第25話 良い雰囲気の男女の元に酔っ払った神様コンビが余計なお節介を焼きに来て、すげーウザイんだけどどうにかならんか

 そんなことを話していると、背後からヌッと影が現れた。


「お、来ていたか。気がつかなかったぞ」


 背後から現れたのはザルフェル(人間ver)だった。


「え? わわわ!? 芥間さん!?」


 驚いたのは優里ちゃんだ。優里ちゃんにとって、この人間に擬態している悪魔は憧れのロックバンドのボーカルなわけで、そんな雲の上の存在みたいな人に、こんな場所で会うなんて思いもしなかったのだろう。

 驚きのあまり身を逸らした優里ちゃんはもたれかかるようにして俺の方に倒れてきた。

 とっさに彼女の体を抱きとめる。


「はわわ、先輩ごめんなさいっ」


 慌てて身を起こす優里ちゃんの細い肩と暖かい感触が掌に残って、ドキドキしてしまう。


「この前はライブへの参加、ご苦労だった。楽しんでくれたかね?」


「は、はい! さ、最高でした!」


 優里ちゃんの背すじはピンと伸びていた。


「うむ。ならば幸いだ。ところで、この店のマスターに歌をせがまれていてな。後ほど軽くやる予定だから、時間があれば聞いていってくれ」


「え、本当ですか!?」


「うむ。普段のライブとは少々趣が違うとは思うが、今日は世を忍ぶ仮の姿だからな。人間の真似をしてラブソングなんか歌う予定だ」


「芥間さんがラブソング!? はわわ。楽しみにしてます!」


 優里ちゃんの眼差しが乙女そのものになる。


「ふははは。ではまた後ほど」


 ザルフェルはカウンターで例のバーボンストレートを注文し、なみなみと注がれたジョッキを片手にフロアの奥へ消えていった。

 まったく、あんなクレイジーな飲み方を人前でするのはやめてほしい。優里ちゃんに怪しまれちゃうぞ、と思ったが、優里ちゃんはそんなことに注目するほど冷静じゃないみたいだった。


「き、緊張しました。そっか。芥間さんもこの店の常連さんだって言ってましたもんね」


 大きく息を吐いた優里ちゃんが脱力する。憧れのロックバンドのボーカルにこんな直近で会えたのだから固くもなるか。

 それにしても。と、俺は優里ちゃんの横顔を見る。

 あの日のことが頭によぎる。


 あの夜、俺と優里ちゃんは一体何をして、何をしてないのか。

 だめだ。時間が経ったことで、余計にあの夜の記憶は曖昧になってしまっている。

 二人で過ごした夜に何があったのか確かめたいけど、それを彼女に訊ねるのはとても失礼な気がするからできないし、どうしよう。思い悩んでいると、ニヤニヤしながら近寄ってくる二人組が見えた。

 

「おや。藪坂クン! そちらが噂の後輩さんかね?」


「どうもどうも。こんばんは、ワシらはいつも藪坂君に世話になっているのだよ」


 座高計神と和式便所神のコンビだ。

 赤ら顔で現れた二人。悪い予感しかしない笑顔だ。


「先輩、こちらの方は?」


「ザコウです」

「ワシイと申す。よろしくな」


 それぞれが自己紹介をする。ガリガリの座高計神とガタイのいい和式便所神。凸凹な背格好が並ぶとなんだか漫才コンビみたいだ。

 優里ちゃんもドリンクを置いて自己紹介する。


「近頃の若者には珍しい、礼儀の良いお嬢さんだねぇ」


「うむ。まったくその通りだ。おい、藪坂君。こんな素敵なお嬢さんがいらっしゃるなんて、ワシは聞いてないぞ」


「そうだそうだ。お嬢さん。不躾なことを聞きますが、恋人とかはいらっしゃるんですか?」


 うわ、初対面だったいうのに、完全に面倒臭い絡みをしてきたぞ、このほろ酔いの神二人。


「えっと……あの」

 

