蓼◯に来ているのが、キッチリ土日であることです。犯人は、平日は規則正しい生活をしているようです。今日は金曜日ですから、これまでのパターン通りなら、エデンは来ない」
「なるほどね」と、範子さんが言った。
「それからこれは、思いつきに過ぎないんですが・・・」僕はモゴモゴとしゃべった。
「何だ?」大竹さんが聞いた。
「犯人と協力者が、一緒にいることはないんじゃないかと・・・」
「えー、何で?」と、温子さんが聞いた。
「つまり、この二人は、銀子をシェアしているんじゃないんか?土日祝日は、銀子は誘拐実行犯のもの。月曜から金曜までは。蓼◯の近くに住む協力者のもの。二人はバッティングしないことで、協力関係を維持しているのでは・・・?」
「ヘェ〜。そんなもんなの?」と、範子さんは大きな声を出した。
「100%賛同じゃないけど、進の言わんとすることはわかるよ」と斉藤さんは、100km以上で突っ走りながら言った。
「賛同できないところって、何?」と、温子さんが聞いた。
「俺が犯人だったら、銀子を他の男に触らせないよ。犯罪まで犯して、手に入れたんだ。自分一人で独占するよ」と、斉藤さんは少し熱くなって答えた。
「斉藤の言い分は、わかるなー」と、大竹さんはうなずきながら言った。「要するに、嫉妬の問題だろ?嫉妬で、独占するか。嫉妬を我慢して実際的になり、平日は他の男に託すか。進は、この犯人は後者だと言うんだな」
「まあ、勘なんですけど・・・」
「その協力者だって、普段は働いてるわけでしょ」と、温子さんが言った。「昼間は、銀子一人かもしれない」
「その人が私みたいな仕事してたら、昼間の方が時間あるよ」と、アメリカンさんが言った。
「郁美がね。結局、現場に行かないとわかんないって」と、範子さんが代弁した。
「そういうことだ。現場に行くしかない」と、斉藤さんが言った。
僕たちは、推測に推測を積み重ねていた。推測の一つを取り上げれば、確率は80%かもしれない。でも僕らは、その推測から新たな推測を引き出した。それも、確率80%としよう。そしてさらに、推測から推測を導いたとしよう。
0.8 × 0.8 × 0.8 × 0.8 × 0.8 × ・・・ = 0.8 を大きく下回る
こういう結果になり得る。だが、恐れてはいけない。僕ら人間は、あまり頭が良くない。未知のことに対して、推測を重ねてゴールまで描く。これが、「仮説」だ。仮説を描いた者だけが、予想外の結果にくじけない。これまでの仮説を微調整して、立ち直れるからだ。大事なのは、仮説と実行だ。部屋の中にいては、新たな事実をつかめない。現場に行き、自分たちの仮説を確かめることだ。
蓼◯は、予想以上に寂しげな街だった。高速を下りて、国道を横切る。そこまでは、交通量も道沿いの店も多かった。でも傾斜のきつい坂を登り始めると、一気に車が減った。建物も少なくなった。店はほとんどなく、たまに見かけてもシャッターが下りていた。ガソリンスタンドは休業中か、閉店していた。三階建てのホテルの玄関は、スプレーで落書きがされたまま放置されていた。
「私たちの両親が若い頃までは、ここって都心の観光地だったんだって。でも海外に安く行けるようになってから、観光客が激減したらしいの」と、範子さんがみんなに説明した。
「それからお金のある人は、昔競ってここに別荘を買ったんだって。平日は都心の自宅、土日は蓼◯の別荘で過ごそうって言って。でも移動時間はかなりかかるし、ガソリン代も高くなって別荘に来る人も減っちゃったそう」と、今度は温子さんが話した。
「つまり、この町に人が来なくなったんですね」と、アメリカンさんが言った。
「そこら中で、店が閉まってるのもわかるな」と、斉藤さんが言った。
森に囲まれた別荘地に入ると、寂しさはさらに強まった。あたり一面に、山小屋のような形をした別荘が立ち並んでいた。それらは見事なまでに、どれもそっくりだった。
「大量生産、だね」と、範子さんが言った。
