第17話 おばあちゃんがいるって言ってたのに家に着いたら今日はいないんだって急に言われて緊張感がマックスだよ二人っきりじゃんまずいっておいおい!

「いないなら、気を使わなくていいですね。どーぞどーぞ、遠慮しないでください」


 優里ちゃんの声のトーンが上がった。


「おばあちゃん過保護なんで、もし、わたしが男の人を連れて来たなんてなったら、絶対に飛び起きて来ると思ってたんですけどね」


 ま、まあそうだよな。大事な孫娘が酔っ払って男を連れて来たら心配するよな。


「心配っていうか、面白がると思いますよ。おばあちゃん変な人なんですよね。でも、先輩みたいな人、嫌いじゃなさそうだし、きっと一緒にお酒を飲むとかって言い出しそうだったんで、日本酒も買って来たんですけどね」


 そうか、それでコンビニで日本酒なんて買っていたのか。


「わたしのこと、真面目すぎるからつまらんっていつも言うんですよ。おばあちゃんは昔はブイブイ言わせて結構遊んでたみたいで、ことあるごとに若いうちに色々経験しとけってわたしに言うんです。早く彼氏の一人でも作れって。そのくせ、見かけだけの男には引っかかるなとも言うんです。自分が昔、痛い目を見たからって。勝手なんですよね」


「今更だけど、優里ちゃん彼氏とかいなかったんだね」


 それは今まで恐れていて聞けなかったことだった。

 デートに誘っておいて、俺はそれすらきちんと確認できていなかった。

 二人でライブに行ったり、家に泊めてくれたり、普通に考えて、彼氏がいたらできないことなのだろうけど、それでも俺は面と向かって彼女に恋人がいるかどうかも聞けなかったのだ。ヘタレである。


「なに言ってるんですか。いませんよー。だから、おばあちゃんにからかわれるんですから」


 優里ちゃんは、あははと元気に笑った。


「なかなかユニークそうなおばあちゃんだね」


「そのせいでお母さんとは仲が悪いですけどね」


 笑いながら優里ちゃんはキッチンを抜け、もう一つの扉を開けた。そちらは彼女の部屋なのだろう。


「こっちにどうぞ。わたしの部屋です」

 

「お、お邪魔します」


 緊張しながら優里ちゃんの部屋に入る。


 整頓された部屋だった。シングルベッドと本棚と勉強机。ベッドにはぬいぐるみが置かれ、壁には友達との写真が貼られたコルクボード。机には可愛らしい小物の数々。カーテンも白くて清潔感があるし、小さなサボテンなんかも置かれていて、これが女の子の部屋なのかと俺は感慨深い気持ちになった。

 優里ちゃんはベッドに座り、俺は優里ちゃんの机の椅子に座った。


「じゃ、ひとまず乾杯っ」


 コツンと缶を合わせ、口に運ぶ。さっきまでだってお酒は飲んでいたのに、こうして彼女の部屋にいると思うと、なぜか酔いが冷めてしまう。


「ふう、今日は楽しかったですね」


 缶チューハイを両手で持ち、俺を上目使いでみる優里ちゃん。やっぱり可愛い。


「な、なんですか? 顔に何かついてますか?」

 

 思わず見惚れていた。優里ちゃんは恥ずかしそうに前髪を整えて顔を赤くした。


「あ、いや。そう言うわけじゃなくて……」


「本当ですか? ならいいですけど。そうだ、忘れないうちにデビガのCD渡しますねっ」


 優里ちゃんは立ち上がって部屋の隅にあるCDラックに向かった。

 ありがとう、なんて言いながら優里ちゃんの背中を眺める。CDラックの前でしゃがみ込みCDを探している背中。細い腰。ショートパンツから伸びる足。まずい。けしからん妄想をしてしまいそうになり、慌てて頭を振る。

 優里ちゃんはそんな俺の男としての苦悩など気づくはずもなく、鼻歌まじりに何枚かのCDをピックアップしている。

 無防備とも取れる優里ちゃんの後ろ姿を見ていると、やはり彼女は俺のことを恋愛の対象としては意識していないのだろうな、と言う気持ちが込み上げてくる。

 好きな男を部屋に招いている、というよりは、単に自分が好きなバンドを好きになってくれる奴が現れたことが嬉しくて、布教活動に精力的って感じだ。その無邪気なところも彼女らしくて可愛いけど、ちょっと悔しくもある。


 だが、仕方ない。そうだよな。俺のことを恋愛対象として見ているわけなんかないよな。家にあげてもらっているからと言って、調子に乗ってはいけない。元々はおばあちゃんもいる予定だったのだし、だからこそ、安全を確信して俺を呼んだのだろう。そんな彼女の信頼を裏切るわけにはいかない。

 ググッとチューハイをあおる。


「はい、これとこれは必聴です!」


 何枚かのCDを渡された。優里ちゃんはそのまま俺の隣に座って、肩が触れるような距離で、どの順番から聞いた方がいいとか、何曲目がおすすめだとか、なんだかんだと、楽しげに話を続けていたが、俺はそんな話など、うわの空で、全力で自分のうちに湧き上がるやましい気持ちを押し殺していた。


