第16話 なんとまさか終電を逃す羽目になった俺は憧れの乙女に家に誘われてしまうのだが家にはおばあちゃんもいるんだってなら安心って期待さすな!



「ねえ……先輩。延長……しちゃう?」


 火照った頬の優里ちゃんが汗を拭きながら俺を見つめる。


「まだ俺、興奮が治んないよ」


「もう、先輩ったら」


 薄暗い部屋の中、俺たちは二人っきりだった。


「じゃあもう少しだけ……」


 優里ちゃんが潤んだ瞳で、薄桃色の唇をゆっくり開いた。


 そして、

 

「むーぎわーらのーっ! 帽子がきーみのーっ」


「夢ならばどれほど良かったでしょうーっ メロン! メロン!」


「戦え! 火頑豪! レッツゴー! 火頑豪!」


「さよならはあなたから言ったー! それなのに頬を濡らしてしまーうのー」


「一時間、延長お願いしまーす」


 ここは、そう。カラオケだ。

 ライブの興奮が冷めやらぬ俺たちはカラオケに来ていたのだ。

 お酒も入り、音程などでたらめだったけど、二人でめちゃくちゃに盛り上がった。 


 時間を忘れてカラオケ楽しんだ後、店の外に出るとすっかり終電ギリギリの時間になってしまっていた。


「先輩っ! 急ぎましょう」


 優里ちゃんが俺の手を取り走り出す。

 人の行き交う繁華街を駅に向かって走る。

 夜風は心地良く、優里ちゃんの手は温かく、ずっとこのまま二人で夜の明かりの真ん中を走っていたくなる。


 しかし、終電を逃すことはできない。なぜなら優里ちゃんはまだうら若き学生さんであるからだ。


 俺は社会人の真っ当な紳士的な先輩として、後輩である彼女を無事に帰路につかせる責任があるのだ。


「うー、もう間に合わないかも〜」


 彼女は何故か楽しげな悲鳴をあげているが、簡単に諦めてはいけない。


「頑張れ! もう少しだよ」

 

 俺がしっかりしなければ。


「走るの疲れましたぁ」


「あとちょっとだから頑張れ」 


 俺だって疲れている。が、ここで諦めてはなるまい。お付き合いもしてない男女が終電を逃すなんて破廉恥な行為は絶対にダメだ。故郷で娘の無事を祈る優里ちゃんの親御さんにも申し訳が立たない。

 駅に辿り着き、改札を抜ける。電光掲示板には『終電』の赤い文字。オンタイム。ホームに電車が到着している。


「優里ちゃん! 急いで」


 優里ちゃんの手を引いてホームへ続く階段を駆け上る。


 警笛が鳴り響く。間に合え。あと少し。


「間に合ったっ!!」


 プシューっと背後で扉が閉まった。電車の中で肩を揺らしながら安堵の息をつく。


「ギリギリだったね。良かったなぁ優里ちゃん」


 ミッションコンプリートって感じで微笑みかけると、優里ちゃんは少し戸惑ったような顔になった。


「ん? どうしたの?」


「いや、その……先輩の家ってこっち方面じゃないですよね?」


 クスクス笑って優里ちゃんが俺を見上げる。


 し、し、しまった!

 優里ちゃんを無事に電車に乗せることばかり考えていて、自宅とは全然違う方向の電車に乗ってしまった。


「ぬぁ!? やっちゃった!」


 絶望である。帰れない。どうしよう。くそ、なんてヘマをやらかしてしまったんだ俺は。


「もう終電ですもんね。帰れなくなっちゃいましたよね?」


 やばい。どうしよう。

 タクシーを拾って帰るべきか?

 いや待て。貯金も無しに会社を辞めたので、できるだけ金は使いたくない。漫画喫茶かどこかで始発まで時間を潰すしかないか。

 とはいえ、いつもと全然違う方面の電車に乗ってしまっているので、手頃な漫画喫茶がある駅が分からない。スマホで調べようとポケットから出すと、電源が切れていた。これはまいった。どうしよう。充電器は持っていない。

 

「あの……先輩? よかったら、うち来ます?」


 彼女の言葉が車内の喧騒の合間をすり抜けるように俺の耳にスッと届いた。


「え?」思わず聞き返して固まってしまう。


 優里ちゃんの家? 


 うら若き乙女の部屋に?

 この俺が?

 それって、どどど、どういうこと?


 軽くパニックになる。

 女の子が家に男を呼ぶってのはどういう意味なのか、俺だって知ってる。ドラマや映画や漫画なんかでそういう成り行きのドキドキシーンは何度も見てきたぞ。


 ……いやいやいや待て待て待て。俺はそういうつもりで電車に乗り込んだわけじゃない。そんな誤解されたら困る。違うぞ。


「えっと、あの。それはえっと……その……」


 咄嗟に言葉が返せず固まってしまった。優里ちゃんの顔を直視できない。って、俺がしどろもどろになるのも変な話だけど。

 混雑する車内。すぐ触れる距離に立つ優里ちゃんの視線は感じるけど、どんな顔でこっちを見てるのか怖くて見れない。


 優里ちゃんだって、男と女が一つ屋根の下で夜を明かすというのがどういうことか分からない歳ではないはずだ。


 ということは、そういうことを優里ちゃんは望んでいるのか?