 答えに窮する優里ちゃん。サイテーな大人達だ。


「ちょっと二人とも、変な絡みはやめてくださいよ!」


 間に体を割り込ませ、優里ちゃんを守る。


「ごめんね優里ちゃん。酔っ払いの戯言だから無視して」


「いえ、大丈夫です。……あの、今付き合ってる方はいません」


 律儀に答える優里ちゃん。ああもう、こんな馬鹿どもに真面目に答えなくていいのに。 


「なにい? そうなのか? こんなに可愛らしいのに! なあワッシー」


「うむ。こんなに美しい女性ならすぐに恋人ができそうなものなのにな」


 嬉しそうにウンウンと頷く神二人。


「おや? そういえば藪坂クンも今付き合っている人はいないと言っていたな?」


「お、そうかそうか。どうだい? 優里ちゃん。藪坂君などは。少し頼りないがいい男だぞ」


 ばかばか。お前たち黙って聞いてりゃ余計なことばっか言いやがって。

 めちゃくちゃウザい絡みじゃないか。初対面だぞ。そんなデリカシーのない絡みをするな。


「えっと……あの」


 言葉に詰まって優里ちゃんが俯いちゃった。せっかく楽しい雰囲気でお喋りしていたのに、空気ぶち壊しだ。ったく、本当になんてことをしてくれるんだこの二人は。


「ちょっと二人ともー! ウザ絡みはやめるにょー!!」


 小柄なピンク色が目の前に現れたと思ったら、パコンパコンと二人の頭を叩いた。傘神様だ。救世主だ。


「藪坂っちー、後輩さんも。ほんと失礼なこと言って、ごめんにょ。こいつら酔っ払ってるし、モテないから、ヒトの気持ちとかわかんないのさー」


 はたかれた馬鹿コンビは揃って口を尖らせる。



「いや、ワシらは純粋に二人を応援しようとしてだな」


「いたたた、そうだよ。僕たちは二人の縁を取り持とうと……」


「だから、お、俺たちはそういうんじゃないんで。からかうのは辞めてください!」


「藪坂クン、この前と言ってることが違うじゃないか。だって、あの時は好きな子がいるとか……」


「ばかばか! もう、向こうに行ってくださいよ」


 余計なことを口走る座高計神の痩せた背中を押してフロアの方に押し出す。


「うわ、ちょっと。まだ話は終わっていないぞ」


「ほらほら、いーから。酔っ払いのウザ絡みは怠いから退散するにょー」


 傘神様が二人のシャツを引っ張る。

 どうして自分たちが怒られているのか、まるで理解していない様子の二人の神様は釈然としない面持ちのまま、傘神様にひきづられてフロアの方へ消えていった。


「ははは、酔っ払いだらけで、ごめんね」


 微妙に気まずい空気をかき消そうと空笑いする。

 優里ちゃんも慌てて固まった表情を解いた。


「いえ、みなさん楽しそうで……。それに、先輩はみなさんに好かれてるんですね」


 好かれてる?

 うーん、おもちゃにされてるだけな気もするけど。


「わたし、この前神社で先輩に会った時、びっくりしたんです。別人みたいに暗い雰囲気で。ちょっと心配になっちゃってたんですけど、気のせいでしたね。変わってなくてよかったです」


 会社を辞めてタマさんと初めて散歩したあの時のことだ。

 あの日は少し言葉を交わしただけで、踏み込んだ話は少しもしていなかった。それなのに、そこまで見抜かれていたとは。驚いた。俺はそんなに暗い顔してたのかな。


「実はさ……。俺が会社を辞めたのって、優里ちゃんに会った日の前日なんだ」


 あの日は恥ずかしくて情けなくて、言い出せなかったことなのに今日は自然と口が開いていた。


「仕事も失敗だらけだったし、上司とも合わなくてさ……」


 俺は社会人として過ごして挫折したこの一年のことを優里ちゃんに話した。


「……就活はもっと真剣にやったほうがよかったんだな。社会を舐めてたよ」


 これから社会人になる優里ちゃんに助言をしよう、なんて上から目線の思いはなかったけど、優里ちゃんには自分のような失敗はして欲しくないし、何か少しでも彼女の就活の参考になればという気持ちだった。


「ま、優里ちゃんは俺と違って頭も良いし明るいし、どんな会社でもやっていけると思うけどさ」


 できるだけ軽い調子で話そうとしたんだけど、結局愚痴っぽくなってしまった。

ダメだな、俺は。

 でも、優里ちゃんはそんなダメな俺の話を真剣な眼差しで聞いてくれた。


「先輩、この一年とても大変だったんですね」


  そんなことない。一緒に入社した同期は今も頑張っているし、結局、俺の根性がなかったってだけなのだ。


「そんなことないですよ。単純に仕事との相性だってあると思いますし。それに、こんなこと言っちゃダメですけど、先輩が仕事をやめてくれたおかげで、またこうして会ったりできるようになったんですから、わたしは嬉しいです」


 優里ちゃんはなんて優しい子なんだろう。

 優里ちゃんの瞳を見つめる。優里ちゃんも俺のことを見つめている。


 店の喧騒が遠く感じる。

 こういうパーティの時は音楽も大きくて、人が多くても会話はとても狭い範囲にしか届かない。


 今なら、自分の想いを口にできるのではないか。

 大学時代、言いたくても勇気が出なくていえなかった気持ちを。


「優里ちゃん……俺」

 

 しかし、その時、フロアの音楽が急に静かになった。


「よっしゃー。じゃ、ちょっとの間、お耳にお邪魔しますよー」


 見れば天さんが即席DJブースの前にギターを構えて立っていた。


「先輩、いま何か言いかけました?」


 丸椅子に腰掛けてる天さんにフロアの視線が集まっていく。もう店の雰囲気も俺たちの間に流れる空気も変わってしまっていた。


「い、いや。なんでもないよ」

 

