第四章 西方より黒月は来る
第四章 西方より黒月は来る 1
「あれが、神木村か……」
山間をゆっくりと進む輿。すそ野に広がる村を見ながら、輿の中でそっとつぶやく少女がいた。
「
「……よく覚えていない。ほとんど神社から出なかったし」
「そうでございますか」
そば付きの女房に問われ、葛良はふいとそっぽをむく。葛良の生まれたこの村では、祈りをささげること以外は求められていなかった。遠い昔の記憶――なかば思い出したくない記憶に、葛良は大きなため息をつく。
「藍、私も外を歩きたい。輿は疲れたよ」
「いけません。あと半刻の辛抱ですから、もう少しだけ大人しくしてくださいまし」
「こんな輿、いらないっていったのに……」
心底うんざりとした表情で、葛良は女房に訴えるがその願いはあっさりと一蹴された。自分の足で歩いていくからこんな大層なものはいらないとあれだけ言ったのに、その意見は全く聞き入れられなかった。
「まあまあ……今上帝のお計らいですから」
「でもこんな輿邪魔だし、遅いし、腰は痛くなるし……」
「あなたを心配しておられるのですよ。この任務は、ただの妖調伏とは違います。いくら今上帝の許し状があるとはいえ――」
「そんなもの、十分わかっているよ……」
葛良は複雑な表情を浮かべ、女房の言葉を遮る。言葉は言霊だ。易々と、口に出したくはなかった。帝から賜った任務。命を懸けてでも、成し遂げなければならないもの。その重責は、十八歳の少女の肩一つで支えるには、あまりに重すぎるものだった。
『――任務が失敗すれば、お前の帰る場所はないと思え』
耳に蘇る、呪詛のような言葉。何度振り払っても、頭にこびりついて離れない。その言葉が、葛良の原動力のすべてだった。
「絶対に成功させてみせる。私は、私をみんなに認めさせるんだ……!」
ずいぶんと近づいてきた神木村を見据え、葛良は自分に言い聞かせるようにそっとつぶやく。その決意の言葉は誰の耳にも届くことなく、そっと葛良の胸の中へしまいこまれたのだった。
村が騒がしい。いつものように柚良のところを訪ね、薬草を集めて山を下りてきたところで、市伊は普段と違う雰囲気に気が付く。
「なにかあったのか?」
近くにいた顔見知りに様子を聞くと、いささか興奮したように彼は見聞きしたことを語ってくれた。
「都から、人が訪ねてきたんだ。それがもうすっげえ美人でよ、なんでも帝から極秘任務を受けて、この村へ来たんだとよ。なんでも、どえらい力を持った術師らしくて、悪い妖を退治に来たらしいんだ。輿に乗っててあんまり見えなかったが、美人だったなあ……」
「女の術師……?」
聞きなれない単語に少し警戒心を抱きながら、市伊は男の話を聞く。なんでもその娘は神木村の出身で、さる身分の高い方の落とし胤だったが、素質があったため都にすむ父の家へ引き取られたそうだ。村にいたころも霊力の高さを買われ、巫女候補として神社で密かに育てられていたらしく、彼女の素性を詳しく知るものはほとんどいないらしい。市伊はその生い立ちに、どこかひっかかりを覚えた。
「神社に閉じこもりっぱなし……都に引き取られていった女……」
その特異な資質ゆえ、市伊も幼少期には良く神社へ出入りしていた。力を制御する方法は、そこに住まう神主や巫女達に教えてもらったものだ。
「そいつは今どこにいるんだ?」
「たしか、
「そうか、ありがとう」
快く教えてくれた男に礼を言い、足早にその場を立ち去る。何かはわからないが、胸がざわめく。決して気持ちの良いものではない。鳥肌が立つのに似ている、気味の悪い感覚だ。これもまた、市伊の力の一つだった。予知というには不確定で、おぼろげなもの。己や身内の者に害をなす意思を持つ者がいる時に感じる感覚だった。
境内の砂利を蹴立てて、水城神社を目指す。入り口を掃き清めていた顔見知りの青年に声をかけ、神主に会いたい旨を伝えると、いくばくも待たず市伊は快く中へ迎え入れられた。