三角屋根で、二階建て。煙突があり、大きな玄関がある。玄関までは、数段の丸太の階段を登る。玄関の左右に、丸太を組み合わせたバルコニーがある。みんな同じだった。
「昔は、これが幸せだったんですね」と、僕は言った。
「そういうことだ」大竹さんが答えた。
ズルッと、車が滑った。
「おっと!」斉藤さんがが、珍しく焦った声を出した。
「気をつけろ。建物の陰は、まだ凍結してるぞ」と、大竹さんが言った。
腕時計を見ると、ちょうど12時だった。でも、お昼にしようという人はいなかった。みんな、自分たちの仮説を確かめたかった。それに集中していた。
「郁美が、そろそろ停まろうって。すぐ近くまで行ったら、犯人にバレるって」と、範子さんが言った。
「OK。停車しよう」と、斉藤さんが答えた。
エンジンを静かに止め、みんなで辺りを見渡した。数百棟の別荘が、均一な距離を保って林立していた。建物に間に生える樹々が、森となって陽の光を絞っていた。お昼なのに、辺りは暗かった。木洩れ日の混じった空気は、青白く見えた。そして、どの建物も人の気配がなかった。
「ゴースト・タウンじゃん」と、大竹さんが言った。
「ここで、標高1000mありますからね。春にわざわざ、こんな寒いところに来ないでしょう」と、斉藤さんが言った。
「やっぱり、銀子を監禁するには、絶好の場所だね」と、範子さんが言った。
「ホントだね。絶対バレない」と、アメリカンさんも言った。
車の中で車座になり、目指す家を検討した。
「下田さんのデータによれば、目指す場所はこっから五軒ぐらい先だ」と、斉藤さんが言った。
「あの、庭に赤い倉庫がある家?」と、温子さんが聞いた。
「うん、それそれ」
「だが、ナビの誤差も考慮しないと」と、大竹さんが言った。
「郁美がね、倉庫のある家を中心に、前後左右斜めに9軒チェックしようって」と、範子さんが郁美さんの意見を伝えた。
「まずは、そんなところかな」と、斉藤さんが答えた。
「樹里が、見つからなかったら?」アメリカンさんが心配そうに聞いた。
「9軒の外側の家を、全部見て回るって」と、範子さん。郁美さんの意見だろう。
「9軒の周りに、15軒かあ」と、大竹さんが天を見上げた。
「それから、さらに15軒の外側?」と、斉藤さんが苦い表情で聞いた。
「やりましょう」と、僕は言った。「せっかく、ここまで来たんですから」
「やれやれ」と、大竹さんが言った。
「いやいや」と、温子さんが答えた。
「さあ、出かけるよ!」と、ノリノリの温子さんが大きな声を出した。
「ヒイーッ!」
「さむーっ!」
車を降りると、とんでもない寒さだった。たまらず、みんな悲鳴を上げた。
「シイーッ」と、範子さんが言った。「こっから先は、私語禁止。犯人か共犯者が、気付くかもしれないでしょ」隣で郁美さんが、大きくうなずいていた。
「今、気温マイナス1度」と、斉藤さんが小声で言った。
雑木林の教訓から、みんな雪に備えた靴を用意してもらった。女性陣は雨靴、男性陣はブーツかバスケット・シューズだった。斉藤さんは、靴に防水スプレーをかけまくっていた。
幸い雪は、ほとんど積もっていなかった。陽の当たる大部分は、雪が溶け地面が露出していた。でも、別荘の裏口や軒下には、 10cmぐらい雪が残っていた。
郁美さんが先頭を切って、そばに建つ別荘へ走って行った。身を低く屈め、目立たないよう注意していた。物陰に身を隠し、目的地の方角や周囲まで見回した。納得できてから、僕らに右手の親指で「来い」と合図を出した。なんだか、とても様になっていた。
斉藤さんが、次に走り出した。僕も後に続いた。身を低くして、郁美さんの真似をした。だが郁美さんのそばに到着すると、僕は彼女に肩を叩かれた。彼女は、右手の人差し指だけ立てて見せた。移動は、一人ずつということだ。
「一人ずつ走るからね」と、範子さんが言った。
「郁美って、もしかしてミリタリー(軍事)おたく?」と、大竹さんが聞いた。
「そう」と範子さんは、何でもなさそうに答えた。「郁美が一番好きなのは、戦車なの」
