第5話

「この前、プロに任せておけば安心、って考えは危ないって言ったじゃない?」

「そうだね。あ!ルナちゃん!ペンギンさんだよ!!よちよち歩いてトレーナーさんに餌をおねだりして、可愛いなぁ」


 今日はカレンと水族館に来ている。この土地は冬が厳しいから、お昼はまだ暖かい今の内に行ってしまおうとこの前約束したんだよね。カレンは楽しそうで何よりだけど、私は少し飽きてしまい、こうしてカレンに投資談義をしながら回っているのだ。


「可愛いねぇ。あの子、一人だけ列から外れてるけどちゃんと餌貰えるかな?それで、プロが運用する投資信託でも全体が下がったら結局資産は減っちゃうってことはこの前話したよね。それ以外にも気を付けるところがあってね」

「うんうん、あ!トレーナーさんが気付いてあの子にも餌をあげたよ。食べられて良かったね~」

「良かったねぇ。投資信託って普通は日経平均株価とかのベンチマークっていうのが設定されてて、それよりも良い成績を出すことを目指してるの。だから日経平均株価が10%下がっても、その投資信託が8%の下げだったら成功ってことになるの」

「そうなの?お客さんが投資してくれたお金を減らしといて成功だなんて虫が良いね。あ、餌やり終わっちゃった。みんな同じくらい食べられたかな」

「投資信託の勝ち負けって、例えるなら20羽いるペンギンから数羽選んで、その数羽が食べた平均の餌の数が全体の平均よりも多いか少ないか、みたいなものだからね。しかも公平に分けてくれるトレーナーさんが居ない野性の世界でね。体格とか俊敏性とか色々理屈を付けて選んでも、当たるも八卦当たらぬも八卦なの。しかも何年っていう長期で見てベンチマークよりも良い成績を残せてる投資信託ってほとんど無いって調査結果もあったりするの」

「ふ~ん、投資信託って儲からないんだね。ルナちゃん、今度はあっち行ってみよ!」


 亀だ。カレンに手を取られていった先にはバカでかい亀がいた。動きがのそっとしていて、何か親近感が湧いてくる。


「亀だね、ルナちゃん」

「亀だね。私、こういうの見てると安心する」


 私はいつまでも見てたいけど、カレンの目からはペンギンを見ていた時の輝きがなくなってる。もう飽きちゃったのかな。


「カレン、さっきの話の続きだけど、せっかくプロが厳選した投資信託でもベンチマークには勝てないことが多い。だったらいっそのことベンチマークを買ってしまおうとなる。これをインデックス投資っていうんだけど」

「確かにそれなら引き分けだね」


 カレンと同じで亀も退屈しているのか、大きなあくびをしている。かわいい。


「日経平均とかアメリカのS&P500とかの株価指数インデックスに連動する投資信託もあるから、それに毎日千円とか毎月2万円とか、ずっと同じ額で定期的に投資するの。ドルコスト平均法って言うんだけどね」

「それをすると何か面白いの?」

「面白くないよ。むしろ一番つまらない。この亀みたいに。もしカレンが投資に血沸き肉躍るような面白さを求めるならこの方法はナシだね」

「う~ん、どうだろう。そんなにのめり込むつもりは無いし、面白さは別に求めないかな」

「だったらこの方法は悪くないと思うな。証券口座で自動設定もできるから買い忘れもないし、いきなり10万円投資するのは怖くても2万円を5か月だったら精神的負担も少ないし」

「それはそうかもしれないけど、でも、相場全体が下がったらやっぱり損しちゃうんでしょ?」


 カレンが髪をいじっている。そろそろあくびも出てきそうだ。でも、私の話はここからが肝なんだよな。


「短期的にはそうだけど、年単位の長期で見たら相場の値段はいつかは戻ってくる。完全じゃないかもしれないけどね。そういう目で見たら相場が下がった時は絶好の買い場な訳よ」

「それはそうだよね。安い時に買っておくのは投資の基本ってこの前ルナちゃん言ってたよね」

「そう、基本。基本なんだけど、普通の人は相場全体が大きく下がった時はどこまで下がるか分からなくて恐怖にさいなまれて買いに走れないものなの。だけど自動設定なら恐怖なんて関係なく勝手に買われちゃう。買い場を逃さず『安く買う』という投資の基本を忠実に遂行できて、相場が戻ってきたら資産が増えている、って寸法よ」

「う~ん、そんなに上手く行くのかなぁ」


 カレンが自分の髪いじりに飽きたのか、今度は私の髪を三つ編みにし始めた。そういえば投資を始めたばっかりの頃、結花姉さんからこの投資手法を聞いた時もこうして髪をやってもらってたな。何だか懐かしい。私はあの時すごく感心したんだけどなぁ。カレンの心には響かなかったのかな。


