第6話

 ジリリリ・・・!

 目覚まし時計がうるさい。もう朝か。一晩寝たからかな、昨日の落ち込んだ気持ちが少し晴れてる気がする。昨日の様子だと窓の外は一面の銀景色で外に出るのも嫌になるんだろうな。もう少し布団でヌクヌクしていたいけど、そろそろ起きてを迎えに行かなきゃ遅れちゃう。……昨日あんなことをしちゃったのに、カレンは私に会ってくれるかな。

 昨日浴び忘れたシャワーを浴びて朝の支度をして、スマホをチェックしたらカレンからメッセージが届いていた。何々?


『おはようございます。今日は風邪っぽくて会社休むから迎えに来なくても大丈夫です。』


 いつもは絵文字やスタンプも添えられてるのに、今日は文章だけで冷たく感じる。寂しい気もするけど、あんなことがあった昨日の今日だし、身体辛いだろうし仕方ないよね。お大事にね、っと。カレン大丈夫かな。

 さて、少し時間が空いちゃったし、手持ち無沙汰だな。昨日の海外市場の動向でも見てから出ようかな。どれどれ……え?何この大暴落!数年に一度ってレベルじゃない!?これはカレンに合わせて積み立て始めた投資信託は今日からしばらく含み損のオンパレードだろうな。こういう時は狼狽ろうばいして売っちゃう人が多いみたいだけど、私にはむしろバーゲンセールにしか見えない。原因にも依るけどこの下げがいつまで続くか分からないし、数か月に分けて爆買いかな。今日のところはスポット買いっと。これで良し。再び上がってくるであろう数か月後が楽しみだな。うん、気も紛れたし、行くか。

 久々の一人車に乗っての通勤は酷く寂しく感じる。しんしんと降り続ける雪が視界を奪って追い打ちをかけるようだ。雪があるからとカレンを乗せて会社に行くようになってから3か月くらいになるかな。思えば車の中で会社の愚痴を言いあったり、週末の予定を立てたり、投資談義したり、他愛のない話ばかりしてたな。ここ最近は会社が楽しみだったけど、行きと昼食と帰りにカレンと会えるからだったのかな。そんなことを考えていたらもう会社に着いてしまった。


 ――ふぅ、やっとお家に帰ってこられた。今日も一日疲れたな。業務時間中もカレンのことばかり考えてちゃって、全然身が入らなくて仕事は全然進まなかったけど。どうして昨日はカレンにあんなことをしてしまったんだろう。カレン傷ついてるよね……。

 何だか悶々と考えちゃって気分が晴れない。そろそろ海外市場が開く時間だし、こんな時は久しぶりにFXでもやって相場の荒波に身を委ねようかな。昨日の暴落の余波できっと今日は大荒れで楽しいぞ。勝っても負けても相場に集中してる間は他のことを忘れられるし。スマホ片手に布団にくるまって、準備オッケーだ。FX口座にログインしてっと。

 ……。何でだろう。嫌に調子が良くて口座残高の数字はどんどん増えているのに、ぜんっぜん嬉しくない、楽しくない。これだけあればカレンと贅沢できるけど、付き合ってくれるかな。相場に集中できない。もういいや。今日は切り上げてふて寝しよう。カレンは今頃どうしてるかな。。。


―――

――


 ジリリリ・・・!

 お、目覚まし時計くんおはよう。昨日はカレンのことが頭から離れなくて夜中に何度も起きちゃったからね、今朝は私の方が早起きだ。どうだい?見直したかね?

 夜中に起きたときに見た海外市場はまた暴落していた。いつまで続くのかなぁ。まぁ、バーゲンセールが続いてくれる分には私は嬉しいんだけどね。今日もスポット買いを入れてっと。カレンは大丈夫かな。こんな含み損たっぷりで喜ぶイカれた思考は一朝一夕でできるものじゃないだろうし、まさか売っちゃってないよね?


 朝の支度をしていたら良い時間になっていた。カレンに今日は体調大丈夫かとメッセージを送ったけど返事が無い。既読スルーだ。電話をかけても出てくれない。ちょっと早いけど、とりあえずいつもの待ち合わせ場所に行こう。

 

 やっぱりいつもより早く着いちゃった。それにしても今日も雪が深いな。車の暖房を全開にしてカレンが来るのを待とう。寝ないように気を付けなきゃ。

 ……。来ない。いつもの時間を20分くらい過ぎてるのにカレンが来る気配は一向に無い。やっぱり電話も出てくれない。まさか倒れて!?いや、今朝送ったメッセージは既読になってたから大丈夫だろう。じゃあ何で電話なりメッセージを返してこない?

