第12話 虹色の橋

「石上さん」


 自分が描いた大きな絵を見つめながら、深い考えの中を彷徨っていた結月は、声をかけられて急に我に返った。


「順番が来たよ。行ってらっしゃい」


 クラスメイトの女子が指さしたのは、岩時神社の本殿ほんでんである。


 ひのきの樹皮で作られた、優美な曲線の屋根が印象的な、赤茶色を基調とした建物だ。


 岩時神楽に関わる人物は、舞台に立つ生徒以外であっても、結月のように美術に関わるメンバーなどもすべて、本殿の中でみそぎの儀式を行う。


 中が六畳ほどしかないため、本殿は外から見ると小さく感じる。


 屋根に施された鬼紋おにもん欄干らんかんの柱に飾られた擬宝珠ぎぼし階段きざはしのサイドは黄金色で輝き、結月は神聖さを醸し出す本殿の雰囲気に圧倒された。


 ざわり。


 頭の中で様々な色が、チカチカと怪しげにうごめき出す。


 体感した事のない、本物の恐怖だ。


 それを感じた結月の心は激しく怯え、震え始めている。


 中へは入りたくない。


 意味はわからないけれど、本能がそう訴えている。


 それでも真っ直ぐ前を向き、結月は本殿へと歩き出した。


 ざわり。


 心配そうにウロウロ歩き回っていたクラスメイトの女子は、ようやく結月が来てくれて、ほっとした様子へと変わった。


「すぐ終わるよ」


 黒いTシャツにじっとりと汗がにじむのを感じながら、結月はこくりと頷いた。


「……うん」


 結月は黄金の階段きざはしを上った。


 本殿の中へと足を踏み入れると、外から両開きの扉をガン! と閉められ、横木によるかんぬきをかけられた。


 これで与えられた3分が過ぎるまでは、自分の意志で外に出ることが出来なくなった。


 注意深くあたりを見回したが、真っ暗で何も見えない。


「……?」


 甘くていい香りが、息を吸うたびに全身へと広がってくる。


「……桃の香り?」


 少しずつ、目が慣れてきた。


 建物の中に入ったはずなのに、そこは屋外だった。


 夜の闇が広がっており、燦然と星々が輝いている。


「……!!」


 風の音と、虫の声が聞こえる。


 赤く熟した実や花をつけた、数えきれないほどの桃の木が連なる場所に、結月はいつしか立っていた。


 天空からは七色に輝く大きな橋が、地上まで下りている。


 それは天界と人間世界をつなぐ恐ろしい蛇のように、結月の目に映った。


「…………」


 この世の景色とは思えない。


 ただ茫然と眺めてしまう。


 いつもは無表情の結月だが、この時ばかりは目と口を大きく開けて、驚愕の表情を見せた。


 その橋には、実のついた桃の木がいくつも描かれている。


 禍々しさを感じるほどの美しい風景に、結月は畏怖の念を感じずにはいられなかった。


 これは、自分が住んでいた世界の景色ではない。


 目の奥に焼き付けたり、絵に描くことなどは到底出来ない部類のものだ、と彼女は感じた。


 突然。


 その橋は虹色に輝くシャボン玉が連なった、泡の神ウタカタの姿へと形を変えた。


「やっほー! 光る魂さん!」


 楽しそうにウタカタは、手を振りながら結月に挨拶をした。


「……!!」


 結月は息を飲んだ。橋が変身して喋ったからである。

 