「戦車?」男性陣は、郁美さんの可憐さと戦車が結びつかなかった。
とにかく僕たちは、郁美隊長に率いられて前進した。彼女は聴覚のハンデを物ともせず、視覚を駆使して状況を把握した。前後左右に目まぐるしく首を振り、安全を確認した。そんな郁美さんは、とても生き生きとして輝いていた。
郁美さんが立ち止まり、ある別荘の階段を指差した。それは少し傾斜のある場所で、裏口のドアから庭へ降りる階段があった。範子さんが郁美さんに駆け寄って、ボソボソと話をした。
「ここね」と、範子さんが説明を始めた。「階段の段の上に、厚い氷が張ってるでしょう」
「そうだね。確かに」と、温子さんが答えた。
「雪が積もって、日光で溶けて、夜に凍ってを繰り返してる。つまりね、この家はこんな厚い氷が張るくらい、長い間誰も利用してないってこと」
「なるほど」と、大竹さんが答えた。
「もし樹里がここに監禁されてるなら、家には人が使った気配があるんだね?」と、アメリカンさんが言った。
「そういうことですね」と、僕は言った。
「もし銀子が地下室に閉じ込められてたら、俺たちは見つけようがない。でもその家には、人が生活している痕跡がある」と、斉藤さんが言った。
「銀子を見つけられなくても、エデンが来た跡があるとか」と、温子さん。
「少なくとも、新しいタイヤ跡はあるな。ここは、車じゃないと来れないから」と、大竹さんが言った。
「よし!行ってみよう」と、範子さんが言った。
郁美さんはとても慎重に、目的地の別荘へ近づいた。そおっと、そおっと。もし犯人かその協力者に見つかったら、銀子は目の届かない場所へ隠されてしまうだろう。
捜索すべき、最初の1軒に到着した。僕らはさらに身を屈め、一面ずつ調べて回った。もちろん物陰に隠れ、走って移動しながらだ。だがその1軒目は、完全な無人だった。雪どころか、枯れ葉や折れた枝が散乱し、伸び放題になった背の高い雑草が枯れていた。もうずいぶん長い間、この家は使われていないようだった。
「次」と、範子さんが短く言った。
僕たちは、隣の家に移動した。だがこの家も、スカだった。3軒、4軒目も、スカ。その次に僕たちは、一番有望な「赤い倉庫のある家」を調査した。しかし、これもハズレ。この家は、リビングルームの窓ガラスが割れているのにそのままだった。チームに、早くも疲れが見えてきた。だが郁美隊長は、溌剌としていた。マシンガンを持たせたら、どこかの特殊部隊に見えそうだ。多分戦争映画を、たくさん見ているんだと思う。
こうして、最初に目指した9軒はすべて、銀子どころか人が使った形跡も見つからなかった。でも作戦では、さらに外側の家を調べることになっている。僕たちは、いくぶん重くなった足を引きずって任務を続けた。
「あ・・・」と、郁美隊長が言った。13軒目の家だった。
「除雪してる!」と、範子さんがその家の庭を指差した。
彼女たちの指摘通り、この家は雪の残る北側まで綺麗に除雪していた。僕たちは、はやる気持ちを抑えて、その家の軒下に取り付いた。庭の土が露出した箇所には、真新しい足跡があった。大きくて、底の頑丈そうな靴の足跡だった。
「!!」
郁美さんが、目でGoサイン出した。みんなで、裏口のある北側の壁に並んだ。先頭の郁美さんが、家の西側に回った。西側の壁に、窓は少なかった。おそらく壁の向こうは、バス、トイレ、キッチンなのだろう。
「最近、利用してる別荘があっただけさ・・・」
斉藤さんが小声で、自分に言い聞かせるように言った。けれど、みんなの緊張感と高揚感は抑えようがなかった。僕も、自分の鼓動がどんどん速くなるのを感じた。みんな、顔が紅潮していた。でも、目は輝いていた。
郁美さんが、慎重に辺りを確認した。そして彼女がまず、ウッドデッキのある南側に走って回った。
「ああっ!!!」
冷静な郁美さんが、珍しく大声を出した。すかさず、二番目の範子さんが南側へ走った。そして彼女は、絞り出すように言った。
