第18話 お酒は飲んでも飲まれるなって言うけど記憶なくして自分が何したか何もしてないか覚えてないってのは絶望的だし天使は何もサポートしてくれない!

 ☆

 



「……と思う。多分、キスした。いや、でも……やっぱ夢だったかも……」


「どっちやねん!! 一番重要なところをなんで覚えとらんのや!」


 身を乗り出して俺の話を聞いていた天さんがずっこけた。

 天さんの言うとおり。それが、一番重要な所なのだけど、本当に記憶が曖昧なのである。


「ホンマは優里ちゃん家に行ったってのすら、夢なんちゃうか?」


 鳥の巣頭を掻いて、天さんは目を細める。

 

「そんなことはないですよ。朝、ちゃんと優里ちゃんの家で目覚めたし」


「裸でか?」


「ち、違いますよ。そんなわけないじゃないですか! まあ、お腹出して寝てたんで、優里ちゃんがタオルケットをかけてくれてましたけど」


「ふーん、ええ身分やなぁ。そんで、朝の彼女の態度はどうやったん? それで大体わかるやろ?」


「態度……ですか、うーん。それを言うのなら、昨日はずっとミカさんの魔法で俺たちの様子を覗き見してたじゃないですか。天さん達の方が、事の顛末をちゃんと見てたと思うんですけど」


 カウンターに黙って座るミカさんと、向こうのソファでだらっとしているタマさんを交互に見る。二人は示し合わせたように何も言わない。


「ちょっと、聞いてます?」


 なぜか沈黙する二人だったが、ミカさんが長い足を組んで首を横にふった。


「肝心なところでモニターが故障しちゃってね。カラオケ屋さんに入ってから先は見ることができなかったのよ」


「ま、仕方がないのう。そういうこともある」


「……何を言うとんねん。ミカとタマさんがつまみのフライドチキンの取り合いなんかしはじめて、モニターを床に落とすからやろ」


 せっかく楽しく見てたのになぁ、と天さんは不満げに眉をあげた。カウンター席とは離れた場所のソファにだらしなく座っているタマさんは猫耳をぱたっと閉じて聞こえないフリをしている。


「誰だってミスはするものよ。ね、タマさん」


「うむ。あれは致し方ないことじゃ」


「あっくんのスマホの電源も切れてるし、居場所さえわかれば極上のサポートを提供できたのにね」

 

 恋の天使は悔しそうに顔をしかめた。

 うん、俺自身の記憶が曖昧なのは困ったことだけれど、ミカさんの極上のサポートとやらを受けなくて済んだのは不幸中の幸いだったな。

 そういえば、ミカさんが集めてるラブエネルギー(名前がやっぱり恥ずかしい)は出ていたんだろうか。


「酔っ払い過ぎて回収すんの忘れとったみたいやで」


「あ、天さん。それ言わないでよー」


 ダメな天使だ。


「ま、ミカの手など借りずとも、招き猫の儂がいれば篤は幸福になれるのじゃがな」


 タマさんは少し、つまらなさそうに呟くとミルクの入ったマグカップを両手で持ち上げた。タマさんはホットミルクか日本酒しか飲まない。その二つのちゃんぽんは気持ち悪くなりそうだけど、それがお気に入りらしい。変な化け猫だよ。


 それに、タマさんは毎回、自分こそ俺を幸福にできると嘯いているけど、彼女に幸福を招いてもらったことは今のところ一つもないぞ。まだミカさんの方が(方法は置いておいて)サポートをしてくれている気がする。


「むむ。篤よ。幸せというのは目に見えるものではないのじゃ。篤が気づかぬだけで、儂がいるからこそ得られる幸せというのがあるのじゃ」


 ぷくーっとほっぺに空気を入れて、むくれて見せるタマさん。まったくいつもそれっぽいことばかり言って。


 ともかくだ。昨日の記憶が曖昧だということが、ヘソを曲げている招き猫なんかよりも、現状いちばんの問題なのだ。


「そやそや。話が脱線しとった。ホンマに何も覚えてへんのか?」


 そう言われても、俺だって困っているんだ。

 優里ちゃんの家に行き、二人でお酒を飲み始めたところまではふんわりと覚えている。

 けれど、そのあとがよくわからない。


「いつの間にか寝ちゃってたみたいで……」


 どこから説明すればいいのやら。


「古来より、酒は飲んでも飲まれるなと言ったものじゃが。完全に飲まれたようじゃの」


 半眼で俺を見るタマさんがやれやれと首をふった。おっしゃる通りです。自分でも恥ずかしい。


 俺が目を覚ました時には優里ちゃんはもうとっくに起きていた。

 すっかり着替えていて、ラフな感じのショートパンツに首元の緩いティーシャツ姿だった。

 あの格好も可愛かったなぁ。って、それはいいとして、優里ちゃんは目を覚ました俺にこう言った。


「先輩、おはようございます。昨日は飲み過ぎちゃいましたねー。でも、あんなに楽しくお酒を飲んだのは久しぶりで、楽しかったです」


 昨日となんら変わらない明るく天真爛漫なお日様みたいな笑顔だった。

 もし、二人の関係が夜のうちに変化したのであったなら、それが酒に任せた勢いだったとしても、あんなに自然な態度にはならないだろう。……それとも、優里ちゃんにとってキスなんてのは手を繋いだり同じジュースを回し飲みするくらいの、自然な事なのだろうか。

 いつもと変わらない彼女の態度が逆に不自然なよな気もしないでもないが……。うーん。わからん。昨日の出来事は俺の夢だったのでは?


