第13話 気枯れ(ケガレ)

 結月は不思議な場所で目が覚めた。


 体の感覚がいつもと違う。


 フワフワとしていて、とても軽い。


 あたりには澄み渡った空のような青い色が、どこまでも広がっている。


 天と地の境目が、わからない。


 ふと見下ろすと、水面のように光を反射する場所に、結月の体が横たわっていた。


 黒いTシャツにブルージーンズ姿の結月は目を閉じており、まるで眠っているように見える。


「…………!」


 驚いて今の自分を確認し、結月は悲鳴を上げそうになった。


 手足の形はかろうじて見えるが、体が透き通って、青々として見える。


 体の感覚がほとんど無いので、頼りなくフワフワと空中を飛んでいる。


 結月は急に恐ろしくなった。


 空気のようになった今の自分は、実体と切り離されてしまっている。


「……助けて」


 横たわった体の方は、中身が空洞になっているのだろうか。



 体を元に戻して。



 ここから出して。



「助けて……『さくら』!!」



 結月の口から飛び出したのは、大好きな親友の名だった。


 すると。


 今の『声』が実体化して色をつけ、薄桃色へと変わっていった。


「……?」


 声はさらに色づき、明るいけれど優しい、濃くて鮮やかな桃色へと変わった。


 まるでそれは、さくらの優しい微笑みのように、結月の目には映った。


「さくら?」


 結月がさくらの名を呼ぶと。


 白いキャンパスのような世界に浮かんだ桃色は、音も立てずにその姿を、結月の親友である露木さくらの姿へと変えていった。


「……」


 結月はこの光景に、息を飲んだ。


 さくらは白装束を身にまとい、完全に『筒女神』の姿になって、透き通った結月へと笑いかけた。


「はじめまして、魂さん! アナタはとーっても、綺麗ねー! 青い色が、どこまでも続いてるー……」


 さくらが喋った。


 結月はさくらの喋り方に、強烈な違和感を感じた。


「……さくらじゃないの?」


 はじめまして、ってどういう事?


 涙が出そうになった。


 目の前にいるさくらは誰?


 どうして笑ってるの?


 ここはどこ?


 助けてよ。


 結月は戸惑うばかりだった。


 ふと思いついたようにさくらは、地面に横たわる結月の体を指さした。


「これは気枯れケガレ


「……?」


 さくらは結月の魂の方に手を伸ばし、ぎゅっと抱きすくめた。


「……!!」


 急にさくらは、結月の透き通る魂の、左側の首筋に牙を立て、がぶりと強く嚙みついた。


 ごく。


 ごく。


 ごく。


 ごくごく。


 喉を鳴らす音が鳴る。


「……はぁっ……おいしいー!」


 息継ぎをするために一度、結月の首からパッと顔を離したさくらは、恍惚の表情を浮かべつつ、違う顔へと変わっていった。


 瞳の色は虹色へ。


 髪の色も虹色へ。


 いつしかその顔は、泡の神ウタカタへと変わっていた。


 結月はいつもの気力がどんどん、無くなっていくのを感じた。


「ありがとー! 美味しかった!」


 ウタカタは顔を真っ赤にし、最大級の興奮状態で叫んだ。


「あなたは、やっぱり『光る魂』!!」


 この声が、源となった。


 青々とした世界は七色に変化し、虹が幾重にも巻かれたような、巨大な竜巻を湧き上がらせた。


「『光る魂』ばんざーい!」


 抑えきれなくなったかのようにその竜巻は、いくつもいくつも、その源泉からほとばしった。


 何度も何度も竜巻は結月の魂を生き物のように包み、グルグルグルグルと凄まじい迫力で、結月の本体ごと吞み込んでいった。


 虹に巻きつかれながら、自分が描いた絵が急に、結月の頭の中で鮮やかに蘇った。


 岩時神社いわときじんじゃまつられた5体の神々と、岩時町の人々が100人ほど綿密に描かた、あの巨大な絵だ。


 夜の闇は、深い青色。


 凛とした表情で立つ主神しゅしんは、少しだけ微笑みを浮かべている。


 結月の親友、さくらがモデルとなっている、筒女神だ。


 『岩の神いわのかみ』、『時の神ときのかみ』、『泡の神あわのかみ』、『道(未知)の神みちのかみ』が、守るように彼女を囲んでいる。


 七色の髪と七色の瞳を持つ、絵の中の『泡の神』と、結月はまともに目が合った。


 悪戯をする子供のように、泡の神は片目を閉じて、微笑んで見せた。


「……!」


 湧き上がる。


 急激な勢いに包まれながら、遠い昔の記憶が結月の脳裏にいくつもいくつも、蘇った。












 





