第参話「把握少女」

――泉子の虚ろな左の瞳の焦点が、ふっと定まった。その代わりに異形の右目の赫光は薄れ、上下の瞼が半ばまで閉じる。


 そうして意識を取り戻した瞬間に彼女は、異形の剛腕から繰り出された強烈な一撃がガマゴリラの顔面をひしゃげさせ、余す威力でその巨体をも吹き飛ばし、倒れた本棚の狭間へと沈める光景をまざまざと見せつけられた。


 しかも、とうてい認めたくはなかったが、その異形の剛腕はどう考えても自分の肩から伸びた、違えようもなく泉子自身の右腕だった。


「――はぁ!?」 


 当然と言えばあまりにも当然な疑念の声を上げる。しかしすぐに、冴えわたる頭の驚くほどの回転速度によって、自身の置かれた状況がするすると淀みなく脳に流れ込み、片っ端から整理整頓されてゆく。


 まずなにより、瀕死だった体が完璧に蘇生しているということ。それは、胸の中心でどくどくと鼓動している「禍種」から伸びた「根」が肉体に融合し、破損部分を補完してくれたからだということ。同様に「禍種」から発芽した「禍蔦」が、鎧のように体に巻き付いて覆い守ってくれていること(それがどうやって体外に出たかは追求しないことにした)。


 それらの結果として、自分がとてつもなく強力な「戦闘能力」を得ているらしい、ということ。そういった全てを把握できてしまうこの頭の冴えもまた、肉体の補強の一環として活性化させられた脳のおかげであるということ。


――つまり、あのガッキュンとのやりとりが幻覚ではなかった、ということ。


「気分はどうだキュン? これでキミも、歌って戦う黄泉あのよのアイドル黄泉平坂ヨモツヒラサカ46の仲間入りだキュン!」


 すこし離れた位置から当のガッキュンの声が聞こえ、聴覚も強化・拡張されているらしいことに気付く。さらには、一度も染めたことのない真っ直ぐな黒のセミロングから、ゆるやかにうねる銀のロングヘアに変じてしまった髪の毛も、その一本一本が空間認識を司る感覚器官になっているようだ。


 まず後方では彼女がいま守るべき子供のすすり泣きが聞こえ、そこから正確な位置関係を手に取るように把握できた。そして店内の各所に倒れた人々の息遣いや脈拍から、生存者が少なくないことも知る。そのうちの誰かが通報してくれたのだろう、遠くから緊急車両のサイレンも聞こえていた。いまここで彼女がすみやかにガマゴリラを無力化できれば、救える命は決して少なくない。そのことを、瞬時に彼女は把握していた。


 ……と、それはそれとして。聞き返しておかなければならないことがある。


「なに坂……? だれが、アイドルだって……?」


「おっと、そっちじゃねえな……! そうそう! 女神の呪いから生まれた咒法少女、ヨモツ★ヒサメちゃんの誕生だキュン!」


 あらためて自分の姿をまじまじと見る。たしかに、スカートのキュートな広がりも、襟元や肩口のエレガントなシルエットも、ついさきほど彼女が望んだとおり、日曜朝ニチアサにテレビの中で悪を浄滅キュアする可憐プリティな少女たちを思わせるものではあった。それが、たまにドクンと脈動する紫のうねうね――禍蔦マガツタの集合体でさえなければの話だが。


「というかそもそも呪いってなに! 癒しとか光とかじゃなくて、呪いの戦士なのわたし?!」


 正直これでは敵方の女幹部、同じ日曜朝ニチアサでも時間帯のちがう特撮番組せんたいもののそれだ。雑食性の泉子としては、どこかで哀しみを背負いながら強く美しく戦う彼女たちのこともそれはそれで嫌いではなかったが、とは言え、それとこれはまた話が別である。


「……まあ細かいことは後だ。気付いてるだろうが、ヤツはまだピンピンしてる。もうそろそろ反撃が来るぞ」


 唐突にさきほどまでとは打って変わった口調、さらには声質まで渋みと色気さえ漂う大人の男声でそう返され、あわててガッキュンの姿を目視する。そこにいたのは愛くるしい小動物でもなければ、ちょっと期待した美形の人間態でもなく、長細い手足と対照的に膨らんだ腹、まばらな頭髪に爛々とした目――地獄絵図で目にする「餓鬼」そのものだった。


「……詐欺だ……いろいろと……」


「すべては話を円滑に進めるための方便さ。おかげでお前さんは死なずに済み、由緒ただしき泉津日狭女ヨモツヒサメの力と名を受け継いで、これから多くの人を救うことができる。そうなりたかったんだろ? 感謝してほしいくらいだな」


 言いながら、どこからくすねてきたのか半ば潰れたセブンスターの箱から煙草を一本とりだし、指先に灯した青白い鬼火で着火して、紫煙をくゆらせはじめる。


 そんなふてぶてしさに反感をおぼえるものの、哀しいくらいに冴えわたる頭脳によって泉子は、彼の言葉の圧倒的な正しさも一瞬で理解できてしまう。なにもできず理不尽に死ぬぐらいなら、そりゃあ今の状態のほうがいい。


 と、そこでひとつ些細な疑問が浮かぶ。


「あれ、それじゃガッキュンて名前も」

「……それは本名だ……」


 ガッキュン(本名)はなぜかそっと目を伏せて、タバコの灰をトントンと落とした。その反応に、泉子の溜飲はすこしだけ下がった。


「……とにかくだ! 神話を聞きかじったことぐらいあるだろう? 今のお前さんは、イザナミ様が地上に向けてはなつ呪いから生まれた『瘴気』を、『禍種マガタネ』を媒介して取り込み力に変えることができる。その呪いの力であのバケモノをたおせ! それが、イザナミ様の御意思だ」


 たしかに泉子は、大地から両脚を伝って流れ込むドロドロと濁ったタールのようなエネルギーが、胸の中心の禍種マガタネを介して全身に行き渡るのを感じ取っていた。これがイザナミの呪いから発生した「瘴気」ということなのだろう。


 オタク知識として日本神話は嗜んでいる。イザナミと云えばこの国のはじまりに、夫のイザナギと共に様々な神々を産み落とした母なる女神。


 されど、彼女は火の神を産んだ折りあえなく焼死してしまう。そのことを哀しみ黄泉の国まで迎えに行ったイザナギはしかし、腐り落ちた彼女の姿を見るや逃げ出すという暴挙に出た(古事記によれば、このとき彼を追走したのがヨモツシコメ、もしくはヨモツヒサメだ)。


 その顛末として彼女は、自身を裏切り辱めた夫を国ごと永久に呪い続けると誓ったのだ。一日に千人ずつ、民を呪い殺すと。――そう、イザナミは日本このくにを悠久に呪い続ける女神なのだ。


 ガマゴリラを倒した後、次は人間どもを滅ぼせ! なんて話にはならないのか。なんならそれこそが本来の目的ではないか。……などという危惧は脳裏にちらつく。しかし彼女の拡張された知覚は、それらの疑念を後回しにするしかないことも、把握していた。


 本棚を押しのけながら、悠然と立ち上がるガマゴリラ。ガッキュンの言った通り、その外見からも動作からもダメージはまったく確認できない。ひしゃげていた顔も元通りだった。皮膚の弾性によって高い耐衝撃性を備えているという推測が、先ほどの一撃の際に彼女の異形の右腕に残った記憶からはじき出される。


「――覚悟なさい、ガマゴリラ!」


 自分を奮い立たせるために泉子は、可憐プリティ浄滅キュアする少女たちを意識して、芝居がかったセリフを言い放っていた。

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