「銀子・・・!?」
もうみんな、落ち着いていられなかった。いっぺんに南側へ、駆けて回った。そしてデッキの奥の部屋に、銀子を見つけた。
「うあああ・・・!!!」
アメリカンさんが、ウッドデッキに飛び乗った。そして、窓ガラスに張り付いた。向こう側に銀子が、四つん這いで彼女を迎えた。アメリカンさんは、泣き出した。
「ごめんね、ごめんね、ごめんね、・・・」
銀子も泣いていた。でも、明るい表情で。範子さんも温子さんも、もらい泣きした。郁美さんだけは、厳しい表情を崩さなかった。
「マジかあ・・・」大竹さんが、呆けたような声を出した。
「いや、これは・・・」いつもシニカルな斉藤さんも、言葉を失った。
「見つけちゃったよ・・・」
「信じらんねえ・・・」
銀子は、リビングルームのテーブルのそばで両肘と両膝をついていた。彼女は、裸だった。顔や身体のあちこちに、アザや切り傷がたくさんあった。ゾッとする姿だった。
さらに、銀子は窓際まで来れなかった。それは、彼女の右足首に巻かれた黒い足枷のせいだ。足枷には太い鎖がついていて、部屋の奥へと伸びていた。まさに、奴隷そのものだった。
「みんな、ちょっと落ち着こう!落ち着いて、作戦を立てよう」
範子さんが、みんなに言った。彼女に寄り添った、郁美さんがきっとアドバイスしたのだ。
男性陣はウッドデッキを降り、女性陣は残った。男性陣は東側に回り、デッキの上の女性陣と話し合うことにした。というのは、裸の銀子を男が見ているのはまずい。でも、銀子の見えないところにみんなが行ったら彼女が可哀想だからだ。
「まずいことになりました」と、僕は発言した。「予定では、銀子を見つけたらすぐ助けるつもりだった。でもあの足枷のせいで、それは不可能になりました」
「あれは、厚い革か、硬いゴムか・・・」と、大竹さんが言った。
「あるいは、強化プラスチックかも。ただ、金属じゃないね」と、斉藤さんが続いた。
「なんとかならないの?」
温子さんが、悲鳴のように言った。隣のアメリカンさんも、祈るような目を見せた。
「かなり大型の、特殊なハサミがないと無理だろう」と、大竹さん。
「車に、何か積んでない?」と、範子さんが聞いた。
「おいおい、車に刃物は積んでないよ」と、斉藤さんが答えた。
「じゃあ、どうすんの!」範子さんは、ちょっとイライラした口調になった。仕方なかった。銀子が目の前にいるのに、何もできないのだから。
「あの足枷の鎖は、家の奥の柱か壁に固定してるんだろう。家に押し入って、そっちを破壊する方が早いかもな」と、斉藤さんが言った。
「どうやって?」と、温子さんが聞いた。
「あれ、見つけた」と、斉藤さんが庭を指差した。そこには、薪割りのための斧が出しっぱなしになっていた。
「あ・・・」と、郁美さんが声を出した。
「郁美、なあに?うんうん・・・」範子さんが彼女の話を聞いた。それを僕たちはじっと待った。
「郁美がね、窓を破ると通報されるって。センサーがついてるって」
郁美さんが、窓の上部を指差した。そこには、有名な警備会社のシールが貼られていた。
「通報されたって、トロい警備員が見回りに来るだけだろ?」と、斉藤さんが言った。
「本人にも、通知が行くかもしれません」と、僕は言った
「そうだって。郁美は、警備員より先に、犯人の協力者が来るんじゃないかって」と、範子さんが言った。
「そうかー」そう言って、大竹さんが腕組みをして考え込んだ。
「そりゃ、まずい」と、斉藤さんも言った。
「あの、協力者が来たら、どうなっちゃいます?」と、アメリカンさんが聞いた。
「車の中で立てた作戦は、あくまで相手の意表をついて取り押さえるものでした。でも相手が僕たちが来ていると知ったら、それなりの用意をして来ると思います」と僕は言った。
「用意って?」と、温子さんが聞いた。
「刃物は、間違いねーだろーな」と、大竹さんが言った。「犯罪発覚、刑務所行きの瀬戸際だ。死ぬ気で来んだろ」
「あるいは、散弾銃かも」と、斉藤さんが物騒なことを言った。
