第3話
私はカレンを車に乗せて先週とは別の大型ショッピングモールに向かっていた。先週約束した通り、色々なお店のあるところを案内することにしたのだ。
車内ではカレンに今週の仕事についてひたすら愚痴をこぼしてしまった。
研究したものを世に出すには技術じゃないところが難しいのだよ。入社して半年のカレンにはまだ分からないだろうけど、それでも助手席でウンウンと相づちを打ってくれるから私はとても良い気分になり、あっという間に目的地に着いてしまった。
「あれ?ルナちゃんそっちに行くの?あっちのおっきな建物じゃないの?」
「今日は先にランチにしようと思ってね。そっちは後で回ろ」
大きな建物を尻目に道路の向かい側の区画に車を停め、私は運転用の子ども用スニーカーから小さめサイズのヒールに履き替えた。低い身長に合わせるかのように足も小さいから、このヒールも中々見つからなくて大変だったな。私たちが車高の高い車から降りると雲一つない青空が広がっていた。秋らしく空が高い。歩いてるだけでも気持ち良いなぁ。
「ルナちゃんって、見た目に似合わずゴツい車だよね。森の中でもガンガン進んでいけそう。もっと可愛らしい丸っこい軽かな、って想像してたんだけど」
「ここの冬は雪がすごいからね。こういう4WDのパワーのある車じゃないと通勤すらできなくなるんだから。カレンももちろんそういう車だよね?」
私も初めてここに来た時はビックリしたものだ。私は元々こういう車が好きで選んだから良かったものの、あの冬を知らずに貧弱な車を買っちゃった人は大変だろうな。
「そうなの!?どうしよう、わたし、通勤用に買ったの普通のコンパクトカーだ。買い替える余裕もないや……」
これはご愁傷様。一応バスもあるから、冬場のカレンはバス通勤だな。あれ?カレンは何で申し訳なさそうで嬉しそうな不思議な顔をしてるんだろう。
「だったらルナちゃん、雪で通勤できそうにないときは乗せてってくれない?そしたらとっても助かるんだけどな」
なるほどそう来たか。確かにそれもアリかも。でも、その時は私たちは互いにどう呼び合えば良いんだろう。会社の行き帰りだから"結城さん"と"ヒナちゃん先輩"かな。まぁその時になってから雰囲気で決めれば良いか。
「うん、良いよ。カレンの住んでるところは会社までの通り道だしね。その時は一緒に行こ」
「やった!ルナちゃんありがとう!あーあ、早く雪降らないかな」
「あはは、雪道は運転難しいから、私はなるべく降らないで欲しいな」
そうこうしている内にランチのお店に着いた。今日のお店はよく整備された日本庭園のような敷地の中にある料亭のようなところだ。ランチセットでも2,000円超えとちょっと値は張るが、前から来てみたかったし、お店の雰囲気も高級感あるし、たまには良いだろう。
「うわ~、和風の高級料亭な雰囲気で良いところだね」
「そうだよね。外から見えて、前から行ってみたいなって思ってたんだ。この豆腐と湯葉のお店」
「ルナちゃん、お豆腐好きだよね。社食でも冷や奴の小鉢をいつも取ってるし、マーボー豆腐があったら必ず選んでるし」
「うーん、言われてみるとそうかも。お豆腐ってまろやかで美味しいよね。お鍋でも一番好きな具なんだ。ポン酢と良く合うんだよねー」
「ふーん、オススメのお豆腐ってあるの?」
「カレンなら、スイーツ感覚なチョコレート味とかさつま芋味とか気に入りそうかな。ゲテモノみたいに聞こえるけど、意外と美味しいよ」
「うぇ~、チョコと豆腐って合うのかなぁ。でも、ルナちゃんが言うなら」
「うん、是非是非」
お豆腐か。小学生の頃、憧れの結花姉さんを身長だけでも超えようと体を作るタンパク質を多く摂ろうとして、でもカロリーは押さえたくて辿り着いた答えだったな。朝晩は牛乳飲んで、おやつは煮干しにしてとカルシウムも抜かりなかったはずなのに、あの頃からほとんど伸びなかったな。どうしてこうなった。
「お待たせしましたー」
お、お喋りしていたらランチができたようだ。豆腐サラダに湯葉揚げに湯葉吸物、豆腐尽くしで美味しそうだ。
「すっごいお豆腐尽くしだね」
「そうだね。美味しそう。さ、カレン、冷める前に食べ始めよ?」
「「いただきまーす」」
