第24話 ついに憧れの乙女も店に来たけれどこの騒がしい店内に人間は俺と乙女の二人で後は神とか妖とか異世界の悪魔とかバレないか気が気じゃないぞ。

 傘神様の言葉の通り、次から次へとお客さんがやってきた。


 大学生風の若者もいれば、スリーピースのスーツでかっちり決めた白髪混じりの男もいる。キャピキャピした女子大生風もいれば、和服姿の女将さんみたいなのもいる。が、もちろん全員、人間じゃない。


「こりゃ大盛況やな」


 ドリンクを作りながら天さんが喜びの声を上げた。今日は人間に仮装しなければいけないというルールなので、皆頑張って変装しているのだけど、明らかに変装が下手な方もちらほらいる。


 さっきカウンターにお酒を注文しに来たヒトなんて、指が七本あった。なまじ、それ以外は普通の人間にしか見えないので、ドキッとした。

 まあ人間だって生まれつき指の本数が多い多指症の方もいるし、指が多いからなんなのだ、と言われれば、何も文句はないのだが、それぞれが人間に変装する上で、人間をどう捉えているのかがわかってちょっと楽しい。


「人間に憧れてるような妖はオシャレな人間に変化しとるし、人間のことをそこらの虫や鳥なんかと同じような獣としか見てない神様は適当な変化で来とるもんな。おもろいな」


「天さんはどっちなんですか? 天狗らしい姿を見たことありませんけど、タマさんみたいに変身して人間っぽい姿になってるんですか?」


 訊ねると、一瞬ドリンクを作る手が止まり困ったように首をかしげた。

 

「オレか? オレはまあそうやなぁ。鼻を折られたからなぁ。もう天狗の姿にはなれんのや」


 戻れないのか、戻りたくないのか、判断のつかない微妙な言葉だった。天さんも長いこと生きているみたいだし、色々なことがあったのかな。天さんの過去、少し聞いてみたい。


「しかし、こりゃ大儲けできそうやな。酒、たくさん仕入れといてよかったわ」


 ころっと表情を変えて天さんが言った。それで、なんとなくこの話はおしまい、という雰囲気になってしまい、天さんの話は聞けずじまいだった。

 

「ミカも手伝ってくれてるし、持つべきもんは友やなぁ」


 おつまみ担当になっているミカさんは煮込みをよそったり、乾き物を小皿に出したりと、忙しそうだった。


「こんなに混むなんて聞いてなかったわよー」


 ちょっとぐったりしている。


「ははは。オレもや。店終わったらとっておきの酒出すから、頑張ってや」


「ほんと? なら頑張っちゃうわ」


 ミカさんがパッと顔を明るくした。


「うむ。こういう時は助け合いだな。我輩も手伝いに来たぞ」


 カウンターの向こうから、ぬっと顔が出てきて、見上げると、どこかで見た顔の男が酒樽を抱えて立っていた。


「えっと……もしかして、ザルフェルさん?」


 そうだ、悪魔のザルフェルさんの人間界での所謂『世を忍ぶ仮の姿』ってやつだった。ライブ会場で会った時は髪の毛を逆立てて派手なメイクをしていたけれど、今日は髪も下ろしているし、メイクなんかしていないから一瞬わからなかった。


「がはは。そうだ。ザルフェルだ。ほれ、酒の差し入れを持ってきたぞ」


 どしん、と置いたのは大きな酒樽。さすが怪力。こんな重たいものを五階まで担いでくるなんて。


「随分と賑わっておるな。見知らぬ顔も多いようだが」


「今DJやってる傘の神様が色々なヒトに声をかけてくれたのよ」

 

 ミカさんが答える。


「ほう。なるほど。妖や神といった土着のモノだけでなく、我輩のように異世界からやってきておるものもいるようだ。傘の神様というのは、なかなか顔の広い神のようだな」


 ぐるりと店内を見渡して、「挨拶回りでもしてくるか」と部屋の奥に入っていた。


「ザルフェルさんって意外とマメなんですね」


「怖いのは見た目だけよ。彼も優秀な営業マンだからね」


 そういえば、天使のミカさんが悪魔のザルフェルさんと仲良さそうにしているのは、なんだか不思議だな。


「あらそう? 私も彼も別の世界からこの世界に来ているって意味では同じようなものよ。自分の世界との風習も違うし、土着の神様とか妖とかに協力を仰がなければいけない時もあるから、情報を共有したりするのよ」


 なるほど。横の繋がりは大切と言うことか。


 そんなこんなで慌ただしく時間は過ぎていく。傘神様のDJも緩急があってお客さんたちも盛り上がっている。


「まったく。今日は騒がしいのぉ」


 カウンター席に一人座っていつも通りちびちびと酒を飲んでいるのはタマさん。彼女だけが、喧騒の中から少し浮いている。


「タマさんは賑やかなのは苦手ですよね」


「別に。普通じゃ」


 普通ならもっと楽しそうにしてると思うけどなぁ。でも、いつもならつまらなかったらすぐにいなくなっちゃうのに、今日はずっと店にいるので多少なりとも楽しんでくれているのかな。