 嫌な考えが脳裏をよぎる。ひょっとして、カレンに避けられてる?昨日のメッセージの風邪も私に会わないための嘘?やばい、呼吸が荒くなってきた。肺に空気が入らない。胸全体にぽっかりと穴が空いたみたいだ。ヤバいヤバいヤバいカレンカレンカレンカレン……。

 目の前が真っ暗になって、意識が遠のいていくのを感じる。ヤバい、こんな雪の中で気を失ったら最悪死んじゃう。どうしてだろう。こんな時になんで今朝投資信託を買い増したことを思い出すんだろう。

 暴落は買い。カレンに避けられているかもしれない今の状況は暴落。どん底もどん底。じゃあ買いは……?そうか。そうだよ!

 気付いたら急に体に力がみなぎってきた。目が覚めた。そうだよ。暴落は買い!避けられてるなら、尚更会ってちゃんと話さなきゃ!私の気持ちをカレンに伝えなきゃ!!そうと決まれば近くの24時間スーパーで食材を買って、風邪のお見舞いに来たていで押しかけだ。私特製の豆乳雑炊をしてやる!


 ――ピンポーン、ピンポーン。

 私は雑炊の材料を持ってカレンの部屋にやって来た。何度かチャイムを鳴らしているのに一向に出て来る気配がない。ひょっとして、避けてた訳じゃなくてほとんど動けない状態!?

 ドアのハンドルを引くと鍵をかけ忘れていたのか、そのまま開いた。不用心だけど今は好都合だ。私がカーテンの閉め切られた薄暗い部屋に入ると、ジャージ姿のカレンがベッドの上で体育座りをしてうずくまっていた。


「カレン!どうしたの?大丈夫?」

「ルナちゃん……?どうしてここに……?」


 カレンはいつもの元気はどこへやら。消え入りそうな声をしている。ボサボサの髪で濃い隈もできていて、せっかくの美人が台無しだ。


「メッセージ送ったのに返してくれないし、電話も出ないから様子見に来たんだよ!」

「え……?どうしてそんなことを?ルナちゃん、わたしのこと嫌いじゃないの?」

「そんな訳ないでしょ!何かあったんじゃないかってすっごい心配したんだからね!!」


 私は自然とカレンを抱きしめていた。カレンはビックリしたのか最初は震えていたけど、次第に震えは収まって抱き返してくれた。ごめんね、カレン。辛かったよね。


「ルナちゃん、ありがとう」


 カレンの声が涙ぐんでいる。私も嬉しさで涙が出てきた。


「カレン、ありがとうは私のセリフだよ。あんなことをしたのに、私を受け入れてくれて」


 私たちはしばらく抱き合い、互いに涙を流しあった。

 どれくらいそうしていただろう。私はカレンの膝の上に座り、後ろからカレンに抱きしめられる形になっていた。胸の下に絡められた細い腕でギュッと抱き寄せられる度に背中でカレンの鼓動を感じる。とても穏やかな鼓動……。安心する。いつまでもこうしてたい。


「そういえばカレン、体調は大丈夫なの?風邪ひいたって言ってたけど」

「さっきまで体も心も重くてこのまま死んじゃおうかと思ってたけど、今はもう大丈夫だよ」

「大げさだね」

「大げさじゃないよ。帰りの車からずっと景色が色あせて見えてたんだから」


 私を後ろから抱きしめるカレンの腕がもう離さないとばかりにギュッと強くなる。カレンの存在も強く感じるようになり、おへその下辺りが切なくなる。カレンにもっと近づきたい。身体と身体の境界が邪魔だ。


「しかも昨日は投信基準価額下落メールとか言うのが来て、口座を見てみたらすっごく損してて怖かったんだから。ルナちゃんを頼ろうにも嫌われちゃったって思って連絡できなくて……」

「もぅ、カレンは賢いのに、変なところでバカなんだから。私がカレンを嫌う訳ないでしょ。規模の大きな海外市場で大暴落があってね、カレンの投資信託も巻き込まれたんだよ。昨日の夜も大暴落してたから、きっと今日もそのメール来るよ」

「もうやだ……。何で何もしてないのにお金減るの?ちょっと前までルナちゃんにお返ししようと思うくらい増えてたのに、大切なお金だったのに……。もう売り払って貯金一本にしちゃおうかな」


 カレンの声が落ち込んでいる。頭を撫でて慰めてあげようと腕を伸ばしたけど、届かなくてカレンのほっぺたをペチペチしてしまった。カレンはクスリと笑い、逆に私の頭を撫でてきた。思い通りにならなくて悔しいけど、慰めは成功ってことで良いのかな?


