第27話 ボサボサ頭の天狗は遠い目をして昔話を始めるのだが愛しの乙女はもういない。

「あの頃は食糧難の時代でなぁ。兵隊さんが戦地から帰ってきて都市部の人口が急に増えたんやけど、輸入も途絶えてたし、爆撃で主要な交通網がやられてしまってたやんか。物資が圧倒的に不足しとったんや。毎日毎日毎日、そこらで餓死者が出るような酷い有様やった。人間ってのはホンマにアホな生き物やなぁって思ったもんや」



 天さんが遠い目をして語り出した。



「オレはといえば、戦争が終わったって風の噂で聞いて、人間のアホさ加減を見物しよ、思うて東京にやってきたんや。


 驚いたで。どこもかしこも瓦礫の山。駅には戦災孤児や包帯ぐるぐる巻きの傷痍軍人が溢れとった。戦争中は名誉の負傷やって持て囃しても、戦争が終われば、誰も見向きもしなくなる。社会的な援助も支援もなくなるんや。空襲で家族もいなくなって、自分はまともに働けない体になって、絶望の中で死んでいく軍人さんをぎょうさん見たで。


 ひなたに会ったのはそんな時や。あいつはまだ一〇歳にもなっとらんガキンチョやった。空襲で家族を失って、ひとりぼっちやったんや。ガリガリの体でボロボロの着物着て、虚ろな目で広場に座り込んどった。


 駅の構内には戦災孤児だらけでな。あそこなら雨風を防げるのに、あいつは雨ざらしの場所にいたからかな、妙にその姿が目についてな。気まぐれでヤミ市で手に入れた飯をやろうと思ったんや。


 せやけど、あいつはキュッと唇を結んだまま首を横に振った。そんで、通りの向かいで倒れてる死にかけの軍人さんを指さしたんや。


「私よりあそこの足の無い軍人さんにあげてください。私はあの人とは違って、お国のためにしたことは何もありませんから」


 言い切ったんや。まだガキンチョやで。腹すかせて今にも死にそうなのに物乞いもせず、自分より他人を思いやってそんな風に言ったんや。あの頃の東京には浮浪児なんて呼ばれた身寄りのない子供たちが仰山いてな。生き延びるために悪さするのは当然やった。けど、ひなたは違ったんやな。


 オレは衝撃を受けたんや。


 戦争を始めたのは国やん。父親を奪って戦争に行かせて死なせたのは国やん。勝ち目のない戦いを続けて家族を殺したのも結局は国やん。戦争が終わっても、食料を寄越さないのも国やん。恨むべきは国やん。

 自分はなんにも悪くないやん?


 それやのに、恨言なんか一切言わんと、自分よりも他人を思いやってたん。人間って変やと常日頃から思っとったけど、こんなヘンテコなガキ見たことなかったで。


 『お前、おもろい子やな。わかった。この飯はあの軍人さんにやるで。そのかわり、今からまたなんか持ってくるから、それは自分に食わすで』


 そう言って、身寄りも無いならうちに来たらええって、引き取ることにしたんや。ボロい部屋やったけど、屋根があるだけマシやろ。勝手に使ってええって言ってな。


 ん? その頃の仕事は何をしてたかって?


 仕事……、っちゅうより、悪事やな。悪いことばっかりしとったで。ひなたと出会った頃はヤミ市で窃盗品を売っぱらったり、進駐軍の倉庫に忍び込んだり、そんなことばっかりしとったわ。


 でも、それは後々、ひなたにバレて非難されてやめたんやけど。


 あいつ、出会った頃から読み書きも達者やったし、地頭も良くてな、オレの正体も見破ったし、隠してやってる悪事もすぐに見抜いてなぁ。


『あなたの正体が天狗であろうと、私は何も気にしないし、変わらないわ。けど、他人に迷惑かけることはやめてほしい。あなたがやってること、生きるために仕方なくやってることじゃないでしょ?』