「銃?!」と、アメリカンさんがたまらず叫んだ。
「ほら、猟師ならさ。銃持ってるじゃん。身元がしっかりしてれば、銃の免許が取れるんだよ」と、斉藤さんが説明した。
「何で、そんな詳しいの?」と、範子さん。
「俺社会人になったら、銃の免許取るつもりだから」
「なんで?」
「ほら、オリンピックであるだろ。銃の競技って。あれが、やりたいんだよ」
「なるほど」と、大竹さんが言った。
「ねえ。警察に電話しようよ」と、温子さんが言った。「ここから先は、私たちの手に負えないよ」
「それも、いいと思います。ただ地元の警察は、動きが遅いと思います。川崎で起きた事件ですし、被害者が見つかったと説明してもなかなかわからないかもしれません。あるいは、イタズラ電話扱いされるかも」
「うーん。グダグダしてから、近くの交番勤めの若造が一人来る。そんなところか?」と、シニカルな斉藤さんが行った。
「郁美が、警察が来る前に協力者が来るかもって」と、範子さんが言った。
「俺たちに、気がつかなくても?」と、大竹さんが聞いた。
「毎日の日課で、この家に来るってことですね」と、僕は言った。
「うーん」と、頭を抱える温子さん。
「どうする?どうする?ねえ、どうする?」と、パニックのアメリカンさん。
「郁美さん。どうします?」と、僕は聞いた。今彼女が、この場で一番冷静だと思ったからだ。
郁美さんと範子さんが、ボソボソと小声で相談しあった。その結果を、範子さんが発表した。
「ここは正攻法で、警察に電話しましょう。警察が来るまで、私たちはここを守る。そうしよう」
これで、結論が出た。
警察には、最年長の大竹さんが電話した。電話に出たのは初老の男性で、耳が遠かった。おまけに、銀子の事件を知らなかった。新聞を読まないのだろうか?大竹さんは同じことを何度も繰り返し、説明するだけで10分かかった。
ここで、範子さんが当然のことを言い出した。
「ねえ。銀子の服を買ってきたいの。警察が大勢来るのに、裸じゃあんまりでしょう?」
それは、その通りだった。だけどそれは、戦力の分散を意味する。運転手は、二人。大竹さんか、斉藤さんが現場を離れることになる。それは、正直痛かった。だが、すぐ戻れればいい。僕が、チーム分けをした。
「買い物係は、斉藤さん、範子さん、郁美さん。留守番組は、銀子を慰めながら警備をしましょう」
みんな、異論はなかった。
「すぐ、戻るからさ」と、斉藤さんは僕に断った。最悪の事態を、心配してくれているのだ。
「こんなさ、ひどすぎるよ。誰だってさ、彼女は欲しいよ。だからって、こんな・・・、こういうやり方はねえだろう。ひどいよ、めちゃくちゃだよ・・・」
僕と二人になると、大竹さんはブツブツと犯人への怒りを語った。温子さんとアメリカンさんは、デッキチェアで銀子を慰めていた。僕は大竹さんと、裸の銀子が見えない東側に立っていた。陽は徐々に傾き、東側は暗くなった。
「進」と、大竹さんが僕に話しかけた。
「はい」
「悪いな。若いお前に、男の醜い部分見せちまって」
大竹さんは、欲望の話をしているのだ。大人の欲望の話を。
「いいえ。大丈夫です。わかります」と、僕は答えた。「犯人たちの欲望と同じものが、僕の中にもあるんです。でもそれは、表に出しちゃいけない。現実にしちゃいけないと思うんです」
「お前の言う通りだ」と、大竹さんは言った。「欲望に負けてこんなことしたら、銀子がとんでもない傷を負ってしまう。取り返しのつかない傷だ」
「はい」
それから僕と大竹さんは、しばらく黙った。山の上から、凍てつくような風が吹いてきた。まもなく夜が来る。
「欲望に負けて罪を犯した者も、一生を棒に振ることになる。働いて成功して稼いで贅沢して幸せになる。こんなごく普通の夢を諦めて、塀の中で暮らすことになる。バカげてるよ」
「そうですね」と、僕は答えた。