「何やねんそれ。オレやったら聞くけどな。やっちゃった? って」


 そんなこと聞けるか。あいかわずの天さんだ。彼くらい軽いノリで生きていたら、きっと人生はもっと楽だろうな。


「いけしゃあしゃあと女子んちに上がり込んでおいて、ギリギリんところで、いくじなしやなぁ」


 うぐ。何も言い返せない。


「ミカは天使の力で何か感じ取ってないんか?」


「普段ならバッチリ感じ取れるわ。でも、ちょっと昨日はお酒を飲み過ぎちゃったし」


 ぺろっと舌を出しておどけて見せた。全然頼りにならない天使だ。何より、恋のサポートは仕事ではないのか。そんな適当な仕事ぶりでいいのか。


「仕事なんて所詮は生きるためにしてるだけでしょ。わたし仕事より好きなこといっぱいあるもん。お酒とか」


 ダメだ。このヒトはダメだ。


「ま、具体的な行為の有無とかはわからないけど、彼女の心の動きとか、あっくんに対する感情が昨日どういう風に変わったかは、ある程度観測できてるけどね」


 え、それはできてるのかよ。あてになるんだかならないんだか。人外のヒトたちは全体的につかみどころがない。

 優里ちゃんの俺への感情が変化してるって良い方にだろうか。それとも悪い方に?


「えっとねー。……やめた。言ってもいいけど、そういうの知っちゃうと、ドラマチックな展開から少し外れちゃうものねー。もっとハラハラそわそわのドキドキな展開をしてもらいたいじゃない。だから、言わないわね」


 天使の微笑みでなんだかいやらしいことを言う。くそ。そうだった。この天使はラブエネルギー(恥ずかしい)を集めるためにドラマチックな恋愛を欲しているだけで、別に善意で俺の恋を応援しているわけじゃないのだ。


「そんなことないわよ、私だって結構本気であなたの恋愛は応援してるわよー。でも、やっぱりドキドキしたいじゃない? ゲームだって先の展開が載っている攻略本なんか見たらつまらないじゃない? そういう感じよ」 


 俺は攻略本片手にゲームをやるタイプだ。

 彼女は他人事だからそんなことを言えるのだ。俺は不安で仕方ない。


「まあ、そんな感じね。さて、あっくんの悶々とした顔も見れたし、私は他にも仕事があるから行くわね」


 ミカさんが支払いを済ませて席を立つ。


「タマさん、天さんもまたね。青年! モヤモヤしながらがんばりなさいっ」


 やっぱり他人事だ。二人に挨拶した後、俺の肩をポンポンっと叩いてミカさんは店を出て行った。どこか含みのある笑みを携えて。



「うーん。ありゃ何か知ってる顔だな。昨日のこと、ミカは何があったか、わかってそうやな」


 ミカさんがいなくなった店内で、天さんがぽつりとつぶやいた。俺もそう思う。意地悪な天使だ。もしも、お客様アンケート用紙とかあるんだったら、最低点をつけてポストにぶち込んでやりたい。


「あやつの、篤の恋愛を成就させたいという気持ちは本物じゃろうが、別名ラブサイコと呼ばれておるほど、行動がやばいからの。あまりあてにせん方が良いな」


 ソファに猫らしくしなやかな姿勢でぐでんと横たわったタマさんが首だけ向けて言った。


「ともかく、家にまであげてくれるんやから脈が完全にないわけないやんか。深刻にならんで、またデートにでも誘えばええやん」


 能天気な天さんだけど、こういう時の彼の発言は頼もしく感じる。そうだよ天さんのいう通り、プラスに考えよう。


「んで、今度こそやっちゃえばええんやで。女なんて一回やっちまえばこっちのもんやろ」


 ……前言撤回。やっぱりこのヒトもロクでもない。


「あ、この続きはまた後にしよ。お客さんや」


 天さんが軽口を止めて店の入り口を見た。天狗の特殊能力なのか単に感が鋭いのか、彼は階段を登ってくるお客さんの気配を察知できるみたいだった。

 鉄扉に注目すると、天さんの言った通り、扉がゆっくりと開いた。


「こんちわっすー。天ちゃん、お久しぶりだにょー」


 ぴょこっと顔を覗かせたのは、ピンクの髪をツインテールにした若い女性だった。

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