「市伊。久しいの」
「じじ! お元気でしたか」
「まだまだ神主の座は譲らんぞ。わしが百まで生きるでな」
市伊にじじ、と呼ばれた老人は、わはは、と闊達そうに笑った。齢七十歳にして村のすべての神事をとりおこなう役目を担う人――
「して、久しぶりに顔を出したのは、何の用事だったかの。とうとうわしの後を継ぐ気になったか?」
「そういわれるのが嫌で、足が遠のいていたんです……跡継ぎはあなたの孫の
「あいつはだめじゃ。生まれつきの力がてんで違うでの」
「そういうことを言うから俺が恨まれるんですよ……」
昔のいさかいを思い出し、市伊はきりきりと痛み出した胃をさすりながら、渡を恨めしそうに睨み付ける。市伊はただ、力の制御を学ぶために神社に出入りしていたにすぎないのだが、その力に目を付けた彼に知識と技術をこれでもかとばかりに叩き込まれた。跡取りとして育てられていた孫から、それはもうひどく恨みを買ってしまうくらいには。
もっとも、きっぱり跡はつがないと言って神社に近寄らなくなってから、学んだ知識は生きていくために必要なもの以外すっきりさっぱり忘れてしまっている。おかげで柚良に関わりだしてからは、もう少し覚えておけばよかったと後悔しているくらいだ。
「しかし市伊よ、少しばかり見ない間に、えらく面白そうなことになっておるの」
「どういうことですか?」
「とぼけるでない。おぬしのからだに、二つばかり神気が染みついているでな」
「……ええと、はい。その……」
「名は言わずとも良い。どちらも良く知っておる神気じゃ。懐かしいのう」
言いよどむ市伊を制し、渡は黙ってうなずいた。懐かしい、ということは彼女たちを知っているのだろうか。目を細めて笑う渡に頷き返しながら、彼女たちの事について色々と聞いてみたいと思った。もっとも、この場でそれを聞くのはよくないと市伊自身もわかっていたので、それ以上は聞かずにここへ来た用件を切り出す。
「今日は、都から来た術師の事で聞きたいことがあって」
「葛良のことか? ああ、お前もあやつを知っているんじゃったな」
「言葉を交わしたのは数度しかありませんが。葛良……やはり、彼女ですか」
「ふむ。おぬしも葛良について、いろいろ聞いていたようだの」
改めて表情を引き締めた市伊は雑談もそこそこに切り上げ、ここに来た用件を切り出した。名前を聞いて一気に渋い顔になった市伊に、渡も深々とため息をつく。葛良と呼ばれる少女を、市伊は確かに記憶していた。神社の中で息を殺すようにひっそりと育てられ、存在が隠されたまま都へ引き取られていった娘。彼女の存在は神社ぐるみで秘匿され、極力表へ出さないようにされた。市伊も例にもれず存在を口外しない様には言い含められていたし、顔を合わせる機会も多くはなかった。
「さる身分の高い方の落とし
「……都にな、妖退治専門の機関があるんじゃが、その長がこの神社に逗留した折、神社の巫女に手を付けて、子を孕ませた。そいつが都に帰ったのち、生まれたのが葛良じゃ」
「妖退治専門の、機関ですか」
「この村の人間は妖と共存する道を選び、柚良さまのもとで互いに秩序を保っている。ただ、ほかの土地ではそううまくいかぬ。都は人がたくさんいる場所じゃ。そういう機関がなければ、人が住む場所の秩序は保てんでな」
市伊は娘の生い立ちよりも、「妖退治専門の機関」という言葉にひどく衝撃を受けた。生まれた時から、山に棲む動物と同じく「妖は共に生きるもの」として教えられ、その存在を感じてきた。市伊でなくとも、この村の人々は多かれ少なかれ妖を感じる力を持ち、彼らと共存をしている。お互いに必要以上の領域は荒らすことなく、それぞれ山の恵みを受けて生活するものとして認めあっている。その存在を、「退治すべきもの」とする恐ろしさに、背筋が凍る思いがしたのだった。
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