 ってな。

 ははは。えらいガキンチョやろ。

 ま、言われた通り、オレは遊び感覚で悪いことしとったからなぁ。愉快犯ってやつや。けど、ガキンチョに正面から非難されると、反論も何も出来んやろ。反省しかできん。


 ってなわけで、オレは悪事から足を洗って、真っ当な暮らしっちゅうやつを始めるようになったんや。


 そういう「人間」っぽいこと、久々にやってみたかったしな。なかなか楽しかったで。慎ましい生活やったけど、それはそれで楽しい毎日やった。


 妖とガキンチョの共同生活は結構続いてな。ひなたはオレの妖仲間なんかとも話すようになって仲良くしとった。


 真っ当な稼ぎで貯めた金で喫茶店を始めた頃やったかな。人間相手の営業時間は夜までで、深夜は妖のための溜まり場を提供しとってな。


 いろんな妖や神様、異世界の奴らも入り浸ってたな。あの頃はひなたも楽しそうに手伝ってくれてたわ。


「妖も人間も同じ時間に同じ場所で一緒に楽しくおしゃべりができたらいいのにね」


 なんてことをよく言っとった。それは夢物語みたいなもんやと思ってたんやけど。


 ま、店は数年で潰してしもうたけどなぁ。


 その店を閉じたくらいに、ひなたとも喧嘩別れしたんや。理由は大したことじゃなかったんやけど。


 ひなたも十九、二〇歳くらいやったかな、随分女らしくなってきててなぁ。

 店にはひなた目当てに来る客も多かったんや。


 形式上は俺たちは、叔父と姪ってことにして暮らしとったから、オレに気に入られようとご機嫌伺いしてくる奴もおって、それはそれでオモロかったんやけど、年頃になったひなたをいつまでもこんなけったいな所で働かすのも悪いと思ってなぁ。店の経営も悪くなってきた頃やったし。


「お前、いつまでこんな暮らししとるつもりなん?」


 って聞いたんよ。そしたら、


「別にずっとでも構わないけど」


 って。おいおい、そりゃあかんやろ。って思ってな。


「なに言うとんねん。そろそろ嫁にでも行ってもらわんと困るで」

 

 って言ったんよ。そしたら、なんか急に不機嫌になってなぁ。


「天さんは私のことをどう思ってるの?」

 

 なんてわけわからんこと言い出してな。ひなたのやつ、ヤケにマジメくさった顔しとってなぁ。


 そりゃ、結構長いこと一緒に暮らしてたし、家族みたいなもんやと思っとったよ。

 けど、そんなん臭くって言いたくないやん。心に思っとけば、いいことやん?

 俺がひなたをどう思ってるかくらい、普段の行動を見てれば分かるやろうし、それをわざわざ言葉にして語りたくないやん。


 それに、オレは妖。ひなたは人間や。どんなに親しくなってもそれは変わらん。オレらは別の世界で生きるもんや。いつかは離れることになる。


 だから言葉を濁したんやけど、ひなたのやつ鈍感でな。全然、オレの気持ちを汲み取ってくれんのや。


 オレもイライラしてきてな。

 で、大喧嘩や。


 ほんで、次の日の朝、ひなたは荷物をまとめて家を出て行ってしもて、それっきりや。


 まあ、正直言うと、そろそろひなたとは別れようと思ってたところやってん。


 あんまり人間と一緒に居過ぎて人間のことわりに染まりすぎると魔道から落っこちてしまうんよ。ミイラ取りがミイラになるっちゅう奴やな。人間の真似して人間相手に商売なんかやっとったら体が重くなって空も飛べんくなるんや。


 だから、ひなたがいなくなってもそれはそれで良かったと思ったんや。


 これでまた自分勝手に遊んで暮らせるってな。


 でも、あいつがいなくなった部屋がなんだか妙に寂しくてな。途端に体が急に重くなった。あ、こりゃやばいと思った。


 その時、オレは既に魔道から落っこちてたことに気づいたんやな。鼻もポキーって折れてな。驚いたわ。


 もしかしたら、オレは初めて大切なものを失う悲しさに気づいたのかもしれんなぁ。



 ☆



 賑やかな店の中、天さん周りだけが水を打ったようにシンとしてしまった。

 

