第四十三話 追憶Ⅱ

 お母さんの葬式はすごく質素なものだった。


 葬式に参加する人は少なかった。お母さんの友達も親戚もほとんどがお母さんを見放した。偽りの愛を口にしていたお父さんもお母さんの遺骨をも見に来なかった。当然といえば当然なのだろう、その男は今もまた別の女に偽りの愛を口にしている最中なのだろう。


 でも、お母さんの葬式をあげてくれた人がいた。それはなによりの救いだった。


 お母さんを失って、私の目の前は真っ暗になった。なにもかも終わったと思っていた。お母さんの遺影と遺骨を見て、私は今何をしているのだろうという錯覚に陥った。私はいつきくんと幸せに暮らしていて、今は悪夢でも見ているような感覚だった。


 だが、すぐこれが現実だと気づく。心からこみ上げくる苦しみはこれが現実だと私に叩きつけてくる。


 出席している数少ない親戚も私のことを見て見ぬふりをしていた。お父さんが駆け落ちしてるから、無理もない……


 私は茫然と正座していた。これからは施設に預けられるのかなと悲観しきっていた。もう私になんの権利も残っていないのだろう。


 ふとある夫婦に声をかけられた。


「良かったら、私たちの家に来ない?」


「息子がいるんだけど、結月ちゃんさえよかったら」


 私はぼーっとこの夫婦の顔を見上げた。私の親戚なんかと違って、慈愛に満ち溢れた顔だ。私はただ「はい」と答えた。もはや、この夫婦が何者かすら聞く気にもならなかった。どうせ聞いたところで何も変わらないから。


 私は車に載せられ、この夫婦の家に向かった。いや、引き取ってくれるのだから、お義父さんとお義母さんと呼ぶべきだろう。ほかにどういうふうに呼べばいいか分からないし、ちゃんといい子にしないと捨てられちゃうかも……


 家について、名札を見た。私は激しく動揺した……「秋月」と書いてある。


 もしかしたら、これっていつきくんの家なの……?


 お義母さんは先に車から降りて、息子に事情説明してくると言って家に入った。私はますます不安になった。


 私の愛してる人、私のことを愛してない人が住んでいる家。もしほんとにこれがいつきくんの家だったら、私はどんな顔をして彼に会えばいいのだろう。


 彼は私なんてとっくに忘れているのだろう。なんせ彼は私を愛していなかったのだから。そんな私を彼が覚えてるはずがない。


 私より誕生日が先だから、お兄さんとでも呼ぶべきなのかな。いっそ、私も忘れたふりをして、お兄さんって呼んだほうがいいのか……


 もし、ほんとにいつきくんがいて、彼に会って、大好きだよ、今でも愛しているなんて言ったら、彼は嘲笑って誰だよって言ってくるのかもしれない。そんなの耐えられない。耐えられるわけがない。


 案の定、いつきくんがいた。彼は私を見て少しびっくりしている。いきなり、女の子が義妹としてやっきたから、驚くのは当たり前か。


 彼の顔を見て、私はどうしようもなく切なくなった。彼を抱きしめたい。彼になんで怒ってくれなかったのかって聞きたい。なんで愛しているって最後に言ってくれなかったのか知りたい。ほんとに私のことは遊びだったの……?


 でも、そんなことはできない。きっと彼に聞いたら、私の期待している答えと違うものが返ってくる気がしたから。


 私は気持ちを押し殺して、お兄さんって呼んだ。これで私も彼を忘れられると確信した。


 お義父さんとお義母さんは私を部屋に案内した。二人の様子を見ると、私といつきくんのことを知らないみたい……やはり、いつきくんは私のこと愛してなんかいなかった。遊びだったんだ。だから親にも私のことを話していなかったんだ。そう思うと、その夜、私は泣き明かした。


 お義父さんとお義母さんに捨てられないように、私はお父さんが出て行ったあとに培った家事と料理スキルを使って、この家の家事全般をやるようになった。お義母さんはいいって言ってくれるけど、不安でしょうがなかった。元々は他人だったから、何もしなくても私をずっと育ててくれるわけがない。


 転校した初日、私は彼と一緒のクラスになった。嬉しい反面、私は怖かった。愛する人と同じクラスにいれるのはうれしいけど、私は彼に愛されていない。だから彼の近くにいるのが怖かった。


 綾瀬くん、天沢くん、そして有栖さんは嫌そうな顔を向けてくる。私は彼らにも嫌われてるのだと、直観がそう告げてくれた。


 私がいつきくんのために作ったお弁当を彼のところに持っていくと、ほかの女の子が彼のためにお弁当を作ってくれている。いつきくんにはもう新しい彼女ができたんだね……そもそも、私はいつきくんの彼女だったかすら分からない。そう思うと、涙が出そうになった。


