第12話 色白幸薄雪女の恋愛相談を受けることになったんだけど俺は今まで恋人がいたことねえからアドバイスなんかできっこないんだけどどうすんのさ。

「わたしは東北の小さな町で生まれました。自然が豊かで冬は雪が何メートルも積もるような地域でした。さっきも言ったようにわたしの家系は雪女の血を引いた一族で、生まれてくる女の子には雪女の特性が受け継がれます。私も例外ではなく、幼い頃、祖母から自分が雪女の子孫であることや特殊な能力があることを教えられました。そして、その能力は決して人前では使っていけないこと、自分が雪女の子孫であるということは誰にも明かしてはいけないことをきつく言われました。と言っても、わたしが受け継いだ能力は冷たい息を吐くことくらいでしたので、祖母の教えを守ることは難しいことではありませんでしたけれど」


 ユキさんの声は小さい。けれど、透き通っていてひんやりと心地の良い美しい声だ。

 俺は相槌を打ちながら流していたレコードの音量を少し下げた。 


「わたしは自分が雪女の子孫であるということも忘れるくらい、普通に暮らしていました。でも、大人になるにつれて、自分の体に異変を感じるようになったんです。どんなに気温が低くても寒いと感じることがなくなったんです。氷点下になってもシャツ一枚で出歩けられるくらいに。高校生の頃、寝坊したわたしは慌てるあまり、吹雪の中、コートも着ないで学校へ行ってしまいました。その時はみんなに驚かれて、誤魔化すのに苦労しました」


 ユキさんは小さく笑みをこぼした。まるで少女のようなあどけない笑顔だった。

 

「でも、逆に気温が高いと目眩がして体調が悪くなるようになったんです。雪女の性質が大人になるにつれて現れて来たんだと思います」

 

「そうなると、夏なんか大変なんじゃないですか?」

 

「地元で暮らしている分には、なんとかやり過ごすことができました。夏場でも気温は低い方だったので。でも、この体質のせいで諦めたこともあります。本当は東京の大学に進みたかったのですが、連日三〇度を超すような東京の夏はきっと耐えられないと思い、泣く泣く諦めました」


 雪女でなくても最近の夏はつらい。地球温暖化の影響だかなんだか知らないが、俺だって夏はどこか涼しいところに逃げ出したくなる。


「ですが、わたしは人混みやあまり騒がしいのは得意ではないので、東北の街で一生を過ごすのは性に合っていると思いました。いい街でしたし、友人にも恵まれましたので。そして、地元で進学した大学で知り合った男性と親しくなり、お付き合いを始めたんです」


 ユキさんが右手の薬指にはめられた指輪を無意識にさすったの見て、この指輪はその人にもらった物なのだと分かった。ちくしょう。こんな美人とお付き合いができるなんて羨ましい。


「彼とは大学の卒業を機に同棲を始めました。自分で言うのもなんですけど、かなり相性はよかったと思います。喧嘩という喧嘩をしたこともなかったですし」

 

 なんだ、惚気か。忌々しい。……と思いながらも悟られないように微笑んで相槌を打つ。俺は恋人なんかいたことがないから、ちょっぴり惨めだ。


「でも、一つだけ気がかりがあったんです。彼は東京に憧れていました。ゆくゆくは東京で暮らしたいと言い、東京に本社がある会社に入ったのです。彼が東京への憧れを口に出すたびに、わたしは東京へは行けないと思いましたが、理由を問われるのが怖くて、何も言えませんでした。そして、彼と同棲して一年。ついに彼は東京へ転勤を命じられてしまったんです。彼は喜びました。東京に一緒に行こう、とわたしに言いました。そして、プロポーズもしてくれたんです。けど、わたしは雪女です。暑さが厳しい都会へはとても行けません。彼はまさかわたしが東京には行きたくない、と言うとは思わなかったようで、そのことで初めて口論になりました。初めての喧嘩でした。彼はどうしてわたしが東京に行きたくないのか、問いただしました。何かを隠していると気がついていたと思います。でも、わたしは自分が雪女であるということは言えません。結局話し合いは平行線のまま、二人とも引っ込みがつかなくなって、彼とは和解ができないまま、喧嘩別れのような形になってしまい、彼はひとり東京に行きました」


 ユキさんは俯いて小さく唇を噛んだ。幸せな惚気話かと思ったが、違ったようだ。そうか、ユキさんは失恋話を聞いてもらいたかったのか。雪女であるが故の失恋だ。普通の人間には話せない。だから、この店に来たんだな。

 でも、そんな風に喧嘩になってしまうくらいなら、自分が雪女であることを明かしてしまっても良かったのではないか。

 理解のある人だったら、正体を明かしたって変わらずに付き合ってくれるのではないか?