「あ。この姿、怖い?」


 シャボン玉が連なる蛇に似た姿から、ウタカタはパッと、美しくて奇妙な少女の姿へ変身した。


「これならどうー?」


「…………!!!」


 全身が総毛立つのを結月は感じた。


 帰りたい。

 本能がそう叫んでいる。


「誰?!」


 結月は、空をふわふわと飛んでいるウタカタに尋ねた。


 恐怖で声が震えてしまう。


「アタシ? ウタカタだよー」


 9歳くらいの少女の姿に変わったウタカタは、結月に笑いかけた。


 髪の色と目の色は、目まぐるしく七色に変化している。


 これは夢だろうか。


 自分は一体どうなってしまうのだろうと、絶望のような気持ちを結月は感じた。


「……なぜ震えてるの? 虹は生き物。天と地の架け橋だよー?」


 ウタカタは結月に笑いかけた。


「何者?!」


 ガタガタと震えながら、結月はウタカタに尋ねた。


「うーん。みんなはアタシを、『泡の神』って呼んでるー」


「……?!」


 結月は言葉を失った。


 この少女は自分のことを『神』だと言ったのである。


 頭が狂っているのだろうか。


「あなた、とーっても絵がうまいね! 名前は?」


 ウタカタの肌の色は、七色に変化しながら輝いている。


「結月」


 鳥のように飛んで、ウタカタは結月の周りを旋回し始めた。


「結月。あなたの『光る魂』をちょうだい? だーいじに食べてあげる!」


 右腕を高く掲げ、手首をクルクル回しながら、ウタカタは持っている絵筆を振った。


 すると絵筆から光が飛び出し、七色に変化する分厚いリボンへと変わった。


 そのリボンは包み込むように、かいこのような状態になるまで、結月の体を巻きつけた。


「何するの?!」


「食べちゃうのー!」


 ウタカタは微笑んだ。


「あーあ。エセナちゃんも一緒に来ればよかったのにー! こんなに簡単に、結月を捕まえられたんだものー」


 結月を包み終えた蚕はシュルシュルと小さくなっていき、ウタカタの右手の中にすっぽりとおさまった。


「光る魂、半分こしてあげたのにー!」


 リボンでぐるぐる巻きにされた結月は、意識が朦朧としてくるのを感じた。


「た……すけ……て」


 蚕の中で弱々しく訴える結月に、ウタカタはまた微笑みかけた。


「はははっ! 助けなんて来ないよー!」


 ウタカタは口を大きく開けた。


「さ、いっただっきまーす!」


「…………!」


 結月はその瞬間、蚕の中で気を失った。


「あーん!」


 ウタカタが結月を飲み込もうとした、まさにその瞬間。



「待て!」


 誰かが叫んだ。



 ウタカタは目を大きく見開き、声の主を探そうと、きょろきょろあたりを見回した。



 ゴゴゴゴゴゴゴ!!!



 桃の木が立ち並ぶちょうど真ん中の空間が大きくゆがみ、世界を揺らすような轟音が鳴り響いた。


 闇に化けた本殿の中へ、桃色のドラゴンと黄金の鳳凰が、突然姿を現した。


 大地と梅である。


 ドラゴン姿の大地は桃色の翼をはためかせ、ウタカタに向かって一直線に飛翔してきた。


 あたり一面に広がる桃の木は大きく揺れ、花びらを一斉に舞いあげた。


「その娘を離せ!」


 ゴォーーーーーー!!!


 梅は大地の横を飛びながら、黄金の炎を喉から吐き出し、ウタカタの右腕を燃やした。


「うーっ!!」


 ウタカタは痛みに顔をひきつらせ、急激に力を弱めた。


 その瞬間を、大地は見逃さなかった。


 ビュン!!!


 振り下ろした大地のとがった爪は、ウタカタの右腕を引きちぎった。


 グアッ!!!


 右腕は血を吹き出し、回りながら宙を舞った。


「痛い!!」


 ウタカタは叫んだ。


 握られていた蚕を、逆の手で大地はつかみ取った。


 ウタカタの腕だけが、奈落の底へと落ちていく。


 ぽろぽろ涙をこぼし、ウタカタは大地をキッと睨みつけた。


「何するんだー! あ!! お前は……破魔矢を抜いたドラゴン!!」


 大地はピンク色の髪を風に揺らす、白装束を着た人間の男に変身した。


「てめぇこそ、俺の友達に何しやがる!」


 彼の緑色の瞳は、怒りによって燃えるように揺れている。


 ウタカタは答えず、奈落の底に向かって叫んだ。


「戻ってこいー! アタシの腕ー!」


 声に答えるように、腕は奈落の底から戻ってきた。


「あ!」


 何事もなかったかのように腕は再び、ウタカタの肩におさまった。


「てめえ!」


 驚いて声をあげた大地を見て、ウタカタはけたけたと笑った。


「まだ方法はあるもんねー」


 くるくるー。

 くるくるー。


 何度も宙返りをしながら、ウタカタは体を小さくしていった。


「アタシ、何が何でも『光る魂』をもらうからねー?」


 梅はもう一度、小さくなったウタカタに向けて黄金の炎を吐いた。


 バチバチ!


 バチバチ!


 バチバチ!


 だが。


 炎に焼かれたまま飛び、大地の手に握られた蚕の中へと、小さなウタカタはスルスルと侵入していった。








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