豆腐のまろやかな口当たりと、だしが効いた和風の味付けが心と身体に染み渡る。カレンも喜んでるみたいだし、たまにはこういう贅沢も良いな。
「そういえばルナちゃん、投資とか運用について教えてくれるって、ありがとうね。この前はすっごく深刻そうな顔してたけど、もう大丈夫なの?」
「うん、お陰で何だか色々吹っ切れちゃったよ。この半生の間ずっと心にあったシコリが取れた、みたいな?だからもう大丈夫だよ」
「半生って、ルナちゃんババ臭いよ」
「そうじゃのう。ワシがババァならカレンもババァじゃな」
「ぷっ、ルナちゃん何それ~」
「ホッホッホッ……」
さて、掴みはこれで良いかな。それにしても、やっぱりカレンは頬を緩ませた顔が可愛らしい。もっと見てたいな。チャンスを見つけて笑顔にしてあげたいものだ。
「カレンがこの前分からない、って言ってた確定拠出年金って言うのは、本当におばあちゃんになった時に受け取る年金の一種ね。入社の時に説明されたのは企業年金の一種の確定拠出年金で、毎月何万とか決まった額を積み立てていくの。拠出する金額が確定しているから、確定拠出ね。積み立てたお金をどう運用するかは自分で決められて、その成果によって将来貰える年金額が決まる仕組みだよ」
「あれ?年金って掛け金が同じならみんな同じ額が貰えるんじゃないの?」
カレンが茶碗蒸しを口に運びながら訊いてきた。そうだよね。確かに年金って言うとそういうイメージあるよね。
「それは確定給付年金だね。給付される年金額が確定していて、それに合わせて掛け金を従業員から拠出してもらって、その企業か委託を受けた業者が運用するの。私たちのは言ってる確定拠出年金とは違う仕組みだね」
私も答えて茶碗蒸しを口に運んだ。出汁が効いていてプルプルで美味しい。カレンは箸を置き少し不安そうな顔をして私を見つめている。
「そうなんだ。でも、何で自分で運用しなきゃいけないの?運用が上手く行かなかったら年金減っちゃうんでしょ?従業員にそんなギャンブルみたいなことを強要するなんて、信じられない」
ま、当然の疑問だよね。私は今度は湯葉揚げに箸を伸ばした。うん、サクサクした食感が心地よい。
「
「コストカット?年金の種類で何か違うの?」
「確定給付年金だと運用が上手く行かなかった場合でも従業員と約束した確定された給付額は保証しなきゃいけないから、企業が損失補填をすることになっちゃう。確定拠出年金なら運用が上手く行かなかったときは加入者で運用者の私たちの責任になるから、企業は損失補填の支出を抑えることができる、という構図ね」
「そっか、会社はわたしたち従業員のことよりも会社の利益を優先したんだね……」
カレンの眉がさっきよりも下がっている気がして見ていられない。小学生の時から投資をしていた私からしたら、企業は株主の所有物で従業員は会社資産を増大させるための経営資源の一つに過ぎないから、会社にもたらす利益が同じなら徹底的にコストカットするのは当たり前に思えるけど、投資経験もなくて社会人歴も浅いカレンにしてみたらショックかもしれない。確かに一従業員からしたら大切にして欲しいよね。カレンの箸が進んでないし、このままだとせっかくの料理も冷めちゃうな。カレンに合わせて私も箸を置き、お茶を一口飲みこんだ。
「でも、私たちにとっても悪いことばっかりじゃないよ。確かに運用が上手くいかなかったら将来貰える年金は減っちゃうけど、逆に上手く行ったらたくさん貰えるようになるんだよ。そこは表裏一体。あと、他にもっとやりたいことが見つかって転職するときに引き継ぎがしやすいのもメリットだね」
「うーん、確かにそうかもね。損することばかり考えてたけど、上手く行って増えることもあるんだよね。転職の話はピンと来ないけど、今はルナちゃんも居るし毎日楽しいから考えてないや」
私はここ最近毎日考えてるけどな。上司がもっとマシなら毎日楽しくて転職したい衝動も湧かないだろうけど。でもカレンと会う機会が減るのは寂しいかも。
カレンは少し元気を取り戻したのか、箸を取って豆腐サラダを口にしていた。このドレッシング美味しいんだよね。
