第二十話 揺れ動く気持ち
俺は心に起きている異変に気付いた。
遊園地で俺が意識を失ったとき、看護してくれた後ろ姿……温泉旅行の夜に、庭で見せてくれた微笑み……俺をかばって、暴力を振るった男の子に怒ってくれた顔……そして、ゲームでムキになって少し尖っていた可愛らしい唇……
あの夜、姫宮が俺の部屋に忍び込んだ時に感じた彼女の温もりがほのかに俺の体に残ってて、淡いキスの感触が俺の心をくすぐっている……
「いつきくん、あーんして」
いつも通りに、俺は屋上で姫宮と昼食を取っていた。今日の姫宮の弁当は可愛いキャラ弁だった。仮にも魔王なのに、猫のキャラクターを描いていいものなのかな。
俺は口を開けて、姫宮がお箸でタコウィンナーを掴んで、俺の口の中に運んだ。キャラクターに拘って、味がおろそかになったんじゃないかなという俺を心配を一掃し、口の中に美味が広がっていく。
「美味しい?」
「もぐ……おいちい……」
俺が食べながら返事すると、姫宮は可笑しくてにこついた。
「美味しすぎて日本語も喋れなくなったのかしら?」
「もぐ……そういうことでいいよ……」
「世話の焼ける赤ちゃんだわ~」
もう! 俺のバカ、気が緩んでしゃべったせいで、やはり姫宮にバカにされてしまったじゃん。 きっと姫宮は内心で爆笑してるに違いないよ……
でも、なぜか反抗しようという意思はなかった。姫宮が怖いからなのか、それとも別の理由があるのか俺には分からない。いや、分かってるけど、分かってないふりをしているだけなのかもしれない。
「次はご飯ね」
「はーい」
姫宮は躊躇なく猫の顔を引き裂き、そして引き裂かれた一部を俺の口に運ぼうとした。いや、えげつないよ。俺がいうのもなんだが、自分で作ったキャラクターになんの情も感じないのかな。
「……もぐ」
すまん、猫ちゃん、君にも墓を建てるから。俺の墓の隣でいい? 気が向いたらお香も焚いてあげるから……
俺は哀れの気持ちとともに猫ちゃんを飲み込んだ。苦しいけど、美味い……
「うぐ……猫ちゃん……」
「ほんとに赤ちゃんになったみたいだわ~ 猫ちゃんって言ってる~」
「だれのせいだと思ってるんだよ……」
「ほら、早く食べないと授業に遅れるわよ~」
そして、姫宮も自分の弁当を一口食べて、またご飯を俺の口に運んでくれた。いつも俺ら二人は一つの弁当を食べているんだ。
「さすが魔王、下僕に自分の食べ残しをあげてるよ」
「ああ、毎日この光景を見てたらあの男子が不憫でならないわ」
いや、姫宮は確かに一つの弁当しか持ってきていないが、量はきっちり二人分あるよ。
なぜか、俺は内心で姫宮をフォローした。なぜこうしたのか自分でも分からない。
教室に戻ると、いつものように芽依が自分で作った弁当を渡してくれる。
そして、午後の一限目が終わるとそれを平らげるのが日課だった。そのせいで、晩飯があんまり食えない。まあ、芽依の弁当がなくても、結月が作った晩御飯は箸が進まないから、これはこれで助かってるのかも。
結月は転校してきた初日に俺に弁当を作ってくれたけど、俺には姫宮と芽依の弁当があるって気づいたのか、それ以来俺の分は作らなかった。
放課後、俺は大きくなっているお腹を引きずって帰宅の準備を始めた。
はるととれんはよほど姫宮の奴隷たちが芽依のダークエルフを凌辱したのがトラウマになったみたいで、すっかり例のRPGの話をしなくなった。いや、俺もあんまりしたくない。ていうかあれ以来そのゲームはやっていない。母ちゃん、せっかく買ってくれたのにごめんね……
「帰るわよ~」
「はーい」
「有栖さんに言ってるわけじゃないわ」
「私は
「家の近さと関係性とは関係がないと思うわ~」
「正論で私を黙らせると思わないで!」
いや、普通に正論を言われたら黙るでしょう。芽依、大丈夫? 正論って認めてるのに反論するつもりなのか?
「では、聞こうかしら? 有栖さんは家がいつきくんちの隣で、幼馴染であること以外になにかあるのかしらね」
「よく聞いてくれたよ! いっきとの思い出!」
「うっ」
初めて姫宮が言葉に詰まるとこを見たよ。これってもしかしたら芽依の初勝利じゃないかな。
「いつきくん、帰るわよ」
「こら、逃げないで~」
「戦略的撤退よ~」
姫宮って、芽依と同じようなことを口走って……芽依、君こそ真なる勇者だよ。もしかして、今まで負けたのは単にそのときのレベルがまだ低かっただけなのかもしれない。
毎日、毎日うるさい奴らだな……そう思ってるのに、なぜか俺の顔が緩んだ。
風呂入って、ベッドの上でくつろいでたら、電話がかかってきた。携帯を見てみたら、着信者のところに「魔王」が表示されていた。
『もしもし? いつきくん』
「どうしたの? 急に電話して」
『物理的な距離じゃ勝てないなら、精神的な距離を縮めることにしたわ』
「はあ」
これもまた妙なことを言い出すな。そんなに俺をおもちゃとして独り占めしたいのか。それとも昇給を望んでいるのかな。どんなことを言われても絶対に日給は増やさない。
『いつきくんさ……』
「なに?」
珍しく姫宮が言いよどんだ。
『やはりなんもないわ~』
「用事もないのに、電話を掛けてきたというのなら、この番号を迷惑電話に登録することも考える必要がありそうだな」
『ま、待って』
「待ちます」
どうしたの? 今日は姫宮らしくないよ。口では芽依に負けたし、俺にもなんも言い返してくれない。
『あの、き、キスはどうだったの?』
「えっ? キス?」
『まさかとは思うが、忘れたわけじゃないわよね』
やはりいつもの姫宮だ。プレッシャーが半端ない。
「覚えているよ。くすぐったかった」
『そう?』
「あと、柔らかかったかな」
『なにが?』
「姫宮の唇と胸」
『バカ!』
やはり、胸を俺に鷲掴みにされたことを気にしているんだね。どの道、今日は芽依だけじゃなく、俺も姫宮に勝利した。
ガチャンと姫宮が電話を切った。携帯だから、正確にはガチャンという音はしなかったのだが。
にしても、バカか……姫宮を雇ってから、初めて言われたな。なぜか胸がざわつく。なにかが心から湧き起ろうとする。沈めても沈めてもこの感情が自己主張をしてくる……
俺は、姫宮のことを好きになってしまった……
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