第3話 再会

 甘い香りがする。


 りんごあめだろうか。


 色々な匂いと混ざり合いながら香ってくる。


 大地はこの雰囲気を味わう様に、一歩一歩を楽しんだ。


 岩時神社の祭囃子まつりばやしに、人々の喧騒けんそう


 子供のころから年に一度、仲間と遊んだ思い出の場所。


 彼らは今、何をしているのだろう。


 懐かしい境内けいだいを、人間の姿で歩いている。


 それだけで大地は、胸が一杯になるのを感じた。


 腰につけた白い布袋の中には、小さなクスコが入っている。


 ふと思い出して顔を近づけ、袋の中を覗き込んだ。


 念のため、息をしているか確認する。


「ス~……ス~……」


 寝てる。

 生きてるなら、大丈夫だな。


 そんな事を考えながら歩いていると、16歳くらいの少女が嬉しそうな笑顔を浮かべながら、大地の方へ駆け寄ってきた。


「大地!」


 緑地に薄紫の紫陽花あじさいが描かれた浴衣が、よく似合う乙女。


 大地が一番会いたかった婚約者、露木つゆきさくらだ。


「さくら」


 真っ直ぐこちらに駆け寄ってきたさくらは、勢い余って大地の目前で、前のめりに転びそうになった。


「きゃっ!」


 大地は両手で彼女を抱きとめた。


「──大丈夫か」


 さくらの真っすぐな長い黒髪から、甘く爽やかな香りがふわりと広がる。


「うん……ごめん!」


 鈴の音のような声。


「大地に会えたのが嬉しくて」


 今の声に反応するように動悸が鳴り、大地はぞくりと鳥肌が立った。


「……!」


 揺れ動いた心を、笑顔で隠した。どうしてだろう、と大地は思う。


 さくらにはこの気持ちを、気づかれたくないと感じている。


「……俺も」


 さくらの頬がほんのりと、照れたように赤くなった。


「元気だったか?」


 触れたくてたまらなかった、なめらかで白い肌が目の前にある。


 つぶらで大きな黒い瞳が輝きながら、至近距離で自分だけを見つめている。


「うん、元気。大地は?」


 照れながら笑うさくらの、右耳のうしろに刺した深紅のかんざしが、シャラリと音を立てて鳴った。


「元気すぎてやばい」


 さくらが笑顔になる。


「良かった」


 神々しいくらいにまぶしく見え、息が苦しくなる。


 彼女に接近し過ぎている事に気づき、大地は急に我に返った。


「────!」


 いきなり後ずさった大地を見て、さくらは可笑おかしそうにまた笑った。


「どうしたの?」


だったんだ? 今の。どういうわけか、喉が、異様に渇く……』


「あーーーーーっ! 大地発見!」


 大地の思考は、よく響く少女の声で、さえぎられた。


「まーーーーーた、さくらとイチャイチャしてやがる!」


 もう一つは、少年の声である。


 懐かしい声だ。


 金魚すくいの屋台が見える方角へ大地が振り向くと、そこから浴衣を着た二人の男女が、こちらに向かって手を振っていた。


 さくらにしか聞き取れない声で、大地は彼女に問いかけた。


「アイツら名前なんだっけ?」


「りっちゃんと凌太だよ」


 さくらが耳打ちで教えてくれた。


「あー。『隠れんぼ』上手な二人か」


「大地。毎年同じこと聞くね」


「そうか?」


 一人は濃い茶色のショートヘアに橙色だいだいいろのかんざし、青い浴衣を身に着けた少女、羽山律はやま りつ


「大地! 一年ぶりー」


 もう一人は、金色がかった薄茶色の短髪の上にヒーローのお面をつけ、綿あめを手にした少年、矢白木凌太やしろぎ りょうただ。


「来てたんなら教えろよ! 大地」


 嬉しそうに声をかけてくる彼らを見たとたん、大地の顔に笑みが浮かんだ。


「今来たとこだからな。あー、……リツに、……リョータな。元気か」


「……また名前忘れてたろ」


「覚えてよね、いい加減」


「むにゃ……ふわぁぁぁぁぁお」


 大地の腰につけた布袋から、いきなり声が聞こえた。


「……?」


「……今の誰?」


  律が、不思議そうにあたりを見回した。


「……さくら、お前か?」


「ううん」


 凌太に聞かれ、さくらは慌てて首を横に振った。


「ユヅとコンノはどこにいるんだ?」