 もう、私が彼のためにしてあげれることなんてないんだね……


 いつきくんの彼女、姫宮さんは私を絶対いつきくんの義妹いもうととして認めないと言った。私もムキになって姫宮さんをいつきくんの彼女として認めないって言い返した。


 どうかしていたと思う……姫宮さんはいつきくんの愛してる人で、私は愛されていなかった人。そんなことを姫宮さんに言う権利は私なんかにないのだから……


 私の作った朝食と夕食も、いつきくんはあんまり口を付けなかった。私は悲しみを抑えて、彼の残した分を一人で食べた。


 いつの間に、私のタンスに入ってる服と下着が可愛い新品になっている。多分、お義母さんがこっそり入れたのだろう。私が気を遣ってばかりいるから、お義母さんはこんなやり方で私を助けてくれているんだね……そう思うと、服と下着を着替えたあと、いつも涙が止まらなかった。


 私は決めた。バイトをして、お金を貯めて、いつきくんからもらったお金を全部返すって。彼を試す意味もあったけど、ほんとに貧乏だったから、彼からお金をいっぱい要求した……


 もしお金を返せたら、私は少しだけ彼の前で胸を張れるようになるのではないかと思った。もちろん、彼に感謝と謝罪の意味も込めてる。


 私を愛していなかったけれど、彼がお金をくれたおかげで、昼食が食べれた。それだけでもとてもありがたい。そして、同じ中学生だった彼からお金を要求して申し訳なかったとお金を返すと同時に伝えたい。


 そして、なにより、私は金目当ての女の子じゃないって今更ながら、彼に分かってほしい。もう遅いって分かってても、私は彼に軽蔑されたままでいたくない。


 毎日バイトしながら、家事もこなすのがすごく大変だった。たまにめまいがして、倒れそうになる。でも倒れたら、私はお義父さんとお義母さんに捨てられちゃうかもしれない。だから、私は踏ん張った。


 いつきくんもなぜか少しずつちゃんと私が作ったご飯を食べるようになった。今がお金を返すチャンスだと、私は5万円を握りしめて、彼の部屋のドアを叩いた。


 そして、彼は驚いた顔で私を見つめる。いざこういう時になったら、なにを言えばいいか分からなくなった。


 その金はなにって聞かれて、返しに来たって答えたら、いつきくんは今まで聞いたことのような声で言葉を綴った。





 彼の言葉がすべて終わったとき、私は分かった。やっと理解した。自分はバカだったんだって。いつきくんはちゃんと私を愛してくれていた。ちゃんと私のことを見てくれていた。ちゃんと嫉妬してくれていた。ちゃんと怒ってくれていた……それが今わかって、うれしかった。


 私が間違っていたんだ。いつきくんはお父さんじゃない。すべての男はお父さんみたいに偽りの愛しか持たないわけじゃない。すくなくともいつきくんは違った。いつきくんは私のことをちゃんと考えてくれた。


 私がいつきくんを試したせいで、貧乏だったからお金を要求したせいで、そして、肉体的に彼を裏切ったせいで、いつきくんは苦しんでいた。彼の言葉にはそれほど悲しみと苦しみがこもっていた。それは彼が私を愛してくれていたた証明にほかならない。


 私が勝手にいつきくんを試して、お金をもらって、そしていつきくんがもう私に幻滅したのではないかと思い込んでいたんだ……そのせいで、私たちの関係はおかしくなった。


 初めて好きになった人、いつも子犬みたいで可愛い彼、そして今知った私のことを大切に考えてくれてたいつきくんを私が疑ってしまった……


 なんで、お父さんのことを最初に彼に話さなかったのだろう。なんで彼を信じてあげられなかったのだろう。すべては私の思い違いだったなんて……こんなの後悔してももう意味がないよ……


 私はどうすればいい? 彼の表情、彼の声のトーンで、私は理解してしまった。私のせいで、彼が壊れた。愛する人を自分で壊してしまうことになるなんて、もはや言葉にできないくらい私は苦痛に苛まれている。


 もし、あのとき、私がいつきくんを信じ切ることができたら、二人はそのまま幸せでいられたのかな……もう遅いよね……ほかの男との行為中にいつきくんの電話に出たとき、彼は怒ってくれなかったんじゃない、とても苦しんでいたんだ。今やっと認識できた。


 それは私たちの関係を決定的にダメにしたと今やっと気づいた。私が壊れていたとはいえ、取返しのつかないことをしてしまった。


 後悔より黒い何かが私の心を支配して、鞭をひたすら打ってくる……


 すくなくとも、私は今お金を彼に返して、最後のあがきとして、私は金目当ての女の子じゃないと、彼に分かってほしい……


 私の涙は強がる意思に反して、とめどなく流れていた。

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