2.Code

「はろー、わーるど……ってどういう意味?」

「うーん……」

 陽の光が洩れる部屋は、この世に存在するとは思えない程に静かだった。彼は全てが優しさに包まれているようで、その優しさは言葉の節々から感じられた。

「多くのプログラミング入門書は最初に『Hello, world!』って表示させることが多いんだ。んー、説明になってないかな?」

 呼吸をすると、白い息が世界に溶けていく。彼は、言葉を紡ぐ。

「僕は学生の頃にプログラミングを始めたんだけどね、初めてこの文字が画面に表示させた時、嬉しさで溢れたんだ。自分の意思が世界に伝わったというか、なんというかね」

 お互いに顔を見つめあった後、私たちは微笑んだ。

「お湯沸かしてくる」

 朝起きると、彼は木製のデスクの上でキーボードを鳴らしている。昔から、夜明けの時間には目が覚めるらしくて、早朝から作業をするのが癖になっているらしい。私は大切な用事がない限り、お昼まで寝てしまうタイプだから羨ましいとも思うが、やっぱり寝ていたい気持ちが勝つ。

 目が覚めるとぼんやりと見える彼の輪郭、幸せと共にかなしさを感じる。彼と少し話した後は、温かいコーヒーを一杯。ここでは暖かくしないと生きていけないのだ。カフェインで覚醒してくると、ジャズミュージックを流す。

 いつもは、モダンジャズしか聞かない(それしか持っていない)のだけれど、日曜日の朝はヴェルベェット・アンダーグラウンド&ニコの「Sunday Morning」を静かに聴く。特に理由はないけれど、人間らしくて好きなのだ。


「なんでいきなり、プログラミングの話なんかするの? いつもあんまり興味ないじゃん」

「いやー、『ハローワールド』って誰が私たちに語りかけているのかなって」

「ふふっ…なにそれ」

 彼はツボに入ったようで、ゲラゲラと笑っていた。

「えー、そんなおかしい?」

「おかしい」


 少しの間、沈黙。


「このプログラミングを作った人は、もうこの世に居ないけどさ……この人が作ったは一生消えないんだよね」

「うん」

「人間は小さな単位の一つだろ? 僕も君に何か影響を与えているかも知れないけど、世界から見たらちっぽけなことだよ」

 彼は、こういう哲学的なことは言わない。私は茶化そうとしたけど、彼が滅多に見せない真剣な顔つきだったから諦めた。おそらく、もう最期なんだ。

「それでも、私はあなたと出会えて良かったよ」

 私は伝えたいことを続けて言葉にする。

「死んだ後とか、私以外の人間とか……そんなことは実はどうでもよくてさ。今この一瞬が素敵ならばそれで良いの」


 それから、数時間後。彼はドアの近くで誰かと話していた。

 どんな話をしていたかは分からないが、あまり聞きたくない言葉に限って私の耳に届いてしまった。

「優秀なエンジニアが足りない、今度の遠征は来てくれないか」

 おそらく、彼は行くのだろう。いや、行くしかないのだろう。


 この街の、終演は近い。

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