「だけど、私が一番のメリットだと思うのはそういう表面的なところじゃなくて、私たちが投資に興味を持つきっかけになるところかな。年金減らしたくないし、できれば増やしたい、だから運用について、投資について勉強しようとするでしょ」
「私がルナちゃんに聞いたのもそれがきっかけだし、確かにそうかも。でも、投資に興味を持って勉強すること自体にメリットがあるような言い方だけど、何かあるの?」
カレンの目がさっきまでの不安そうなものから、会社で教育してた時のひたむきに物事を吸収しようとする眼差しに変わった。真面目な顔は凛々しくて、記憶の奥の結花姉さんと重なる。思わず思い出の世界にトリップしかけたが、つまんだ田楽の苦みで今に引き戻された。いけないいけない、ここに居るのは結花姉さんじゃない、カレンだ。
「カレンはそもそも投資ってどういうものだと思ってるの?」
「投資って、株とか先物取引とかFXとかでしょ?中身はよく分からないけど、それってパチンコや競馬と同じようなギャンブルじゃないの?のめり込んで全財産失った上に借金だけ残ったなんて話、聞いたことある」
まぁ、そういう認識だよね。でもそれは間違ってる。結花姉さんの受け売りだけど、その誤解を解いてあげよう。
「カレン、そう思っている人多いけど、投資とギャンブルは全然別物だよ。確かに投資にギャンブル的要素はあるけど、ギャンブルには投資的要素は無いの」
「ルナちゃん、どういうこと?」
「例えば株式、これは会社の所有権を小口に分けたものね。株を買うということはその会社に投資しているなんて表現されるけど、本当は違うの。株を持っていると貰える配当金とか、会社が儲かって企業価値が上がって、それに伴って株価が上がることを目当てに株を買うなら投資。配当金も企業価値も無視して株価の変動だけを見て売り買いすると、投資じゃなくてギャンブルとか投機。株イコール投資とか、そういう単純な話じゃなくて、何を目当てにしているかで姿は変わるの」
私はカレンが頷いていることを確認して、湯葉のお吸い物を一口飲んで続けた。
「もちろん投資しているつもりでも最終的に儲かるか損するかは株の価格変動で決まる部分が大きいから、投資にもギャンブル的要素はある。だけど株をギャンブルとして買った場合は普通は長くても数カ月しか持たないから、そんな短い期間だと企業価値はほとんど変わらないし、配当金を貰う前に売っちゃっえば当然貰えないしで、投資的要素は無いの」
カレンは少し首をかしげながら季節の炊き込みご飯を口にしている。この辺りは実際にやってみてもしっくり来ない人も居るし、経験の無いカレンならなおさらかな。
「でもルナちゃん、私たちが年金で運用するのって、どこかの企業の株じゃなくて、何とかファンドとか、そういう名前のものだよね。それも投資なの?」
「年金で運用できるのは選ばれた一部の投資信託だけだからね。投資信託って言うのは、株とか債券とかの投資証券の福袋みたいなものだよ。だから特定の企業だけに投資とかではないけど、れっきとした投資だよ」
「でも、投資信託ってお年寄りが騙されて買わされる悪い印象があるけど、大丈夫なの?」
「それは投資とは全く関係ない銀行とか証券会社の問題だから気にしなくて大丈夫だよ。安心して」
私はデザートの抹茶アイスを口に運んだ。カレンの小豆のかかったバニラアイスもおいしそうだ。今度こそ一口交換しよう。でもその前に。
「投資に興味を持ったなら、自分でも証券口座を作って身銭を切ってやってみると理解が深まるよ。やり方を間違えなければ全財産失ったり借金を負ったりもしないし」
カレンがスプーンを置き、口の周りを吹いている。手元を見るとカレンのアイスはもう無くなっていた。残念。
「うーん、考えてみるよ。もしやるとなったら、その時はまた教えてね」
「任せて、私が知ってることなら何でも教えてあげるよ」
ランチを食べ終わり、落ち着いた私たちは店を後にし、先週私が買い忘れてしまった冬物を買いに行くことにした。ちんちくりんで子どものまま顔で、胸ばかり大きくて似合う服が無い私とは対照的に、モデル体型で美人のカレンには何でも似合う。私はそれが楽しくて普段の
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます