β003 βコード迷走

「そうだった。『マリッジ◎マリッジ』入会のリード、お疲れさまです。タヌキさん」


 アプリを安全に終了する際は、キャラクターのタヌキさんが頼りだ。

 僕が、ぽんとタッチするだけ。


『タヌキは、スリープします』


 パーソナルフォンのネココちゃんもウィンドウを閉じた。


『クズハツクルさま。オツカレサマです。おやすみなさい』


 そうだ。

 分からないことがあったから、ひなにも訊いてみよう。


「なあ、ひな。アプリに任意でβコードを入力する欄があったけれども、僕達にもあるのか? 僕は、お空にいるとうさんからもかあさんからも教わっていないが」


 雪のない空は、何故か暗い。

 本惑星の影響だろうか?

 この空中都市βは、本惑星アースの放射能汚染を浴びないように設計されている。

 家はドーム型で、通勤するにもチューブの中で、放射線からガードされている。

 そして、ガイガーカウンターは、国民ならば身につけている。

 緊急事態には至らずにすんでいるが、気持ち悪い警報が聞こえるとのことだ。

 そんな汚染された空の向こうに父さんと母さんがいるのか……。

 僕とひなは、三年前の空中庭園国の労働改革以来、複雑な家庭になった。


「創兄さん、ヤン父さんとかや母さんのことを考えているの?」


「ああ、そうだよ。どこの惑星という訳ではなく、この広い空のどこかに父さんも母さんもいると思っている」


 僕が空を見るのは、父さんと母さんを偲んでいると思っているのか。

 これは、癖だな。


「私が、ハイスクールの頃だったのよね。忘れもしない初雪だった。突然お空へ逝かれて、どうにもならない位哀しかった。ベッドで創兄さんにも会いたくなくて、孤独にひたっていたの。もう会えないと、哀しくて、哀しくて……」


 父さんと母さんがここまで育ててくれたのだ。

 愛しいひなの幸せを見届けないと。

 これからは、僕が妹を幸せにしたい。

 それには、ひなにも家族がいるのかな?


「そんなに寂しがるなよ。僕が結婚できたら、義理のお姉さんができると思うよ」


 僕は、喜ばれると思った。


「うん。私、ストーカーではないから。創兄さんの家庭を邪魔したり、しつこくしないわ」


 結婚前から、もうトラブルが発生するのか。


「ひなを幸せにしたいが、この国では、親子関係以外は同居できないからな。ひなは、僕が独り用ドームハウスから去ったらどこに行くか分からないよね。少し不安だな」


「βコードがあれば、何でも分かるのにね」


 てへって笑ってみせるひなの口から、βコードと恐ろしい言葉が紡がれて、驚いた。

 βコードについては、正しい使用以外、厳しく国で管理されている。

 総背番号制のパーソナルフォンとは、管区が違うと聞く。

 扱いに格段の相違がある。


「僕は、自分のβコードを知らない。ひなも知らない。父さんと母さんについても同様だ。これ以上話すとポリスではすまないと思う」

 

 これは、ひなにも話していないこと。

 一つだけ、脳裏から離れない映像がある。

 幼い僕が、穴のような所に入っていて、文明の始まりみたいに牛の絵を描いた。

 すると、誰かが、隣に拙い数字を書く。


『これが、自分……』


 その子は大きな帽子を被って笑っていた。

 これが何と繋がっているのか、未だ分からない。

 β22260071582だ。

 何に紐づくものだろうか?

 もしや……?


「創兄さん、何かを思いつめているの? 汗まで搔いて辛そう。差し入れに、セトフードサービスの私の分を持って来たの。元気になったら、食べてね」


「ん? セトフードサービスって、ひなの勤務先だろう。自社のものを購入するのか?」


 僕のもやもやとした想い出から、さあっと霧が去る。


「そう。ちょっと色々あってね。それで、創兄さんの所へお邪魔したの」


「邪魔なんてことあるか。ひな、何でも話してくれ」


 ひなが俯き、初めて僕に会いに来ただけではないと分かった。

 僕は、自分の結婚を切り出したりして、ひなに酷い仕打ちをした。

 本当に配慮のない兄さんだ。


 ◇◇◇


「昨日のことなの」


 ひなが、ネココマグカップにふたをして、ため息をついた後、切り出した。

 昨日は、僕がCMAβに夢の中で出会っていた頃だ。


「セトフードサービスの工場で昼休みに、峯田みねだ工場長から、北川きたがわ所長に呼ばれていると聞いたの。その時に、『くれぐれも、また、βコードをもらすなよ』と言われたわ」


「その、峯田工場長は、何を知っているんだ! また、βコードをもらすとは、一度でもそんなことがあったのか? ひな」


 ひなは、直ぐに首を横に振った。

 僕は思わず憤ってしまったが、もしかしたら峯田氏の嘘かも知れない。


「事務棟で北川所長にお会いしたわ。簡単に話されたの。『葛葉ひなくんのご両親について、瀬戸せと社長から社員のデータが来た。ご両親は、本惑星アースへ惑星流しされている。よって、葛葉ひなは、今日限りで解雇だ』と……」


 ひなが、セトフードサービスを解雇だって?

 それに、父さんと母さんは、本惑星アースへ惑星流しされていたのだって?


「ひな……!」


 僕は涙をにじませるひなを抱きしめた。


「よく、よく、話してくれたね。泣いてもいいんだよ。泣いてすむのなら、兄さんの胸でな」


 愛情を伝えるにはこれしかできなかったが、大切な妹を守れなかったのだ。

 僕の罪は拭えない。

 瀬戸社長にプライバシーを侵害するデータを密告したのは誰だ!

 セトフードサービスは大手だから、高度なセキュリティ対策がなされているはずだ。

 コンピュータのミスではなく、人為的なものか?


「創兄さん、きついよ。ありがとう。もういいわ」


 ひな、ダメな兄さんだな。

 ゆっくりと、ひなをかいなのぬくもりからお別れする。


「分かった。カフェ飲む? 少し落ち着くよ」


 僕がキッチンに立つと、指のパーソナルフォンからベルが鳴った。

 ネココちゃんに設定した覚えはないのに、『神聖なる大地の剣』が流れた。

 誰からだろう?



 まさか、CMAβ?

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