気枯れの儀式

第11話 ドラゴン・ノスタルジア

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 ふることに伝う



 光と闇が生まれました



 それらは白と黒のドラゴンになり



 互いをもとめ


 

 影響を与え合いました



 その白と黒のドラゴンは



 決して交わることができず



 ぐるぐる

 ぐるぐるぐるぐると



 目にも止まらぬ速さによって



 クスコを追いかけ

 まわり続け


 

 ともえの形を作り出し



 互いの力を吸い



 互いの音を感じ



 互いの色を見つけ



 触れることをもとめ



 深名ミナを創りました。




 我々が住むこの世界は

 こうして生まれたのです。




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 もうすぐ19時になる。


 本を閉じて、目の前に広がる舞台の幕に視線を彷徨わせながら、紺野はパイプ椅子から立ち上がった。


 途中、舞台のリハーサルが何かによって、中断されたような気がする。


 でもそれが何だったのか、どうして自分の思考がその時に途切れたのか、紺野にはもう思い出せなかった。


 この原本の中には『クスコを追いかけ』とある。


「『クスコ』って本当に、あの小さなドラゴンの名前なんだろうか?」


 岩時神楽の舞台のリハーサルがやっと終わり、これから神楽の舞台に立つ高校生メンバーが、入れ替わりながら本殿の中に入って『みそぎの儀式』を行う。


 『気枯れケガレ』という体になるための『みそぎの儀式』は、神と相対するための大切なお清めと言われ、古くからこの岩時神社で行われてきた。


 遠い昔。


 『気枯れケガレ』に選ばれた人間は1年から3年の間、誰にも会わず岩時神社本殿の一角だけで暮らし、神と向かい合うための心を作り出したと伝えられている。


 略式に変えられてはいるが、舞台の直前に執り行われる『みそぎの儀式』の裏には、このような古い歴史が隠されていた。


 大きな神社の本殿という場所は本来、神職者以外立ち入り厳禁である。


 しかし岩時神社に限っては、そうではない。


 何が一番大切なのか。


 どういう行いが正解なのか。


 岩時神楽の原本に書かれた物語からは、そういった本質的な問いがいくつも、投げかけられている。


 岩時神楽の舞台に立つメンバーは続々と、本殿の方角へ移動を始めた。


 紺野は歩き出しながら、大地の肩に乗っていたドラゴンを思い出し、独り言を呟いた。


「『クスコ』って何だ……?」


 すると誰かが急に、横から彼に声をかけた。


「どうしたの? 紺野君」


 筒女神の白装束を着た、さくらだった。


「……! ああ、委員長か」


 気づかなかった事を恥じるように、紺野は苦笑いした。


 提灯の赤い灯りが、彼女の頬のラインを美しく照らす。


「もう委員長じゃないよ」


 紺野は急に、蒸し暑さが増したように感じた。


「そうだったね、ごめん。何だか癖で……今度からは名前で呼ぶよ」


 さくらは頬をふくらませつつ、紺野に向かって笑いかけた。


「何度も言ってるのに。本当は名前で呼ぶ気無いでしょう」


 去年委員長をやっていたさくらを、紺野はいつの間にか『委員長』と呼んでしまう癖がある。


「はは!」


 彼女を苗字や名前で呼ぶ行為が、紺野は何故か気恥ずかしかった。


「はは! じゃないよ、もう」


 こうして二人だけで話す時間が訪れると、他の女子には感じないような緊張を、彼女にだけは感じてしまう。


 その気持ちについて考える事を紺野は、ここ1年くらい避け続けていた。


 深く考えたく無かった。


 よくない答えにたどり着き、傷ついてしまうのが怖いからである。


 舞台の開始に向けて慌ただしく動き回る生徒たちや、雑然とした祭りの雰囲気の中で、紺野にはさくらだけが輝いて見える。


