第2話 漆黒の破魔矢

 夜になると、岩時神社いわときじんじゃの長くて広い参道の提灯ちょうちんに、一斉に灯がともった。


 二匹のドラゴンは赤々とした灯篭とうろうをたよりにしながら、神楽殿かぐらでんの屋根の上へと降り立った。


「ちょっと動くなよ、バァさん」


「バァさんじゃのうてク」

「クスコな」


 大地はクスコの背後へ回った。


 不思議なことに2回目は、棘の矢とげのやが襲ってこなかった。


 まるで大地に攻撃して来ることを、諦めたような雰囲気である。


 大きな桃色の口を開け、自分の四本の牙を使い、大地はクスコの首に刺さっている太い破魔矢はまやに、ためらうことなく嚙みかみついた。


 ガシッ!!


 飛び出した小さなとげが口の中にあたる感触はあったが、痛みは全く感じない。矢の芯となっている部分だけを、大地の牙がとらえている。


 力を込め、一気に引き抜く。


 ────グゥオッ!!!


 大きな音と共に、黒い破魔矢はまやはするりと抜けた。


「イデデデデデデ!!!」

 クスコの絶叫が響く。


 想像よりも簡単に抜けたので、勢い余って大地は後ろに尻もちをつき、屋根の上から転がり落ちそうになった。


ゴガッおわっ!!」


 矢をくわえたまま左手から伸びた爪で、屋根から伸びた長い千木ちぎに、大地はすかさずつかまった。


 その瞬間、音が鳴った。


 ────シュワッ!!


 太い矢の表面が、黒い小さな虫のような粒に変化を見せ、上空へと広がりながら舞いあがっていく。


『ナ』『ニ』『ヲ』『ス』『ル』


「?!」


 気味の悪い声が、重なりながら聞こえてきた。


 大地がそちらへ振り向くと、矢から飛び出した粒状の何かが、5つの艶やかな黒い珠へと姿を変えた。


 それらは岩時神社の最奥に位置する、本殿ほんでんの方角へと飛び去っていく。


 大地の口の中には一本の、細くて長い破魔矢はまやだけが残った。


 その本体は矢竹やだけの部分が赤い色で、矢羽やばねの部分は白色である。


「────何だったんだ、今の」


 口から落ちたその矢をキャッチし、大地はクスコの方を見た。


「抜けたぞ」


 白い霧がモクモクと発生し、みるみるうちに視界の全てをさえぎった。何が起きたのかわからず、大地は一瞬身構えた。


「……クスコ?」


 クスコがいた場所から、いきなり声が聞こえてくる。


「ハァァァ~……。アレが抜けたとたん、めっっっちゃ体が楽になったわ~。ありがとうのぅ! 桃色の!」


 霧が晴れ、ようやくあたりが見え始めた。


 だがいくら目を凝らしても、クスコの姿は見当たらない。


「どこにいるんだ?」


「ここにおるぞえ」


 声は足元の方から聞こえてきた。


 見下ろすと、ドラゴン姿の大地にとってはコガネムシくらいの大きさに見える、小さな姿になった白龍クスコが、ちょこんと座ってこちらを見上げている。


「え? なんで小さくなったんだ」


「ふわぁぁぁぁ……ぁぁぁ……」


 小さなクスコはぽろぽろぽろぽろ、涙をこぼした。


「およ? ワシャ小さくなってしもたのかえ……。ふわぁぁぁぁぁぁ……」


 涙の理由は悲しいからではなく、何度もあくびをしたからのようである。


「それは多分のう……ふわぁぁぁぁぁぁ……破魔矢はまやに力を吸い取られたせいかも知れん……」


 ぽろぽろぽろー。


 ぽろぽろぽろー。


「あの痛みが……やっと引いたわい……おぬしのおかげじゃぁ……」


「……そりゃ良かったな」


 クスコの目から落ちた涙は、C字形の美しい勾玉まがたまへと、姿を変えた。


 その勾玉は、銀色に光っている。


「……大丈夫なのか?」


 大地はクスコが心配になった。


 涙が勾玉になったのも奇妙だが、彼女が元の姿に戻れるのかという事が、何よりも気になった。


 刺さっていた矢を抜いたのは他でもない自分なので、責任も少し感じてしまう。


「ダイジョブじゃ。そのうち戻れるじゃろ」


 気軽な声色で答えたクスコに、大地は頷いた。


「ならいいけど」


 最初は少なかった勾玉まがたまの数が、どんどんどんどん増えていく。


 神楽殿の屋根の上はそれらの輝きのせいで、人目につきそうなくらい明るくなった。


「優しいのう。おぬし、名はなんという」


「大地だ」

 

 あくびをしながらクスコは、屋根の上に落ちた無数の、勾玉の山を指さした。


「大地か。……そだ、矢を抜いてくれた礼に、これらをおぬしにやろう……」


「?」


 光る勾玉はぽんぽん音を立てて連なり、いつの間にか銀色の糸に通され、ひとつの長い鎖へ姿を変えた。


 その鎖はするすると大地の首へ這い上がり、あっという間に巻きついた。


「おわっ?!」


「勾玉のじゃ」


「みすまる?」


「大地や。そのはのう、おぬしを守ってくれるじょよ……むにゃ……」


「……」


 小さなクスコは目を瞑りながら、こっくりこっくりと、首を上下に揺らしている。


「……クスコ?」


 クスコは屋根の上でくらぁっとよろめき、ふにゃありと丸くなり、ス~ス~と寝息を立てだした。


「……まさか寝たのか?」


「……ス~……。ス~……」


 大地は困惑した。


 どうやら深い眠りについてしまったようで、いくら声をかけてももう、クスコは返事をしなかった。


「マジかよ……。このまま、ここに放置するわけにもいかねぇし……」


 空を仰ぐと、大地は何かの合図の様な、奇妙な言葉を口にした。


 口笛より高い音が、凛とした波動と共に、高らかに空から響いてくる。


 ピンクと薄緑色の光が降り注いで、大地の体に幾重にも纏いついていく。


 あっという間に大地は18歳くらいに見える長身の、美しい少年の姿へと変身した。


 肩まで伸びたピンク色のくせっ毛が、ふんわりと風に揺れている。


「仕方ねぇな……」


 白装束の上に黒いマントを羽織った人間姿の大地の首には、クスコからもらった勾玉のが、チョーカーのようにぴったりと巻き付いていた。


「バァさんも連れて行ってやるか」


 ややつりあがった深緑色の二重瞼をクスコへ向け、大地は優しくその体を、両手で包むように持ち上げた。


「あ」


 クスコの体を腰にぶら下がった布袋の中にしまいながら、大地はにやりとほほ笑んだ。


「クスコな」














『どこですー?』


『どこかしら?』


『どこなの?』


『どこどこ?』


『どこだよ?』


 ジグザグに滑空しながら空を飛ぶ、5つの黒い珠が会話をしている。


 どうやら彼らは、何かを探しているようだ。


『光る魂、食べましょー』


『光る魂、恋しいですわ』


『光る魂ホントにいるの?』


『光る魂、どこどこどこ~?』


『光る魂、食えるのか?!』


 『光る魂』を探しながら空の上でワイワイと会話する彼らは、先ほどまでクスコの首に刺さっていた、破魔矢はまやの黒い部分だったものたちである。



 矢と分離したこの5つの黒い珠は、岩時神社の祭囃子まつりばやしが聞こえる方角へと、それぞれの思いを口にしながら、飛んで行こうとしているようだった。






 




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