「カレン、大丈夫だよ。含み損は売らなければ確定しないからお金は減ってないよ。逆に今売ったらどう?それって高く買って安く売る、投資の基本の真逆の行動だよ。今は売るなんてしないで積み立て続けて安く仕込むのが定石だよ。それが定額積立投資の肝だって、この前言ったでしょ?」

「それは分かってるよ。頭では分かってるんだけど、含み損でもどんどん減っていくのはやっぱり嫌だし怖いよ……。どうやったらルナちゃんみたいに強くなれるの?」


 カレンが私に軽くもたれかかってきた。カレンには悪いけど、私は強くなんかない。思考がイカれて含み損に対する感覚がマヒしてるだけだよ。だけど馬鹿正直にそう言ってもカレンを元気付けることはできないだろうし、どうしようかな。


「ねぇ、カレン。私たちは株価指数に連動する投資信託を買ってるじゃない?その大本は株価。株って何だっけ?株価って何だっけ?」

「……。株は小口に分けられた企業の所有権、株価はその値段だったよね、確か」

「そう。よく覚えてたね。だったら、その株価が落ち続けたらどうなるか。詳しい過程は置いといて、そういう会社は買収されるか倒産しちゃう。もし株価指数が落ち続けるなら、すべての会社の株価が落ち続けているってこと。止まらなければ全ての企業は倒産。今の社会システムは破滅しちゃう」

「社会の……破滅……?」

「逆に株価の上昇は企業の成長。企業はお金を増やす、資産を増やすことを目的に活動するけど、お客さんがいなきゃそれは成り立たない。企業はお金を得ることを原動力にお客さんの願いをどんどん叶えていって、社会はどんどん良くなる。人間たちの良い社会を作ろうとする営みが株価の上昇なの。もちろん例外もあるけど、根源的にはそうだと私は思うの。だからね、カレン」


 私はカレンの腕をほどいて立ち上がり、カレンに向き合い両肩に手を置き、しっかりと眼を見つめて言った。


「将来の資産形成のためなんだったら、5年後か10年後か30年後か分からないけど、今よりも社会が良くなっていると思うならこのまま売らずに積み立て継続が良いと、私は思うの。逆に社会が破滅に向かう、今より良くなることはないと思うなら売り払えば良い。傷は小さい内に手を打たなきゃね。カレンはどっちにする?」


 カレンは私から視線を外し、顎に手を当てて逡巡し始めた。ボサボサの髪に濃い隈があるのは変わらないけど、さっきまでの弱々しさは無くなって普段の凛々しい雰囲気に戻っている気がする。


「ルナちゃんは、ルナちゃんはどっちだと思うの?」

「私がそれを言ったらカレンは真似しちゃうでしょ?投資は自分で考えて自己責任でするものだよ。だからひ・み・つ」

「ルナちゃんの意地悪……。それにしても、社会の破滅だとか、表現が大げさだね」

「全然大げさじゃないよ。カレンもその内分かるんじゃないかな。少なくとも人間の強さは数か月以内には垣間見えるんじゃないかな」


 カレンが私の眼を見つめ返して来た。いつもの輝きが戻っている。うん、やっぱりカレンはこうじゃなきゃね。


「う~ん、ルナちゃんがそこまで言うなら、売らずに積み立て継続かな」

「言っておくけどそれはカレンの判断で自己責任だからね。私は強要してないからね」

「やっぱり、ルナちゃん意地悪……」

「「ふふ、あはははは!!」」


 私たちはひとしきり笑いあった。この部屋に入って来た時の押しつぶされそうな雰囲気が嘘みたいだ。私の眼にはもうカレンしか映っていない。うん、もう大丈夫だ。


「ねぇ、カレン。私、ずっとカレンとしたかったことがあるの」

「……うん」


 ベッドに腰かけたカレンは立っている私を少し見上げる形だ。カレンも意を決したのか目をつむっている。今度は私がカレンの顎をそっと触れる。ごめんねカレン、待たせて。

 唇と唇があと数ミリというところまで近づいたとき、


 クゥ~


 どこからか可愛らしい音が聞こえてきて、私は顔を引き戻してしまった。カレンが顔を真っ赤にしている。いけない、女日向陽菜ひなたはるな、ここはこらえどころだぞ。気付いてない振りはもう無理がある。せめて笑うな笑うな。


「ね、ねぇカレン、何かお腹に入れようか。その様子だと全然食べてないんでしょ?カレンが寝込んでお腹空かしてると思って食材を持って来たんだ。栄養たっぷり豆乳雑炊だよ」

「そ、そうだね。腹が減っては戦はできぬって言うしね。ルナちゃん、ありがとう」

いくさって……。カレンさんは一体何を期待しているんですかねぇ」

「うぅ、分かってる癖に……。やっぱり今日のルナちゃん、意地悪……」


 カレンが顔だけでなく耳まで真っ赤にしている。こんなカレンの顔初めて見た。これは反則だ。かわい過ぎて私まで照れてきた。一旦離れて心を落ち着かせなきゃ。


「キッチン借りるね。カレンは横になって待ってなよ。できたら起こしに来るからさ」

「うん、ありがとうルナちゃん。お言葉に甘えて、そうさせて、もら、う、ね……」


 手早く雑炊を作ってキッチンから戻るとカレンはとても安らかな顔でぐっすりと寝息を立てていた。カレンはいつも美人な大人の女性って感じなのに寝顔は子どもみたいでかわいい。ほっぺたをツンツンしたいけど、起こしちゃ悪いね。

 さて、遅くなっちゃったけど会社に今日は私もも休む連絡を入れて、っと。明日から週末で長くなりそうだし、書き置きを残して着替えを取りに一旦帰ろう。

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