第四十五話 残酷な真実
知りたいことはすべて知った。
結月と俺の間では激しい思い違いがあった。
彼女の身に起こった不幸に驚いたが、理解はできなかった。そう、俺は恵まれていたからだ。
恵まれている人間が恵まれていない人間のことを「理解」しているというのは傲慢でしかない。圧倒的なアドバンテージを持って、あなたのことは分かるよなんていう人間は嫌いだ。
例えば、もし誰かが中学校の俺に、失恋したね、つらかったね、君の気持ちを分かってるよなんて言ってきたら、俺は怒り狂っただろう。
お前に俺のなにが分かるんだ! って言い返してしまっていただろう。それを理解しているのか、はると、れん、芽依も俺と結月が別れたあとになにも言わなかった。ただ相変わらずにそばにいてくれて、支えてくれた。
だから、結月の気持ちは理解していない。だが、想像することはできる。
俺の記憶では、いや、実際もそうだろう。結月は優等生だった。そして芽依の天然とはまた違って、純粋な子だった。
そんな子がお父さんに捨てられたら、きっと人間不信になっていてもおかしくはない。
俺は毎日二つの弁当を食べて、食べ過ぎで苦しんでいるが、毎日何も食べれない苦しみはその非じゃないだろう。
金、人間が作り出したものなのに、人間がそれに翻弄されているなんておかしな話だ。
すべてを壊して原始時代に戻りたい気分だ。金の概念もない、自分の置かれている幸せな状況に飽きて不倫に走る発想もない。
結月の言葉は俺を考えさせてくれた。今まで、恋は一種類しかないと思っていた。それは単なる好きという感情だった。
だが違った。恋の中には偽りも偽善も真実もある。そして気づかない恋だってある。
結月は俺の恋に気づかなったと同時に、俺は結月の恋に気づかなった。
すべての辻褄があった。この家に来て、彼女がボロボロな服着ていた理由も、俺のことを忘れたふりをした理由もなんとなく想像できた。
結月がどんな気持ちで俺が彼女の作ったご飯を残してるのを見ているのか、彼女が初めて笑ったことの意味も全部想像できた。
辛いのは俺だけじゃない。お父さんに捨てられて、お母さんと死別して、彼女がつらくないはずがない。そして、真実を知って、彼女のお父さんがどれだけ彼女の人生を狂わせたのも想像できる。
彼女が一生お父さんを許すことはないだろう。例え、彼女のお父さんが彼女に土下座して許しを乞おうと、彼女はお父さんを一瞥してその場から離れるだろう。
それほど、人生は重いものなんだ。高校生の俺が知りたくもない真実だ……
だから……同じことは俺にも言える。結月の人生を狂わせたのは彼女のお父さんだけど、俺の人生を狂わせたのは結月だ!
結月がなにも俺に言ってくれなかったから、なにも教えてくれなかったから、俺がどれだけつらいをしたことか!
時間が経っても忘れられない気持ちなんだ。彼女が冷たくすると、俺はどれだけ心が冷えて、泣いていたのか。その時の俺に、今の結月の謝罪の言葉を聞かせても、救われることはないんだよ!
悔しい……大好きだった結月との将来を考えていた。彼女と並んでもいい男になるために必死に勉強もした。彼女さえ俺を信じてくれたら、すべてがうまくいってたはずだった……それがすべて失われた。
結月を許して、彼女の愛を受け入れたら傷がなくなるわけじゃない。俺は何度も彼女が俺に向けた冷たい視線を思い出し、彼女が肉体的に俺を裏切ったことを思い出し、一人で苦しむことになるだろう。
許したら、もう彼女を責めることはできない。そして、すべてのつらい思いを、俺一人で背負うことになる。
自分が彼女の真実を誰よりも知りたがっていたのに、別れたあと、なによりも彼女からの謝罪と癒しを望んでいたのに、それが実現した今、俺はそれになんの意味もないと思い知らされた。矛盾しているな。笑ってしまいそうだ。自分という人間の愚かさが可笑しくて……
理想論だと思い知った。誰かに傷つけられたら、その誰かにしかその傷を癒せないと思っていた。だから、俺は心のどこかで、ずっと、ずっとこの日を待っていた。だが、それは違った。その傷はもはや誰にも癒せないのだ!
今、結月を抱いて、唇を重ねて、体も重ねたら、俺の傷が癒えるのか? 答えは否だ。俺はきっと彼女と交わった男のことに思いをはせるだろう。そして激しく吐き気がして、嘔吐して、傷が深くなるだけだ。
今、結月に、「結月のことは分かった。辛かったね。すべて許すよ」なんて言ったらどうなる? 彼女は後悔から解放されるかもしれないけど、俺は相変わらず中学校のことを思い出すだけで、また今までと同じく、心に激痛が走るだろう。
傷つけられたら、痕が残る。それも深い傷ほど、深い痕が残って、消えることがない。今の俺なら、はっきりそれが分かる。
俺が期待していた結月の謝罪に意味がなかった……知りたくなかった。彼女さえ、ずっと俺のことを忘れたふりをしていれば、俺はこの事実を知ることはなかったのに……人につけられた傷は誰にも、その付けた張本人でさえ癒せないという憎たらしい事実を知ることはなかった!
ずっと、ずっと信じていた。結月さえ俺に癒しの手を差し伸べてくれたら、俺の傷は消えると信じていた。そして、今、信じていたものが木端微塵に壊れた。
結月、お前はなんで俺に真実を話したの? なんで俺の言葉を聞いて謝罪したの? お前がいつまでも悪人のままでいれば、俺には希望が残っていた。結月なら俺の傷を癒せるという希望が!
そして、その希望、幻想が砕かれた。
結月が不幸だということは想像できた。でも理解はできない。納得もしていない。人の不幸で、自分が不幸になるなんて納得できるわけがない。だから、俺は結月にこう言った。
「出て行って?」
「えっ?」
「明日からまたお兄さんって呼んで?」
「……なんで?」
「今日はなにもなかった! 俺はなにも言ってないし、結月からなにも聞いてない。明日はまた結月ちゃんと呼ぶから、ちゃんと
「……うぐっ」
「だからもう寝るから、出て行ってよ!」
結月は泣きじゃくって、自分の部屋に戻った。それを見て俺の心が疼いた。分かっている。俺はただ、自分の傷がもう癒えることがないという現実から逃げたかっただけだ。
もう、今の俺に、結月のことを考える余裕がもはやないのだ……
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