 大地はあわてて話題を変えた。


 どうやらクスコが布袋の中で、あくびをしたようである。


 人間達に彼女を見られるわけにはいかず、隠し通す他はない。


結月ゆづきは奥で、神楽かぐらの準備してる」


 律が答えた。


神楽かぐら?」


岩時神楽いわときかぐら。舞台劇の復活だよ!大地も見ていってね」


 さくらが今発した言葉に反応したように、また声が聞こえてきた。


「はぁおうぅぅぅぅ……」


「ん?」


 クスコの寝息である。


 大地はぎくっとして息を飲んだ。


「まただ。この声どっから」

「コンノは?」


 大地に言葉をさえぎられ、凌太は怪訝けげんそうな顔をした。


「紺野君はギリギリまで、台本と格闘してるよ」と、さくら。


 もうクスコを隠し通すのは、無理かも知れない。


 どうしたものかと、大地は会話をしながら頭の中で、しきりに考えを巡らせた。


「台本?」


「そう。古い岩時神楽いわときかぐらを、紺野君が高校生でも演じられるように、新しく変えたんだよ」


「懐かしいのう。神楽かぐらといったかえ」


「……!」


 全員が驚き、大地の腰につけた布袋に目を向けた。


「ワシャ好きじゃぞ。神楽かぐらがな」


 クスコがひょこっと、袋の中から顔を出した。


「……!!」


「きゃっ!」


「わぁ!」


「可愛い!」


「ドラゴン?」


「喋った?」


「……いや気のせいだろ」


 出てきちまった。


 やめてくれよ、どうすりゃいいんだ、この状況。


 と悶々もんもんとしながら、大地はがくっと下を向いた。


神楽かぐらはどこじゃ?」


「喋るなクスコ」


「すっごい高性能ロボだね! クスコちゃんっていうの?」


 律に聞かれた大地は、オウム返しに聞き返した。


「コーセーノーロボ?」


「ロボットの事」


 凌太が補足した。


 どうやら律は、クスコを『ロボット』とかいうモノと、勘違いしたらしい。


 大地はあわてて話を合わせた。


「あ。そうそうロボだ。時々喋る」


「ふーん。スゲェな」


 凌太が手を伸ばすと、クスコはその掌の上にちょこんと乗った。


「おお! なんかリアルな動き!」


 大地は小さくため息をついた。


 もう、どうにでもなれだ。


「凌太! 私も触ってみたい!」


 律のリクエストに応え、クスコはパタパタと飛んで、彼女の肩の上に乗った。


「わ。来てくれた! 嬉しーい!」


「飛ぶんかい!!」


 凌太は感嘆の叫びを発した。


「おお。祭りが行われているようじゃのう。懐かしいわい!」


 クスコは嬉しそうに、首をきょろきょろと動かした。


『……なんで出てくんだよ』


 大地は小声でクスコをとがめた。


 もし彼女が人間世界で何か問題でも起こしたら、成り行きで知り合ったとはいえ、自分も同罪になってしまう。


「いいじゃろ。ワシも祭りを見たい」


 最高神である黒龍こくりゅうミナから、どんな仕打ちを受けるかわからない。


「……見たいってお前……」


 そうなれば父親久遠から人間世界への出入り禁止を命じられ、さくらとの婚約は、反故ほごにされるかも知れない。


 そんな大地の葛藤とは裏腹に。


 さくらは目を輝かせ、律の左肩にとまったクスコに、声をかけた。


「クスコ。よろしくね! 私、さくらっていう名前だよ」


 さくらの言葉にクスコは答えた。


「よろしくのう、さくら」

「クスコ!」


 いい加減にしろ!

 さくらもコイツと話すんじゃねぇ!



 あーもう、面倒くせぇ!!



 ロボな。


 ……ロボで通せばいいんだな。



 大地の思考は、そこで止まった。



「大地。クスコにもを見せてやるよ。なんかやたら、見たがってるみたいだしな」


 凌太が綿あめを食べながら、大地ににぱっと笑いかけた。



 大地はもう、全てがどうでも良くなった。



「おー頼むわ。俺も見たーい」



 ……なるようになれだ。


 腰に手を当て、大地は深いため息をついた。








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