 フワッ。


 桜の花が満開の、暖かな春の陽気。


 結月は空を飛んでいた。


 岩時神社に続く太い参道が、下方に広がっている。


 一番高台の場所に建つ岩時神社も、坂のふもとにあるカフェ・ノスタルジアも、そのすぐ近所に建っている青い屋根の自分の家も、結月が浮かんでいる空の上から一望できた。


 気づくと結月は岩時神社のご神木、桜の木の上空を、フワリフワリと飛んでいた。


 その巨大な桜は、太い幹と太い枝を持っているにも関わらず、花も葉も実もつけない裸のまま、年中枯れた状態だった。


 木の下で、小さな女の子が二人、話をしている。


 結月は空から、その女の子達を見守った。


「私はさくら。あなたは?」


『……あれは』


「結月」


『これは私の、過去の記憶?』


 結月が岩時町に引っ越して来た日。


 その記憶を再現しているのだ。


 4歳だった。

 

 引っ越しの後片付けと挨拶周りで、バタバタと忙しそうな両親の目を盗んで、一人で一番高台にある神社まで、こっそり来てしまったのである。


 そこで、さくらと初めて出会った。

 

 今ごろ大慌てで、両親が自分を探しているとも知らず。


「ともだちになろう、ゆづきちゃん」


 さくらが笑顔でこう言うと、結月は頷き、小さな声でそれに答えた。


「……結月でいい」


「じゃあ私のことは、さくらって呼んでね」


「……うん」


 言葉には出来なかったけれど、結月はすごく嬉しかった。


 さくらが自分に「友達になってね」と、言ってくれたことが。


 友達がいなかった結月にとって何よりも幸せで、思い返すたび涙が浮かぶくらい、大切な出来事だった。


 初めての、大切な友達。


「私の家、すぐ近くなの! 今から遊びに来て!」


 小さなさくらは急に、小さな結月の手を引っ張った。


「え。今から?」


「うん! えへへ」


「……ふふ」


 二人は笑いながら、少し急な坂を駆け下りていった。


 岩時神社から続く参道の、坂のふもとに建っているカフェ・ノスタルジアが見えてくる。


『さくらの家だ』


 さくらの両親は、代々続くこの『ノスタルジア』という名の店で長年、働き続けている。


 チリン!


 ドアが開く音が鳴る。


「ただいまー!」


 小さな結月の手を引きながら元気よく、小さなさくらが挨拶をした。


「おかえりー、さくら」


 誰かの返事が奥から聞こえる。


 魂だけの結月は、二人の後に続いて、店内へと忍び込んだ。


 カチャカチャと食器が鳴る音。


 香ばしいコーヒーの香り。


 ゆっくりとしたいつもの、ピアノジャズの音楽が、心地よいリズムで店全体に流れている。


『懐かしい』


 店の奥のカウンターの中で、エプロンをつけてグラスを磨く男性が返事をした。


「おかえり、さくら」


「ただいま、お父さん!」


「おや、小さなお客様だね。はじめまして」


「さっき友達になったの!」


 さくらは何だか誇らしげである。


「結月っていうの。結月、この人が私のお父さんだよ」


「よろしくね」


 さくらの父である露木英吾が、カウンター越しに、結月に笑いかけた。


「…………」


 英吾と目が合った小さな結月は、さくらの後ろへ隠れてしまい、ぺこりと頭を下げるのが精いっぱいだった。


「…………」


 そんな結月に、英吾は優しい口調で話しかけた。


「さくらと仲良くしてやってね」


 小さな結月は、英吾に向かってこくこくと、何度も頷いて見せた。


『今なら挨拶くらい、できるのに』


 小さな自分に呆れるうちに結月は、気づくとまた別の虹に飲み込まれ、違う場所へと移動させられた。


 

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