「……お主も馬鹿な男よのぉ」


 途中から頬杖をついて、不満そうな顔をしていたタマさんがとうとう呆れ顔でため息をついた。


「チャランポランに生きて、テキトーにその場を誤魔化すばかりで、肝心な時に大切なものを見失う。馬鹿じゃ。お主は馬鹿者じゃ」


「タマさん。そんな風に言わないであげて」


 カウンターの向こうのミカさんがタマさんを宥めたけど、不機嫌顔のタマさんはそっぽを向く。


「本当のことじゃろ」


「ははは。タマさんにそう言われたら、なんも言えんわ。ま、そんなこんなで、ひなたとはそれっきりやったんやけど、まさかこの店のオーナーになって現れるとは思わんかったな。すっかり変わってしまっとって、昔の話なんかできる雰囲気とちゃうしな。妖は変わらんけど、人間は変わっていく生き物やから、それも仕方なしやな」


 天さんはいつもどうりに軽い口調だったのだけど、作られた笑顔の奥、瞳の色はどこか寂しげだった。


「ってなわけで、昔話はおしまいや。せっかく客も入って稼ぎ時なんやから、こんなしみったれた話はよして、楽しもうやないの。オレも酒飲もかな。今日はマスターとして真面目にやろうとおもっとったけど、やっぱりまずは自分が楽しまんと損やもんな! ミカ、バーボン水割りでよろしゅー」


 仕方ないわね、とため息をついてミカさんがお酒を作る。

 お酒を受け取った天さんは、「さー、パーっと行こうや」と軽やかに席を立ち、フロアの方へ歩いて行ってしまった。


「……ふん、あやつもヤキが回ったもんじゃ」


 天さんの後ろ姿をジロリと睨んでタマさんが吐き捨てた。少女の外見なのに大人びた瞳だ。


「私、天さんにそんな過去があったなんて全然知らなかったわ」


「二人は天さんとは付き合いが長いんじゃなかったんですか?」


「んー。ま、五〇年ってとこかしら。あの人、あんまり過去の話もしないしね」


「五〇年。あ、ミカさんってそんな歳くってたんだ」


「あ、ひどい! あっくんデリカシーないわね!!」


「わ、ごめんなさい、そう言う意味じゃなくて……。ちょっとおトイレ行ってきまーす」


 余計なことを言ってしまった。平謝りしつつ、逃げるように席を立つ。


 フロアは相変わらず盛り上がっている。

 流れる音楽に合わせ体を動かしているヒトたちを見つめていると、ポケットのスマホが震えた。


 優里ちゃんからのメッセージだった。


『先輩、ごめんなさい!』

 

 謝罪から始まったメッセージ。


『あんな店にいちゃダメよって、おばあちゃんが怒り始めて……』


 優里ちゃんは、おばあちゃんに無理矢理タクシーに乗せられてしまった。とのことだった。


『素敵な雰囲気のお店なのに、自分がオーナーの店なのに、どうしてあんなことを言うのか、おばあちゃんの気持ちがよくわかりません。今も隣でぶつぶつ文句を言ってます。皆さんに挨拶もできずに帰ってしまってすみません。』


 文面からも優里ちゃんの困惑が見て取れる。


『皆さんも仰ってましたよね。売上が少なくて退去させられそうだって。おばあちゃんも今月で退去してもらうって言ってました。でも、その条件がどうも納得できないんです。追い出すために無茶なことを吹っかけたようにしか思えません。どうしてもおばあちゃんの一方的な意地悪にしか思えないんです」


 優里ちゃんの言うことは一理も百里もある。


 考えてみれば一ヶ月で売り上げを一〇〇万にしろ、なんて土台無茶な話なのだ。

 オーナーは妖に対して良い感情を持っていないみたいだけど、でも天さんから過去の話を聞くと、どうやら若き日の堂島オーナーは妖と共存したいと思っていたらしいし。

 それが今は妖嫌いだ。

 原因は……。天さんなのかもしれない。


『いつもは優しいおばあちゃんが、怖い顔で「あの店には近づかないように」って言うんです。なんか変です。……明日、おばあちゃんには黙って、またお店に行こうと思います。ちょっと色々話をさせてください。今日は失礼しました』

  

 礼儀正しい優里ちゃんに「気にしないで」と返信を打つ。


 そんなことをしていると、また新たにお客さんが来た。


 そろそろカウンターに立たなきゃいけない。スマホをポケットにしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る