「お主が楽しそうな顔をしているからな。それを肴にしておるだけじゃ」


「そうですか?」


「うむ。初めて会った時の死にそうな顔が嘘のようじゃ」


「……タマさんのおかげですかね」


「ふん。馬鹿なことを言うでない。これっぽっちも思っていないくせに」


「そんなことないですよ。そりゃ無理矢理家に居付かれちゃったし、困ったのは事実ですけど、タマさんに出会わなければ、こうやってみんなと知り合うこともなかったですし」


「まあ良い。酒じゃ」


 グラスを差し出されるので、おかわりを次ぐ。


「ま、お主を幸せにするのが招き猫である儂のつとめじゃからな」


 そういえば、どうしてタマさんは俺のところに来たのだろう。前にも聞いたことがあったような気がしたけど、答えてもらったけな。覚えていない。

 もう一度聞いてみようかな、と口を開きかけた時。


「あ、篤。多分後輩ちゃん来たで」


 人間の気配を察することのできる天さんが俺に言った。


「店の前にいるっぽいな」


 その言葉を裏付けるようにスマホに連絡が来た。『近くまで来たんですけど、看板とか出てます?』


「迎えに行ってやりい。その間に、皆に人間が来ることを伝えとくから」


「わかりました」


 カウンターを出て階段を降りる。確かにこんな狭くて暗いビルに女の子が一人で入っていくのは勇気がいるだろうな。


 階段を降りきると、優里ちゃんが道に立っていた。膝丈のスカートにブラウス。いつもの元気いっぱいの優里ちゃんとはちょっと雰囲気が違う。大人っぽい。可愛いというより綺麗って感じ。これも大変グッドだ。


「あ、先輩っ」


 俺を見て安心したのか顔が輝く。


「ごめんごめん。わかりにくかったよね」


「ここかなって思ったんですけど、ちょっと不安で」


 そりゃそうだ。こんなオンボロのジメジメしたビルなんか、女の子は近寄りたくない気持ちになるだろう。


「五階なんだけど、階段も急だし、薄暗いから気をつけて」


「はい」


 ちょっと不安そうな優里ちゃんを連れて階段を登る。階段を登りきり『事務所』と書かれた鉄扉の前に立つ。扉の防音効果は絶大で、中の喧騒は完全にシャットアウトされている。


「ここですか?」

「そう。全然お店に見えないよね。今日、イベントでいつもよりお客さんが多くて、てんてこまいなんだけど、気にしないでね」


 苦笑いしながら、扉を開ける。


 オレンジの光、人々の喧騒。低音の聞いたテクノサウンド。優里ちゃんが驚いて目を細めた。


「わあ、すごい……」


 オンボロビルの薄暗い階段の先にこんなバーがあるなんて思いもしなかったのだろう。優里ちゃんは入り口であっけに取られて立ち尽くした。


「カウンターの席に座りなよ」


 優里ちゃんのために荷物を置いて確保していた席に案内する。


「藪坂先輩がこんなおしゃれなお店で働いていたなんて、意外です」 


「悪かったね。おしゃれが似合わない男で」


「え!? そういう意味じゃないですよ!」


 慌てて手を振る優里ちゃんに「冗談だよ」と笑いかけて、カウンターの奥を見る。天さんはちょうどお客さんのドリンクを作っていて、こちらに気づいていなかった。 


「あの人がマスターの天さん。見た目はちょっと怖いけど、割と良い人だよ」


 カウンターの奥に立つ天さんを紹介する。全身、刺青タトゥーだから、ちょっとビビるかな、と優里ちゃんを見ると、案の定、固まっていた。そりゃそうだよな。俺だって初めて見た時は反社会的な方かと思ったもん。

 天さんはこちらに気づいた。ドリンクを作り終えるとこちらに寄ってきた。


「こんばんわー。いつも話は聞いとるでー。よろしゅー。マスターの天宮司です。気軽に天さんって呼んでな」


 握手を求めて手を伸ばす。


「は、初めまして。藪坂先輩の大学の後輩で、玉川優里と申します。よろしくお願いします」


 丁寧に頭を下げて天さんの手を握った。天さんは優里ちゃんの顔を見ると表情が固まった。けど、俺の見間違いかもって思うくらい一瞬で表情は元通りになった。


「お、おう。なんや真面目そうなええ子やないか。ははは。ゆっくりしてってな。何飲む?」


「えっと、レモンサワーありますか?」


「ほいよー。篤、今んとこ落ち着いてるからカウンター入らんでええで。忙しくなったら頼むわ」


 親指を立てて天さんはドリンクを作り始めた。

 