 すぐ手を伸ばせば抱きしめられる距離に優里ちゃんがいるのだ。長い髪が俺の肩に触れている。彼女の匂いが意識せずとも感じられてしまう。

 だけど、ダメだ。それはいけない。こっそり匂いを嗅ぐなんてエチケット違反だ。紳士的じゃない。

 彼女に近づきたくなる気持ちを、優里ちゃんが持つCDジャケットに写されたザルフェルの顔を凝視して必死に沈める。


 俺にひとしきりCDの布教をし終えると、優里ちゃんは一息ついてチューハイを口に運んだ。俺もようやく一息つける。肩の力を抜いてお酒を口に運んだ。


「先輩がデビガ好きになってくれたら嬉しいなぁ」


 ポカポカした顔で優里ちゃんは言った。優里ちゃんがお勧めしてくれたバンドだし、実際ライブも格好良かったし、もう好きになったようなもんだよ。と答えると、えへへ、と照れ臭そうに優里ちゃんは笑った。


「先輩って本当に優しいですよね」


 珍しく甘えたような声。酔いも回っているのだろう。


「わたしの話も黙って聞いてくれるし、絶対モテそうなのに。どうして彼女つくらないんですか?」


 うぐ、可愛い顔して内角を抉るようなことを言う。


「つくらないのではない。できないんだよ」

 

 ぶっきらぼうに言って酒をあおると、優里ちゃんは足を伸ばしてクスリと笑った。


「田口さんが言ってましたよ。藪坂は良い奴すぎてモテないって」


 あの野郎。人のいないところで好き勝手言いやがって。


「わたしは先輩の魅力がわかる人がいないのが不思議ですけどね」


 優里ちゃんは首を傾げて言った。


「優里ちゃんはどうなの。明るいし元気だし、モテそうじゃん」


「わたしですか? わたしは全然ダメですよ。女の子っぽくないんで、好きになっても全然相手にされないで終わりです」


 そんなことないだろと思いながら前髪をいじる優里ちゃんを見る。……こんなに可愛いのに。


「好きな人ができても結局、告白できずに終わっちゃうんです。わたしなんかが告白しても、困らせるだけだって思っちゃって」


 それはわかる。俺だってそうだ。ってか今がそうだ。せっかく仲良くなれたのに、告白なんかして失敗した日には、せっかく築き上げた関係性が失われてしまう。そうなる可能性があるなら、恋心など隠して今のままでいた方がマシだ。


「わかります。わたしもそうです。社会人って大変そうで、こちらから連絡するのも迷惑かなって色々考えちゃって、それで時間だけが経っちゃって」


 優里ちゃんは大きくため息をついた。うんうん、と聞いていた俺はなんだか重要なワードが出たような気がして、あわてて優里ちゃんを見た。優里ちゃんはハッとしたようで、顔を背けると、右手に持つ缶チューハイを一気に飲みほした。


「優里ちゃん……今のって誰の話?」


「お酒なくなっちゃいました。先輩の分も持って来ますね」


 俺の言葉を遮った優里ちゃんは、ささっと立ち上がってキッチンに向かった。

 ひとり残されて俺は戸惑った。優里ちゃんがポロリとこぼした言葉は一体誰のことを言っていたのだろう。心臓が高鳴る。もしかして、俺のこと?


 いやいや、まさか。


 でも……。もしかしたら。


 酔った頭で行う脳内会議は全然当てにならない。


 優里ちゃんが冷蔵庫から新しい缶チューハイを持って戻って来た。


「先輩? 大丈夫ですか?」


 声をかけられるまで、彼女が戻ってきていることに気づかなかった。いかんいかん。だんだん酔いが回って来たな。


「あ、ごめんごめん。大丈夫だよ。ありがとう」


 受け取ろうと手を伸ばすが、缶を掴み損ねてしまう。

 俺の手をすり抜け、カーペットに落ちる缶。慌てる俺、優里ちゃんも急いで缶に手を伸ばす。

 転がる缶の上に二人の手が同時に被さった。


「あ……」


 重なり合う手。互いの口から漏れる戸惑いの声。


 幸いなことに缶の蓋は空いていなかった。けど、そんなことはもうどうでもよかった。


 優里ちゃんの温かな手。柔らかい手。


 沈黙。

 優里ちゃんの顔が目の前にある。少し潤んで震える瞳。お酒のせいかほっぺたが赤く紅潮している。少しの間、黙って見つめ合ってしまった。

 優里ちゃんの唇が微かに開く。


「先輩……」


 甘い吐息。優里ちゃんの手が俺の手をぎゅっと握る。

 なぜだろう。モテない俺でもわかる。今まで女性とこんなに接近したことがない俺でもわかる。



 二人の雰囲気は今、猛烈に良い


 互いの胸の高鳴りが、静寂に包まれた部屋の中、聞こえるようだ。


「優里ちゃん……」


「藪坂先輩……」


 どちらからともなく俺たちは顔を寄せた。

 

 そして、唇を重ね合わせた。



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