 ライブとカラオケで火照った身体を更に熱く燃やすようなそういう男と女のワンマンライブを俺としたいと望んでいるのか!? 


 優里ちゃんはけしからん親不孝娘なのか!?


 優里ちゃんの手の感触やカラオケの薄暗い中でパフェを頬張る口や、ライブで拳を突き上げた時の柔らかそうな二の腕が瞬間的に脳裏に浮かぶ。そして、なぜか布団に寝転がる素肌のままの優里ちゃんが頬を紅潮させて俺の名を呼ぶところまで頭に浮かんだ。


 バカバカまてまて落ち着け俺よ。けしからん妄想を浮かべるなよ、一旦冷静になれ。考えろ早すぎるって。


 そうだ、そうだよ。むしろ逆の可能性のが高いのではないか?


 つまり、俺のことなんか一切意識していないからこそ、気軽に家に誘ったのではないか?


 ただの仲の良い友人の一人として、親切な優里ちゃんは終電を無くした俺を家に呼んでくれただけで、他意など一切ないのではなかろうか?


 優里ちゃんは明るいし誰にでも優しい。だから、全然俺に対してそんな特別な感情など持ってないのだ。そうに決まっている。

 いくら家に呼ばれたからと言って、そんな破廉恥なことを想像するなんて失礼だ。

 俺は彼女の優しさを勘違いしてはならん。俺は極めて紳士的な行動を取らねばならぬのではないか。


「あの先輩? 聞いてます?」


 優里ちゃんが俺を見上げている。ちょっと待て考えさせてくれ。


 俺よ、常識的に考えろ。お付き合いしてない男女が一夜を共にするなんて、けしからんではないか。俺は常識ある紳士でありたい。


 よし、決めた。


 断ろう。


 一回断ろう。やんわり断ろう。「ダメだよ」とは一度言ってみよう。弱めに否定してみよう。


「あ、あのさ。優里ちゃん一人暮らしだろ? 男を部屋に呼ぶなんて、そのアレだよ。なんていうか、アレだよ」


「あれ、言ってませんでしたっけ? わたし、おばあちゃんと暮らしてるんですよ」


 おばあちゃんと?

 つまり?


「わたし、おばあちゃんの部屋で寝るんで、わたしの部屋で寝て大丈夫ですよっ」


 なるほど、とんだ早とちりだったわけか。ちょっとだけドキドキしたな。ちょっとだけ。


「あ、もしかして。変なこと考えてました?」


「かかかかかかんがえてないよっ!!!」


 顔が熱くなるのを感じながら、俺はそっぽをむいた。


 優里ちゃんはクスッと笑って鼻歌混じりに窓の外に視線を移した。


 車窓にはすまし顔の優里ちゃんの横で顔を真っ赤にした間抜けな俺が写っていた。




 電車を降り、優里ちゃんの家へ向かう。途中、コンビニで少しお酒を買う。


「せっかくですから、もうちょっと飲みましょうよ」と優里ちゃんの方が積極的にカゴに缶チューハイを入れていた。あと、日本酒も。まだ飲むのか。優里ちゃんは酒豪だな。


 人気のない住宅街に入り、たどり着いたのは清潔感のあるマンション。

 オートロックでエントランスも綺麗。我がボロアパートとは雲泥の差である。


「ここがわたしの部屋です。どうぞー」


 優里ちゃんに促され、俺は緊張しながら玄関に足を踏み入れた。

 可愛らしいサンダルと、スニーカー。靴棚の上にはキーホルダーやガチャガチャとかであるような小さな猫の置物が並べられており、女の子の部屋に来たんだな、という実感がふつふつと湧いてくる。


 玄関から入って左右に部屋がある。


「こっちがおばあちゃんの部屋です」


 廊下の明かりをつけた優里ちゃんが片方の扉をそっと開けて「ただいま」と静かに声をかけた。

そして、少しの間があって、「あれ?」と声を大きくした。


「……先輩。おばあちゃん、いません」


 振り向いて、優里ちゃんはいたずらっ子みたいに笑った。


「どういうこと?」


「よくあるんですけど、取引先さんと飲んでるか、帰るのが面倒になってホテルを取ってるか、そんな感じだと思います」


 おばあちゃんと聞いていたから、勝手に隠居の身かと思っていたが、どうやらバリバリ働いているタイプのおばあさんだったらしい。


「まだまだ現役なんですよ。お金が大好きで。困っちゃいますよね」


 眉を下げて笑みを浮かべる優里ちゃん。

 困っちゃうのは良いけど、待てよ。おばあさんがいらっしゃらないということはつまり、二人っきりってこと?


 優里ちゃんと俺が。


 若い男と女が一つ屋根の下で?


 一気に緊張感が増したの俺であった。

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