 素顔がもともと綺麗なさくらが、筒女神の衣装や装飾品で立派に飾った姿というのは、鳥肌が立ってしまうくらいに美しいと感じる。


 それは、どうしようも無い気持ちだった。


「さっき言ってた、しっくりこない部分のことを考えてたの?」


 紺野は頷いた。


「読めば読むほど、『岩時神楽』にまつわる謎が深まっていくんだ」


 紺野は自分の両手に握りしめた、かたくて黒い表紙で覆われた分厚い本に視線を落とし、小さなため息をついた。


「特にあの、『クスコ』という名前の意味が、わからないんだよ。このまま僕らは舞台の本番を迎えてもいいのかな、と思って」


 理解出来ない箇所をそのままにして、舞台にしてしまうのは、果たして良い事なのだろうか。


 そもそもこの『岩時神楽の原本』はいつの時代に、どこの誰が書き記し、現代まで残ったものなのだろう。


「クスコの記憶が戻ったら、名前の由来について聞いてみたいよ…………」


「そういえば言ってたね。記憶がおぼろになってるって」


 ふと観覧席を見ると、先ほどまで座って舞台を眺めていた大地とクスコはどこかへ、いなくなったようである。


「どこへ行ったんだろうね? 大地とクスコ」


 紺野はさくらと顔を見合わせ、首を傾げた。


「……夢でも見たような気分だよ」


「でも、びっくりしちゃった! クスコって、すごい高性能ロボットだよね!」


 さくらの言葉に、紺野は心の中で激しいツッコミを入れた。


 いやあれ、ロボットじゃないよ!


 そう言いかけたが、参道の奥から凌太が叫ぶ声に遮られた。


「おーい! お前らの番だ、呼ばれてるぞ!」


「はーい!」


 さくらは凌太に手を振り返し、返事をした。


「行こ! 紺野君」


「……うん」


 紺野はさくらと肩を並べ、凌太が呼んでいる本殿の方角へと歩き出した。






 


 その頃。




「命に別状は無いようです」


 再び傷ついたハトムギに、梅は回復の呪文をかけながら大地に伝えた。


「よかった」


 大地は安心し、胸を撫でおろした。


 だがハトムギは今回、気を失ったまま目を覚まさない。


「ハトムギをこんな目に遭わせやがって。許せねぇな、あのスズネとかいう神」


 梅と大地は相談の末、神社の事務を行う社務所の中へ、彼の体を運び入れる事にした。


 社務所の中はひんやりとしており、梅と大地の他には、人や霊獣の姿はない。


 がらんとした廊下の突き当りには、比較的広々とした畳の間がある。


 通常はその部屋の窓ごしに、神札やお守りなどを販売していた。


 布団を敷いてハトムギをその上に寝かせてから、梅は丸いちゃぶ台をはさんで大地と向かい合った。


 紫色のふっくらした座布団の上であぐらをかきながら、大地はこれまであった出来事を、じっくりと梅から聞き出した。


「……本殿でみそぎを?」


 大地の問いに、梅が頷いた。


「はい。それがこの地に住む人々の、古い習わしのようです。『岩時神楽』という舞台を行う前に、彼らの心を神に示す必要があるとか」


 大地は頭を抱えた。


「……そんな事をでしたら、ますますヤバい奴らを呼び集めてしまうじゃねぇか。本殿の中は人間以外、強い神や霊獣しか入れねぇんだから」


 梅は心配そうにハトムギに目を向けつつ、大地に話しかけた。


「大地。この地に住む人々や、あなたの婚約者であるさくらに、恐ろしい危険が迫っています」


「……ああ」


「この岩時の地はマナの加護があり、この地に住む人には多くの『光る魂』が宿ります。高天原天神は、それを狙ってくるでしょう」


 大地は頷いた。


「書物によると古い神々だけなんだろ?『光る魂』を食べる奴って。食われた人間ってどうなるんだ? ……死ぬのか?」


 梅は首を横に振り、少し声を震わせながら返事をした。


「死にはしません。ただ、人間として生きていく前向きな気力を失います。それを神々に奪われてしまうのです」



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