「ヤッホー! 優里ちゃん! ご無沙汰!」


 入れ替わりでミカさんがカウンターから、にゅっと顔を出す。


「あ、えっと……」


「ほら、この前あっくんちで会ったじゃない。あの時はちゃんと挨拶もできなかったから。私、ミカです。よろしく。あと、これは天さんの特製煮込み、美味しいから食べてー」


 お椀に煮込みを乗せてカウンターに置く。優里ちゃんは少し考えたがすぐに思い出したようだ。


「ああ。ベランダで藪坂先輩に抱きついてた人ですね」


「え? やだー違うわよー。あれはあっくんが自暴自棄になって飛び降りようとしたのを阻止してただけよー。ね? あっくん?」


「えっと……そうでしたっけね。まあなんにせよ、その煮込みめちゃくちゃ美味しいから食べてみてよ」


「そうそう、熱いうちに食べてちょうだい、ほっぺた落ちちゃうわよ」


 なんとか無理矢理ごまかして、話題を煮込みに逸らす。優里ちゃんは釈然としないような顔をしていたが、二人で早く食べるように勧めたので「では、いただきます」と箸をとった。


「あ……美味しい!」


 摘んだ牛肉を口に入れると優里ちゃんの目が輝いた。


「でしょ。すごく美味しいでしょ?」


 よし、話題が逸れた。


「天さんの料理って普段は店で出してないんだ。美味しいのにもったいないよな。作るのが面倒だからって言ってて。ねー天さん!」


 話題を天さんに振る。


「んー? まぁな。せやけど、こんだけ好評を頂いちゃったら、またやろうかなって気になるわな」


「そうですよ。こんなに美味しい料理作れるんだから、イベントの日にしか出さないなんて、もったいないですよ」


「ははは。でも、料理目当てに客がわんさか来るのもなんかちゃうやん。のんびりダラダラして欲しいし、オレも忙しくなるの面倒やしな」


 これだよ、この人は。


「ね、優里ちゃん変な人でしょ。この店、売上が悪いからって退去を迫られてるんだよ。それなのにマスターの天さんが全然本気になってなくてさ」


「このお店、閉まっちゃうんですか?」


「売上が増えなかったらって話や」


「実際増えてないじゃないですか」


 オーナーに売上を持っていかなきゃいけない期限まであと一週間というのに、全然お金は貯まっていない。俺も半ば諦めている。


「わはは。痛いところを突くなぁ。まあ今日は結構売上伸びそうやん。ダメだったらダメだったで仕方ないけどなぁ」


 確かに今日は驚くほどお客さんが入っている。けど、それにしたってオーナーに要求されている一〇〇万円には届かなさそうなんだ。っていうか、土台無茶な話だったんだ。仕入れでお金は使う訳だし、今までの貯蓄がゼロなんだからどう頑張っても一〇〇万なんか手元に残らない。

 毎日このくらいのお客さんが入れば、わからないけど、こっちの体力が保たないし天さんも忙しいのは嫌がるだろうし。


「もう。私達だってこの店が無くなったら不便なんだから。頑張ってよ」


 ミカさんが呆れ返る。優里ちゃんもミカさんの言葉に大きく頷いた。


「そうですよ。こんなに素敵なお店なのに、もったいないですよ」


「まあ、そう言ってもらえるのは嬉しいけどなー。ま、なるようにしかならんて」


 天さんはあっけらかんと笑う。その日暮らしの妖だから、未来より今を優先するのだろうけど、周りで見ていると少しモヤモヤする。責任感のなさってのはやっぱりマイナスだよなぁ。

 

「煮込み、まだありますかー?」

 

 背後からお客さんに声をかけられ、ミカさんが「はいはーい。まだあるわよー」と返事をしながらカウンターに戻っていく。


「なんだか、天さんって不思議な方ですね」


「ま、色々な人がいるからね」


「もし、お店が無くなっちゃったら、先輩はどうするんですか?」


「そりゃ転職活動をするしかないんだろうけどさ」


 正直、サラリーマンにはもう戻りたくない。けど、やりたいことも見つからないし。


「優里ちゃんは就活とか考えてるの?」


「うーん。周りもだんだん動き始めてますけど、ぶっちゃけ行きたい業界とかはまだわかんないんですよね。これから色々みて決めていこうかなって感じですね」


 そうだよな。まだまだわかんないよな。俺だって大学三年生の頃は何が何だかわからなかったものな。


 ……ま、今だって自分の進むべき道なんてわからないんだけど。


 でも、この店が潰れた後のことも真剣に考えなきゃいけない時期が訪れているのかもしれない。

 

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