第四話「激突少女」

 覚悟なさいと泉子が異形の右手で指差した先。


 対峙するガマゴリラは、巨大な口の端をまるで嘲笑うかのように歪めてみせた。


 そのまま彼は巨体をすこし前傾させると、両手を指先の吸盤で床にぴたりと吸着させた。と見えた次の瞬間には、まるで先ほどの顔面への一撃の意趣返しかのように、間合いをゼロまで詰めていた。


 それは四肢の吸盤のグリップ力を上乗せした超カエル跳びによる、超高速突進からの頭突きヘッドバットである。まともに喰らえば、トラックに衝突されたようなものだろう。


 されど泉子に避けるという選択肢はない。当然だ、背後には守るべき子供がいるのだから。そして彼女は、経緯に若干の腑に落ちなさは残るものの、自ら望んで守り手に「変身」したのだから。


 彼女に武道の心得などと言うものはない。だから、戦いにおいて参考になるのは脳内のヲタク知識のみだ。


 可憐プリティ浄滅キュアする少女たちのなかでも、格闘戦に特化していたキャラクターを自身に重ね、両脚を前後に開いて腰を落とし、左腕で支えた異形の右腕をまっすぐ構え、緑の巨大な弾丸と化したガマゴリラを真正面から掌で受け止めんとする。


 しかし、それだけでは足りないことも彼女の頭脳は把握していた。絶対的な体重差を覆せないのだ。


 そして衝突の瞬間。右の異形の赤眼が一瞬だけ見開かれ、泉子が自身の意識を飛び越える何かべつの意思を感じたのと同時に、両脚を包む紫色のブーツの靴底から、床を突き破って無数の禍蔦が地中へと伸び、深々と根を張って、大地を縫い止めた。


 激突の衝撃に店内の空気が震え、破れた本の頁が舞う。渾身の一撃をたやすく受け止められたガマゴリラはしかし、一瞬の動揺も見せずにその場に着地し、足指の吸盤で床に両脚を吸着させると、休む間もなく左右の剛腕から猛烈なラッシュを繰り出す。


「えっ、ちょっと待って!?」


 泉子はそれを紙一重に避け、あるいは両腕で受け流しながら、それでも数発喰らってしまう。つい先刻はその一撃だけで死にかけていたが、「変身」した今は耐えることができる。しかしダメージの蓄積と痛みはあり、それはいずれ限界を迎えるだろう。それでも、彼女は防戦一方だった。


「おいバカ! 待ってくれるわけがないだろ、反撃しろ!」

「ちがう! いるの! 子供たちがまだ、こいつのお腹の中で泣いてる!」


 ガマゴリラに触れた瞬間、聞こえたのだった。背後に守る一人とは別の、いくつも重なった子供たちのすすり泣きが。


 と、そのやりとりに何かを察したかのように、ガマゴリラはいったん後方へと距離を取り、そこで大きく空気を吸い込んだ。


 ガッキュンのそれのように大きく膨らんだ腹の、薄くなった皮膜の向こう側。うっすらと浮かび上がるのは、胃袋であろう器官のなかにぎゅうぎゅうに押し込められて蠢く、子供たちのシルエットである。


 息を吐いて腹を戻し、口元を歪め、ゲッゲッゲと鳴き声を発する。それはもう疑いようもなく、子供たちの存在が人質として機能することを察した上での、明らかな嘲笑であり挑発だった。


「チッ…… 糞野郎が」


 吐き捨てるガッキュンは、同時に足元に捨てた吸いがらを素足で踏みにじる。


 そうしている間にも、救急車両のサイレンはどんどん近付いていた。到着までにガマゴリラを無力化できなければ、おそらく奴は泉子を放り出して救急隊員たちを襲うだろう。庇護対象が増えれば単純にこちらが不利になるし、なにより負傷者たちを救うことができなくなる。この敵は、そういう邪智をそなえた相手である。


 であればこそ。今やるべきことも、やり方も泉子には分かっていた。全身全霊を一撃に込めて、確実に相手を無力化するしかない。


 「必殺技」を、放つのだ。

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