でも、僕たちの言っていることは綺麗事じゃないか?全てを台無しにしてでも、いっときの喜びを求めるのが人間じゃないだろうか?僕は、そんな気がした。いけないとわかっていて、ドラッグに手を染める人のように。欲望は、人を狂わせてしまう。僕だって、姉に夢中になっておかしくなったんだ。
不気味なほど、この別荘街は静かだった。森の中にあるので、夏はとても涼しいだろう。けれど冬は、自然の厳しさを知る場所だった。寒さはもちろん、昼間でも薄暗い森は、切ないほど寂しかった。さらに、人気のないたくさんの別荘。無人の建物が、物悲しさと薄気味の悪さを醸し出していた。
けれど、人気のないところに罪を犯す者が集まる。闇が、犯罪者を隠してくれる。夜の公園を、痴漢は好むものだ。暗い路地裏に、変質者は獲物を求めて隠れている。泥棒は闇に紛れて、無人の家やビルに忍び込む。僕だって、暗がりから風呂場を覗いたんだ。
僕は目を閉じて、こんがらがった頭を整理しようとした。
僕だって、犯罪者だ。
この言葉が、頭をぐるぐると回った。でも、「わかっているさ」と、突き放す自分もいた。もう罪は、重ねない。むしろ、罪を回収するんだ。そう考えたとき、僕は自分が銀子と姉を重ねていることに気がついた。
姉への謝罪を、僕は銀子へ向けていた。僕はもう、一年以上姉と会っていない。だから、姉に詫びることもできない。でも僕は、何かがしたかったんじゃないか?いや、何かせずにはいられなかった。さらわれた銀子を、なんとかして取り返したかった。
ブブブブブブ・・・・。
遠くから、エンジン音が聞こえてきた。とても小さな音だったが、ほぼ無音の別荘街にはとても大きく響いた。それは、建物の西側から聞こえてきた。
「こっちに、隠れろ!」大竹さんが叫んだ。
ウッドデッキから降りて、温子さんとアメリカンさんが東側に回った。そして、建物の影に隠れた。僕たち四人は、べったりと身体を密着させて、首だけ建物の南側へ出した。
ブブブブブブ・・・・。
小型のバイクだった。ところどころ凍結しているのに、運転手はやすやすとバイクを操っていた。この山道に慣れた、地元の人だと思えた。バイクは、真っ直ぐにこちらに向かってきた。エンジン音が、どんどん鮮明に聞こえるようになった。
「通り過ぎろ、通り過ぎろ・・・」
大竹さんが、小声でそう念じた。みんなも、同じ気持ちだったと思う。
けれど、バイクはこの建物の前で停まった。運転手は、道路の脇にバイクを停車し、別荘の庭の中へ入った。そこには石を敷いた小道があり、北側の裏口へと続いていた。
「くっ!」大竹さんが、悔しげにうめいた。
僕はもう、心臓が爆発しそうだった。半ば、時間がスローになった気がした。運転手が一歩、一歩、ゆっくり長い時間をかけて歩いているように見えた。でもそれは、僕の恐怖が作った錯覚だった。
運転手は、まるで斎藤さんみたいな体つきだった。防寒着を着ているせいもあるが、背が高く横幅も広く見えた。つまり、相当な強敵に見えた。僕は斎藤さんが、帰ってこなかった不運を悔やんだ。それはみんな、同じ気持ちだった。
「犯人の、協力者だよ・・・」と、温子さんが震えながら言った。
「間違いねえな。銀子のご飯でも、持ってきたんだろう」と、大竹さんが答えた。
その協力者は、買い出しでもしたようにスーパーの大きなレジ袋を提げていた。それから慣れた手つきで、ポケットから鍵を出した。裏口の合鍵だ。もう、間違いない。こいつは、犯罪者だ。銀子をいじめている、大馬鹿野郎だ。
「進。行くぞ!」大竹さんが、小声で言った。
「はい!」
大竹さんと僕は、身を低くして南側のウッドデッキを通り抜けた。急いで、でも、物音を立てずに。その目論見は成功した。協力者は無警戒で、裏口の階段を上がっていた。
「タックルだ。俺は上、お前は下!」大竹さんが、そうささやいた。
なんだか、その男に磁石で引き寄せられたみたいだった。僕は無心で、協力者の両膝に飛びかかった。ほぼ同時に、大竹さんが協力者の背中にタックルした。協力者は、僕らに飛びかかられて裏口のドアにドカンとぶつかった。
「ぎゃああっ!」