 首を横にふり、カウンターの上のグラスを一気に煽る。顔から火が出そう。優里ちゃんは不思議そうに俺の真っ赤な顔を見つめてる。


「て、ていうかさ、天さんの隣にいるのザルフェルだよな。歌うのかなぁ」


 彼女の視線をずらそうとフロアを指す。


 ぽろんぽろんと爪弾きながら弦のチューニングを合わせてる天さんの隣に、2メートルはあろうかという黒い鉄の棒を持ったザルフェルが立っていた。

 よく見れば、その鉄の棒には四本の銀色の弦が張られているのが見える。あれも楽器か。


「あれ、ベースですかね。大きいですね。ザルフェルさん、自分のバンドでは楽器は弾かないですけど」


 チューニングを終えた天さんが口を開く。


「今日はみなさん集まっていただき、ありがとさんです。気持ちも良くなってきてますんで、ザルフェル君と数曲やらせてもらおうと思います」


 紹介されたザルフェルが軽く手をあげて拍手に応える。


「いやー、ザルフェル君。こうやって一緒にやるのも久しぶりやなぁ」


「うむ。まあ、そうだな」


「昔、一緒に組んでた時もあったんよな。なかなか名コンビやったよな」


「お前がライブを何度もすっぽかしたから、すぐにコンビは解消したんだぞ」


「ははは。そうやったっけ。まあ、歌いたくない時に無理矢理、歌うっちゅうのは心がしんどいからなぁ」


「それで我輩が何度もライブハウスのスタッフに叱られたのだ。……思い出したらまた腹が立ってきた」


 どっとフロアが笑い声に包まれる。


「わはは。ま、お話はそのくらいにして、やろか。皆さん。お酒飲みながらおしゃべりしながら聞き流してください。では、いきまーす」


 気の抜けるようなほんわかMCから、ひとつ咳払いをして天さんはギターを構えた。


「みんなが知ってるスタンダードナンバーから」


 ポロンポロンと指で弦を弾きながら、囁く様な声で天さんは歌い始めた。


 古い洋楽。確かラブソング。色気のある湿った声だ。普段の陽気な姿からは想像できないようなしっとりとした甘い声。


 ザルフェルが指で弾くベースの音色は、心の奥に届くようなずっしりとした低音。瞳を閉じて心地の良い音楽に浸る。

 ゆったりとした時間が流れた。


「……ふう、ちょっと緊張したな」


 歌い終えると、天さんは照れ臭そうに鼻を擦った。


「次はザルフェルの番やな。人気バンドマンの歌、ただで聞けるんだからお客さんたちもラッキーやな」


 天さんは悪戯っぽくザルフェルを見上げる。


「本当であるぞ。感謝するように。では、我輩も皆が知ってる曲をやろうと思う」


 一つ咳払いをして、ザルフェルが姿勢を正した。

 そして、ベースを爪弾きながら渋い声で歌い始めた。


 激しいライブで有名なデビルガイコッツのボーカルが、落ち着いたラブバラードを歌うのは珍しいらしく、優里ちゃんはうっとりとしていた。


 数曲、交互に歌いあって会場もしっとりとした雰囲気になってきた。


「では、最後の曲にしよか。最後は二人で作った曲をやらせてもらいます。もうずっと前に作った曲で、もう百年くらい前やったかなぁ」


「そうかもしれんな。あの頃は明治あたりか。懐かしいな」


 まずい。ここのお客さん的には百年という月日は、思い出話にできるくらいの身近なものなのだろうが、人間の優里ちゃんがいるんだぞ。そんなこと聞いたら動揺しちゃわないだろうか。

 ちらり見るが、冗談だと思ったのか、気にも止めない様子で優里ちゃんは二人を見ていた。ほっとする。


「まあ古い話や。と言うわけで、その曲を最後にやります。聞いてください。『古城の風』」


 一呼吸おいて、天さんは歌い始めた。

 スローテンポの、のどかな曲。

 古い曲って言ったけど、本当に明治とか大正とかの時代、どこか唱歌や童謡を思わせるような、懐かしい曲調の歌だった。

 田圃とか小川のせせらぎや、満月とススキの穂とか、そういう日本の古い景色が脳裏に浮かんだ。


 演奏を終えると暖かい拍手がフロアを包み込んだ。


「いやあ。ひっさしぶりにやったけど、忘れとらんかったな」


「うむ、なんなら昔より完成度は高かった気がするな」


「またコンビ組んでやろか? 二人で武道館目指そか?」


「それは遠慮したいな」


 またフロアが笑いに包まれる。俺も笑いながら二人を見ていたが、ふと隣の優里ちゃんを見ると、優里ちゃんは何かを考え込むようにして手を口に当てていた。


 なんだろうな、と思ったけど、アンコールが巻き起こり、その拍手に合わせて手を叩いているうちに、すぐにそのことも忘れてしまった。

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