「ま、カレンもやっている内に分かると思うよ。あ、でもやる時は自己責任でね」

「うん、もちろんだよ。やる時の参考にするね。どうもありがとう」


 "ピンポンパンポーン これから 3階でお魚ショーが始まります。"


「ルナちゃん、せっかくだし見に行こ?パンフには世界でここでしか見られないって書いてあるし」

「そうだね。せっかくだし見に行こうか。バイバイ、亀さん」


 カレンとお魚ショーを見て、お土産屋さんでお互いにキーホルダーを選び合った。カレンから私はカメさん、私からカレンはペンギンだ。それでこの日はお開きとした。何だかんだカレンは楽しそうだったし、暖かくなったらまた一緒に来たいな。


―――

――


 それからも私たちはほとんど毎週のように会って遊んだり、投資談義をしたりした。最初の頃は時々カレンに結花姉さんが重なって見えたけど、だんだんとそうなることも少なくなって、今ではカレンと会う時に結花姉さんを思い出すことも無くなった。

 カレンは結局インデックス投資の定期定額購入を始めたらしい。『投資は自己責任』の裏返しで儲けは全部カレンのものだって何度も言ったのに、儲かったら何かお礼すると言って聞かない。気持ちは嬉しいし、投資に目標があることは良いことなんだけど、変な所で頑固なんだよな。


 クリスマスは二人して休みを取ってイルミネーションされた街中を散策して、夜はカレンの部屋で豆乳すき焼きパーティーをした。二人ともお酒は苦手だから素面しらふだけど、ここまで一緒に居るとお酒の力なんか借りなくても何でも話せる。前からカレンに聞いてみたいことあったんだよね。


「カレンってさ、休みの日まで私と一緒にいるけど、恋人とかいないの?今日だって私に付き合ってくれてるけど、一緒に過ごしたい人がいたんじゃないの?」


 カレンはモデルみたいに整ったスタイルですごい美人だし、一緒に居ると楽しいし、絶対居ると思うんだよなぁ。だけど私と会ってばっかりで、いつ会ってるのかずっと不思議だったんだよね。カレンは一瞬驚いたような顔をして、その後少し寂しそうな表情に変わった。


「う~ん、今は仕事も覚えることいっぱいでそれどころじゃない、って感じかな。それにルナちゃんが一緒に遊んでくれて楽しくて、それでもう満足、みたいな?」


 これは意外な答え。うーん、私のことをそう言ってくれて嬉しいけど、もったいないなぁ。


「ルナちゃんこそどうなの?」

「え!?私?高学年の小柄な小学生にバカでかい胸を後付けしたみたいな私が?ないない。性格も捻くれてるし。私はそういうのの埒外らちがいの存在なの」


 我ながら自虐が過ぎた答えをしてしまった。これじゃカレンも引いて……ない?何で嬉しそうな顔してるの?喜ぶ要素あった??


「ふふ、ルナちゃん、そんなに自分を卑下ひげするものじゃないよ。ルナちゃんは自分で思ってるよりもずっと素直で魅力的なんだから」

「そんなことないよ……」


 私が落ち込んだ声を出すと、カレンが鍋の向こう側から私の隣に寄り、肩を抱き寄せ頭を撫でてきた。カレンにこうしてもらっていると安心する。お腹の下辺りがキュッと締め付けられるような感覚がする。カレンにとって私は妹みたいなものなのかな。私は会社では先輩だけど、会社の外ではたった半年だけどカレンの方がお姉ちゃんだしね。


「ルナちゃん、わた」

「よし、寂しい話題はここまで!カレン!シメ行こうシメ!」

「そ、そうだね。じゃあパスタ持ってくるね」


 カレンが何か言いかけてた気がするけど、まぁいいか。豆乳すきやきの残り汁で作るカルボナーラ風のシメが楽しみだ。


―――

――


 バレンタインも二人して休みを取って、いつかのアウトレットパークにやって来ていた。雪は降っていないけど平日で積もってはいるせいか、いつもは混んでて入れない高級チョコレート屋さんも空いている。ここで私たちはお互いに贈り合うチョコを選んだ。


「はい、ルナちゃん。こういう甘いの好きでしょ?いつも会社のデスクに常備してるし」

「ざんねーん。甘いのも好きだけど、チョコレートはビターな方が好きなんだ。デスクにあるのは頭使うから糖分補給するためだよ」

「え?そうだったの?何だかごめんね」

「ううん、ありがとう。お返しに私からも、はい。カレンもビターなの好きでしょ?」

「ざんね~ん。実は甘い方が好きなんだ。会社では気を引き締めるのと糖分抑えるために無糖ばっかりだけどね。でも、ありがとうね」

「「ぷぷ、あははははは」」


 二人して好みを勘違いしてたのが可笑しくて、周りが閑散としていることも手伝って大笑いしてしまった。一粒ずつ交換して食べてみたけど、うん、やっぱりチョコレートはビターだな。カレンも甘いチョコを食べて満面の笑みでほっぺを押さえてる。カレンが喜んでくれて私も嬉しいよ。


