第26話 突然現れた店のオーナーに対して憧れの乙女が予想だにしない言葉を発したことによって急展開を見せるっていうか見せられるっていうかなんだか大変なんですけど。

 演奏を終えステージを降りた二人に拍手を送りながら、横目に優里ちゃんを見る。優里ちゃんも俺と同じように拍手をしつつも、なぜかどこか上の空みたいだった。

 何かを考え込んでいるようだ。


「……どうしたの? 優里ちゃん」


 優里ちゃんはハッとしたように顔を上げ口籠った。


「いえ、大したことじゃないんですけれど、ちょっと気になったことがあって……」


 浮かない顔の優里ちゃんは少しためらう素振りを見せながらも口を開いた。


「天さんって、有名な歌手だったりするんですか?」


 天さんが? 有名な歌手?

 そんな話は聞いたことない。いや単純に俺に過去の話をしていないだけかもしれないけれど。


「アンコール前に歌っていた曲、聞いたことがあるんです。実家でお母さんがよく歌ってて。てっきり古い童謡だと思っていたんですけど……」


 確か曲間のトークで、百年くらい前に作った曲だと言っていた。それが冗談か本当かはさておき、それを優里ちゃんのお母さんが知っていたとなると、少し不思議だ。


「ほんと?」


「はい。いつもお母さんが歌っていて。何の歌なのか尋ねたこともあったんです」


「なんだったの?」


「それが、お母さんも子供の頃におばあちゃんがよく歌っていたから自然に覚えちゃったってだけで、それが誰の歌なのかもタイトルさえも知らなかったんです。だから、詠み人知らずの短歌みたいに、昔の童謡か何かだと思っていたんですけど……」


 優里ちゃんが小さな頭を傾げる。

 不思議な話だけど、優里ちゃんのおばあさんが、どこかで天さん達の歌を聞いていたのだろうか。


 天さんは今はぐうたらなだけのヒトだけど、昔は歌手として活躍していたのかもしれない。

 当時のことを知ってる人間が現代にいないだけで、当時はそれなりに人気だったりして。


……どうだろ。


 それが一番、納得できる予想だけど、天さんが何百年と生きている天狗だなんて優里ちゃんには言えないから、余計なことは口にできない。


 そんなことを考えてると、フロアの人だかりから、もじゃもじゃ頭がひょこひょこ揺れながら近づいてきた。


「いやー。久しぶりで疲れたわぁ」


 歌を終えた天さんはニコニコしながらやってきて俺の隣に腰掛けた。


「ミカ。オレンジジュースもらえるか?」


 カウンターのミカさんからグラスを受け取った天さんは俺たちと乾杯した。


「お疲れ様。よかったですよ」


「せやろ」


 俺が労うと天さんは人懐っこい顔で笑った。


「すごくよかったです。わたし感動しちゃいました」 


「おお。優里ちゃんもおおきに」


 天さんがグラスをあげて優里ちゃんに微笑みかける。


「あの、先輩に話をしてたんですけど、わたし、さっきの歌を聴いたことあって……」


 不安になりながら天さんを見る。

 天さんはどう答えるんだろう。あんまり物事を深く考えないヒトだし、自分の正体とかポロッと言っちゃいそうだ。


「えー? ホンマ? どの歌や?」


「百年前に作ったって笑っていた曲です」


 優里ちゃんが軽く口ずさむ。メロディも歌詞も間違いなかった。

 天さんは驚きつつも、鳥の巣頭をかいて首をかしげた。


「えー、なんでやろ、あれ、かなーり昔の曲やで。当時はいろんな酒場で歌ったりしとったけど、優里ちゃんくらいの歳の子が知ってるなんて、不思議やなぁ。音源にしたわけでもないし。うん、やっぱ、聴き間違えやないの。似たような曲なんて世の中にごまんとあるしなぁ」


 天さんが断定したように言うから、優里ちゃんも腑に落ちない表情ではあったけど、食い下がることはしなかった。


「そ、そうですよね。すみません。変なことを聞いてしまって……」


「いやいや、全然謝る必要とかないで。せやけど、どっちにせよ、懐かしい気持ちになってもらえたんなら嬉しいで」


 湿気のない、からりとした表情で天さんは微笑んだ。

 