痛みと驚きで、協力者は悲鳴を上げた。その男は、上半身を裏口のドアにもたれ、下半身は階段に倒れた状態になった。だが男は、すぐ反撃に出た。
僕は男の両膝を、両腕に抱えていた。絶対に手を離さないつもりだった。でも所詮、僕は漫画家志望のインドア少年だった。男は、大竹さんと僕を引きずって立ち上がった。そしてまず、片足ずつ振って僕から逃れようとした。
ものすごい力だった。僕はすぐに、振りほどかれた。さらに、男が片足を大きく振ったので、僕は宙へ放り出された。二、三秒、空を飛んでいたと思う。空中で回転した僕は、仰向けになって庭に落ちた。その上運悪く、僕は太い枯れ枝の上に背中から落ちた。
「ぎゃあああっ」
背骨に、激痛が走った。これまで経験したことのない痛みだった。僕は庭に大の字になり、ピクピクと震えていた。「きゃあー」という、温子さんの悲鳴が聞こえた。
だが僕はすぐに、正気に戻った。役目を果たさなくては。僕は手を使って、うつ伏せになり裏口へ顔を向けた。戦闘の現場へ、復帰しようと思った。しかし、背骨を痛めたせいか、両足がぴくりとも動かなかった。でも腕だけで、僕は匍匐(ほふく)前進をした。
裏口の階段を降りた場所で、男と大竹さんがにらみ合っていた。協力者の男は、二十代に見えた。典型的な丸顔で、顔の真ん中に大きな低い鼻があった。目は細く、髪も短くてニット帽をかぶっていた。僕は男の耳が、潰れていることに気がついた。
柔道家だ。僕は、男が柔道の経験があるとわかった。柔道は、畳の上で寝技を競うため、耳が変形してしまう人が多いのだ。強敵だった。
「きょえええええええ!」大竹さんが奇声を上げた。
大竹さんは、両腕を上げてファイティング・ポーズを取っていた。確か、子供のころ空手を習ったと言ってたっけ。大竹さんは、続けざまに三、四発、男へパンチを放った。でもそれは、相手の様子を見るような攻撃だった。
「はっああああ!」
また、大竹さんが叫んだ。と同時に、彼の左足が男の頭部に向かって飛んでいった。
どんっ!
男は右手で、大竹さんの蹴りを受け止めた。さすがだった。でも勝負は、大竹さんの方が一枚上手だった。彼は今度は黙ったまま、男の懐に猛スピードで飛び込んだ。大竹さんはもう男の目の前に到達し、そこで真上に飛び上がった。直角に畳んだ右膝が、男の顎に直撃した。
不思議なことに、今度は音がしなかった。その上、男は後ろに倒れなかった。その場にするすると崩れ落ち、座り込み、しまいには大竹さんの足に寄りかかって動かなくなった。
温子さんとアメリカンさんが駆けてきた。大竹さんの影に隠れながら、男の様子をうかがった。
「死んじゃったかな・・・?」大竹さんが、とても不安そうな声を出した。
「いえ、呼吸してます。気絶しただけですね」ようやく、現場に戻った僕が言った。
「いやー、郁美に見せたかったあ・・・!」大竹さんが、心から残念そうに言った。
「え!?」温子さんと僕は、目が点になった。
「縛ろう、縛ろう」
男の上着を脱がせて、それで両腕を後手に縛った。両足は、男のワークブーツの靴紐をほどいて縛った。
ここでもう一回、大竹さんが警察に電話した。誘拐事件の、共犯者らしき人を捕まえたと。電話に出たのは、また初老の男だった。
「はあ?」
彼はまた、ちんぷんかんぷんの様子だった。
「いい加減にしろ!早く警官をこっちに回せ。頼むから川崎の警察に、この事件を問い合わせろ!今夜は、署長が記者会見することになるぞ。とにかく、急いでくれ。お願いだから」
まるで食事のデリバリーを、督促しているみたいだった。
90分かかって、洋服チームが帰ってきた。店が見つからなくて、高速そばの国道沿いまで戻ったそうだ。男の合鍵で家に入れたので、女性陣が銀子に服を着せた。
みんなで「コーヒーでも飲みたいねー」なんて話しているところへ、ようやく警察の最初の一台がやってきた。
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