第四十四話 結月の言葉

 気づいたら、涙があふれていた。


 悲しいのもある、それよりもいつきくんを分かってあげられなかったということがこれ以上ないほどつらかった。


 後悔と悲しみが練り混じって、私の涙腺を激しく揺する。


「私は、いつきくんが好き……」


 やっと絞り出せた言葉がこれだった。


「えっ?」


 彼は驚いた顔をした。無理もない。私と同じように、いつきくんは私に愛されているなんて思ってなかったのでしょう。


「私も中学校に入ってすぐいつきくんのことを好きになった……」


「……えっ?」


「ちゃんと覚えているよ。入学式の日、教室でいつきくんが祈りをささげているのを見て、おかしな人と思ったの」


「俺のその行動ってそんなに変何だったのかな?」


 なぜかいつきくんの口調が少し優しくなった。これで、私も自分のことを話せる。


「ううん、とても可愛かった。多分それでいつきくんのことを気になりだしたと思う」


「気になるのと好きは違うんだよ」


「聞いてほしい……いつきくん。あれからしばらくして、私はいつきくんに恋をしたを思う」


「俺のどこがいいの?」


 今ならわかる。いつきくんは真実を知りたがっている。私と同じように。だから、私は包み隠さずに話すことにした。


「綾瀬くんと天沢くんと話してるとこがすごく楽しくて、私を見てくるときは子犬みたいにかわいくて、有栖さんにはほんとのお兄さんみたいに優しくて……その全部が好きだった」


 いつきくんは考え込んだ。そして、私は言葉をつづけた。


「中二のときに別のクラスになって、私は寂しかった。だから廊下であなたを見つけたときはうれしくて、振り向いた」


「そうなのか……」


「ええ、あなたを見つけたときがほんとに嬉しかった……」


 また涙があふれてくる。懐かしい気持ちが一気に押し寄せ、私の心を覆っている氷を砕こうとしている。


「いつきくんに告白されたときは、その二年間の気持ちが恋だと気づいた。だから思わずにうなずいた。喜びを抑えるのに精一杯だった。幸せでどうにかなりそうだった」


「それなのに、なぜ俺を……」


「お父さんが駆け落ちしたの……」


「えっ?」


「お母さんのことをあんなに愛していたお父さんが若い女の子と一緒にどっか行っちゃった。私とお母さんを残して……」


「……」


「私は両親に喜んでほしくて、一生懸命に勉強を頑張ったの。私の成績を見て、両親はいつも笑いあってほめてくれた。私は家族の愛、そして、お父さんがお母さんへの愛を信じていた。そして、それが裏切られた……」


「新入生代表だったね……結月が壇上に立っている姿を見て凛々しいと思った。一目惚れだった……」


「そのときから私を見つけてくれたのね……でも、ほんとにごめんなさい。私はいつきくんとお父さんのことを同一視していた」


「どういうこと?」


「いつきくんの好きも恋心も、お父さんみたいに偽りなものなんじゃないかなって」


「俺は結月のお父さんとは違うんだ!」


「ええ、今なら分かる。いつきくんはちゃんと私のことを好きでいてくれた。愛してくれた」


「なんで今さらなんだよ……」


「なにもかもが怖かった。いつきくんに確認するのが怖かった。もしほんとにいつきくんの気持ちが偽りだったら、私はもう立ち直れないと思った」


「俺に聞いてよ……」


「ほんとにごめんなさい。もしあなたを信じることができたら、あなたにすべてを話せたら、私たちは今でも一緒にいるのかな……」


「分からない……」


「そうだよね……なにもかも間違えてしまったもの……お母さんは働いたことがなかったから、給料の安いバイトしかできなかった。だから、私は何日か、昼食を食べていなかった」


「それで俺に金を?」


「もっと最低な理由からだよ……ある日ふと思ったの? いつきくんにお金をもらおうとしたら、いつきくんがどんな反応をするのかって。私のことを愛していたら、お金くらいくれるよね……って。もちろん、お腹がすいて、みじめな気持ちもいっぱいだった。でも、いつきくんは嫌な顔をせずに100円を渡してくれた。それで、私は自分の行動が愚かなものだってすぐに気づいた。お金をくれてもくれなくても、私があなたを信じることができなかった」


「なんで……? それが分かってるのに、なんで俺に金をもらい続けたの?」


「お金をもらおうとした時点で、いつきくんがもう私を軽蔑しているのではないかと思った。だからいつきくんがまだ私のこと好きかどうか確かめたかったから、もっと、もっとお金をもらったの。久しぶりに食べれた昼食が美味しくて、少し気持ちが安らいだのもあった」


「そんな理由で?」


「ごめんなさい。こんな最悪の理由で……」


「でも、でも、なんでほかの男とやったの……?」


 いつきくんの言葉が私の忌々しい記憶を蘇らせた。でも私はそれに向き合ってありのままのことを彼に伝えなければいけない。せめての贖罪として。


「いつきくんに愛されてないと思って、自暴自棄になっていた……」


 私は助けてほしい、怒ってほしい、連れ戻してほしいとその時思っていたなんて口に出せなかった。それは私の一方的で勝手な願いだったから。


「俺のこと見て見ぬふりしたのも?」


「うん、愛してる人に愛されてないのなら、私もあなたへの思いを消すしかないと思ったの」


「別れたのも?」


「ごめんなさい。あなたの『払う』という言葉で、私はやはり愛されていないと思い込んでた」


「……」


「ごめんなさい」


「……」


「ごめんなさい」


 私にできるのはもはや彼にごめんなさいと謝ることしかなかった。

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