 そんな会話をしている時だった。カウンターの向こうに立つミカさんが俺と天さんに不思議な目配せをしてきた。


 何かを知らせたいことがあるような意味深な瞬きで、チラチラと店の入り口に視線を送っている。


 何事かと彼女が送る視線の先を追って振り向く。


「げっ」


 俺と同時に振り向いた天さんが潰れた蛙みたいな呻き声を上げた。

 店の入り口に立っていたのは上品な出立ちの老婆だった。堂島オーナーだ。


 混雑する店をぐるりと見渡して、堂島オーナーは顔をしかめた。

 察するに、お客さんが人外だらけだということはどうやらお見通しのようだ。


 天さんが苦虫でも噛んだような顔で俺を見る。


 客の大半は現れた人間の老婆など気にも留めず会話に花を咲かせているが、店の事情を知っている一部の面々には明らかな緊張が走っていた。


 カウンターのミカさんはソワソワして目が泳いでいるし、フロアにいたザルフェルは首を竦めて、そそくさとベランダに逃げ出していた。


「どうしたんですか? 先輩」


 空気が変わったのを優里ちゃんは気がついたみたいだ。


「あ、いや気にしないで。この店のオーナーがいらっしゃって……」


 俺が説明していると、天さんが耳元に顔を寄せてきた。


「……悪い、あいつの相手は篤に任せるで。オレはドロンさせてもらうわ。じゃ、優里ちゃん。ごゆっくり」


 天さんが背中を丸めてそそくさと席を立とうとする。

 

「あ、天さん。待ってください。ずるいですよ」

 

 ここで逃してなるものか。俺だってオーナーの相手をするのは少々荷が重い。逃げ出そうとする天さんのシャツの袖を掴む。


「わ、アホ。離さんかい」


 もがく天さん。

 その時だ。


「……って、おばあちゃん!?」


 優里ちゃんが立ち上がり叫んだ。


 おばあちゃん? 誰が?


 天さんと二人して優里ちゃんを見る。優里ちゃんは真っ直ぐに店の入り口に立つ老婆を見つめている。

 

 ……ドユコト?


 ぽかんと口を開けて見つめる俺たちを横目に、優里ちゃんはぴょんと立ち上がりその場を離れた。

 取り残された俺たちは顔を見合わせる。


「て、天さん。どういうこと?」

 

「そんなん、オレが知るわけないやろ」


 そりゃそうだ。

 優里ちゃんは人混みをかき分け店の入り口に向かう。店内を訝しげに見渡していたオーナーがそれに気づいた。


「ゆ、優里? どうしてこんなところに……」


 あからさまに狼狽した表情だ。ゴミ箱の中に大切な宝石でも落ちていたみたいな驚愕と困惑の表情でオーナーは声を震わせた。


「大学の先輩がここで働いてて、遊びに来たのよ。おばあちゃんこそ、どうしてここに? このお店のオーナーなの?」


 それに対し、優里ちゃんは屈託のない笑顔だ。

 堂島オーナーの顔がみるみる曇っていく。


「優里。話があるわ。こっちにいらっしゃい」


「えっ? なに? おばあちゃん、引っ張らないで……」


 堂島オーナーは戸惑う優里ちゃんの腕を掴むと、そそくさと店外に出て行ってしまった。

 バタンと鉄扉が閉まる。


 呆気に取られたまま二人が消えた扉を見つめる。

 じっと腕組みをして、二人の様子を見ていた天さんが、独り言のように呟いた。


「そっかぁ。なるほどな。こりゃ驚いたわ。あの娘、ひなたの孫娘やったんかぁ。どうりで似てるわけや……」


 店の喧騒に紛れてしまいそうな声だったけど、俺は聞き逃さなかった。 


「似てるって?」


 俺の視線に気づいた天さんは、まずい、という顔をして視線を泳がせた。 


「天さん、何か知ってますね?」


 オーナーのことを下の名前で呼ぶような間柄だったのか?

 いや、そもそも天さんの堂島オーナーに対する態度ってはどうも不思議だったんだ。彼女は最近この店のオーナーになったという話だったのに、天さんは昔から知っているような口ぶりの時が何度かあったし。


「天さん。私も詳しく聞きたいわ」


 ミカさんもカウンターの向こうから身を乗り出す。


「ふん、なんじゃ。何か隠しておると思っていたが、そういうことじゃったのか」


 さっきまで姿の見えなかったタマさんもどこからともなく現れて、優里ちゃんが座っていた席に腰掛ける。


「わわ。みんな集まって。なんや? なんの話や?」


 とぼけたふりをする天さんを皆で囲み圧力をかける。


「今、オーナーと優里ちゃんが似てるって言いましたよね。それは天さんがオーナーの若い頃を知ってるってことじゃないんですか?」


「おぐっ!? 篤、変なとこ鋭いな……」


 顔をひきつらせたテンさん。


「私に隠し事なんて許さないわよ」


 ミカさんも身を乗り出す。


すると、ついに天さんは観念したように鳥の巣頭を掻きむしった。


「わかりましたよ。話しますよ。話せばええんやろ」


 カウンターに置かれたオレンジジュースを一飲みして、天さんがため息をついた。


「別に隠してたってわけじゃないねんけどなぁ」


「嘘ね」


「嘘やない。ただ、いうタイミングがなかっただけや」


 天さんは参ったというように苦笑い。


「えっと、どこから話せばええんやろ。オレがあの堂島ひなたと最初に出会ったのは、戦争が終わってすぐの頃やったな」


「戦争って、もしかして太平洋戦争とかですか?」


「ああ。ひなたは戦災孤児やった」


 天さんが遠い目をして語り出した。

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