「あ、そうだカレン。私一度アレ乗ってみたかったんだ。ちょっと寒いかもしれないけど」

「え、あ~、あれかぁ。いいね、乗ってみようか」


 私が指さしたのは観覧車だった。それにしても何でアウトレットパークに観覧車があるんだろう。遠目からでも目立つようにかな。


「うわ!ばり寒い!寒いというか冷たい!」

「ぼっけーさみー!ルナちゃん、こっちこっち!」

「ヒャー!」


 冬の観覧車は想像以上に寒かった。カレンよ、巻き込んじゃってごめんよ。だけどカレンが隣り合ってくっついてくれたおかげで暖かくなってきた気がする。よし、せっかくだし外を眺めようかな。


「うわぁ、見てみてカレン!四方八方、ぜんぶ真っ白!」

「あはは、次乗るときは雪が解けてからにしようか」

「えー、いつもとは違う街の景色で、異国を見下ろしてるみたいで楽しいじゃん。ほら、ゴミが人のようだよ」

「ルナちゃん、それゴミと人が逆だと思うよ」

「あれ?そうだっけ?」


 観覧車が頂上を回った頃、さっきまで差し込んでたお日様が隠れてしまいゴンドラの冷たさに磨きがかかってきた。私たちは外を眺める余裕が無くなって、自然とくっついてジッとしていた。後5分くらいか。がんばれカレン。

 しばらく沈黙が続いたけど重苦しい空気じゃなくて、カレンと身を寄せ合っているからか、とても穏やかでロマンチックな雰囲気だ。寒いけどもう一周くらいこうしてるのも悪くないかも。いや、カレンが耐えられないか。私がそう思っていると、ふとカレンの口から白い吐息が零れた。


「ねぇ、ルナちゃん。わたし、ずっとルナちゃんとしたかったことがあるの」

「え、こんな時に何?降りてからでも」


 瞳を潤ませたカレンが突然私の顎にほっそりとした長い指で触れ、唇を近づけてきた。交通事故に遭ったときは周囲がスローモーションに見えるって聞くけど、こんな感じなのかな。カレンからさっき食べてたチョコレートの香りがする。きっと私の口もチョコレート味だ。

 カレンは私にはスキンシップ過剰気味だったし、いつかはこうなると思ってた。ううん、期待してたんだと思う。今まで何でみんな好きな人とキスしたがるのか理解できなかったけど、今なら分かる。うん、いいよ。来て、カレ――


 カレンを受け入れようとしたその時、瞬きをしたら私の目に映る人物が変わっていた。え?何で結花姉さんがここに居るの?しかも何で私にキスしようとしてるの?やめて!結花姉さんは憧れの存在だったけど、そういうことをしたい相手じゃないの!!


 ダーン!!

 ギシッ、ギシッ……


 え?何この音?私たちが乗っているゴンドラが大きく揺れて、カレンが倒れている。あれ?ひょっとして私、カレンを?


「いったたた……」

「ご、ごめん、カレン、大丈夫?」

「うん、大丈夫。それよりルナちゃん、無理やりごめんね。嫌だったよね」


 カレンの目には薄っすらと涙が浮かんでいる。それがゴンドラに身体をぶつけてしまった痛みからなのか、それとも私に拒絶されたと思ったからなのか。願わくは前者だけど、たぶん後者だ。


「い、いや、そんなことは……ないよ。むしろ嬉しかった、よ?」

「無理しないで良いよ。ごめんね」


 いつの間にか観覧車の一周が終わっていて、降りたら雪も降り始めていた。管理人のおじさんに何か怒鳴られた気がするけど何も聞こえなかった。

 帰りの私の車では一切の会話がなく、観覧車で身を寄せ合っていたときとは真逆の重く辛い空気が支配していた。カレンは涙は引いているみたいだけど、輝きを失った虚ろな目で外を眺めている。カレンが求めてくてれ嬉しかったのに、私はどうして拒絶してしまったんだろう。そんなの急に結花姉さんが重なったからに決まってる。でもそれはどうして?たしかにカレンは昔の結花姉さんに瓜二つだけど、仲を深めていくにつれて重なることは減っていったのに。どうして、どうして……。

 自問自答を続けたけど答えはもちろん出ず、カレンを部屋に送り届けて自分の部屋にたどり着いたら崩れ落ちそうになった。何とか気力を振り絞って部屋着になって化粧を落としたらもう本当に何もする気が起きない。このまま布団に潜り込んでゴロゴロしよう……。

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