「打ち明けられたらどんなに良いでしょうね。でも、そうもいかないんです。雪女には掟があるのです」


 ユキさんは肩を抱くようにして小さい声で語り始めた。


「わたしの先祖の雪女は険しい雪山に住む妖の一族です。人間とは関わりを持たずに暮らしていました。人間と妖は共存できない。それが古くからの常識だったんです。けれど、ある時、人間と恋に落ちた雪女が現れました。それが曽祖母ひいおばあちゃんです。

 曽祖母ひいおばあちゃんは雪山で遭難していた木こりと出会い、恋に落ちてしまいました。

 曽祖母ちゃんは一族の長に人間と暮らしたいと懇願しました。長は絶対に自分の正体を明かさないことを条件に人間の村に行くことを許可しました。もし、自分が雪女だと知られたら、相手を氷漬けにする事を曽祖母ちゃんに誓わせて。曽祖母ちゃんは人間のフリをして人里に降り、その木こりと結婚し、子をもうけました。ですが、幸せな日々は長く続きませんでした。大きな問題が曽祖母ちゃんの前に立ちはだかったのです」


 店の空気が重くなる。いつの間にかレコードの音が鳴り止んでいた。レコードを裏返し、再び針を落とす。


「……雪女は人間に比べてとても長生きする生き物だったんです。何年経っても曽祖母ちゃんは若く美しいままでした。木こりの男は次第に疑問を持つようになり、そして、ついに尋ねてしまったのです。お前は雪山に住むという雪女なのではないか、自分が遭難した日に助けてくれた雪女はお前だったんじゃないか、と。掟に従えば正体がバレてしまっては、木こりを氷漬けにしなければなりません。でも、曽祖母ちゃんは自分が愛した人を殺すことができませんでした。掟を破った曽祖母ちゃんは一族の怒りを買い、呪いをかけられ、雪が溶けるように消えてしまいました。木こりは死を免れたものの、曽祖母ちゃんの記憶をすべて失ったのです」


 小さい頃、御伽噺で聞いた雪女と良く似た話だった。いや、もっと悲しい話だ。


「話はこれで終わりません。二人の間に生まれた子供、つまりはわたしの祖母やその姉妹達にも雪女の運命が呪いのように付きまとっているのです」


「もしかして、それは……」


「はい。曽祖母ちゃんと同じように、愛する人に自分の正体を知られたら、自分は死に、相手は記憶をすべて失うというものです。だから、好きな人には絶対に正体を知られるわけにはいかないのです。」


 なんてやるせない話なんだ。愛する人ができても、ずっと秘密を抱えて生きていかなければならないのか。


「だから彼に本当のことは話せなかったんですね」


 ユキさんは沈痛な眼差しで頷いた。


「それで、東京に行った彼とはどうなったんですか?」


「東京に行った彼から、もう一度、話し合いたい。できればやり直したいと連絡をもらいました。わたしも同じことを思っていました。わたしにとって彼はすべてだったんです。一人でいると彼のことばかり考えてしまって、何をしていても集中できず、食事を取ることも億劫で、仕事でも簡単なミスをして叱られたりしました。こんなに辛い思いをするなら、どんなに環境が合わなくても、東京で一緒に暮らそう。そう思って、意を決して東京に来ました。でも……」


 そこまで言ってユキさんは口ごもる。


「やっぱり東京の気候は雪女のわたしには厳しすぎました。彼と再会する約束をした日は五月だというのに三〇度を超す真夏日でした。わたしは電車の中で気を失って倒れてしまい病院に運ばれました。お医者さんに見てもらっても体調不良の原因はわかるわけもなく、治療する術もなく。気温が下がった日に体調も良くなって退院をしたのですが、東京で暮らすのは無理だと痛感しました」


 ユキさんは俯いた。指輪を隠すようにそっと手をさする。


「だから、もう彼のことは諦めて、地元に帰ろうと決めたんです。わたしは東京には住めないし、本当のことを彼に言えるわけでもない。彼に夢を捨ててあの小さな町に帰って欲しいとも言えない。誰にも相談も愚痴も言えない。そんな時に、ザルフェルさんにこのお店のことを聞いたんです」


 ザルフェルの紹介で来たと言っていたのは、そういう事情があったのか。それにしても、彼女はザルフェルとはどういう関係なのだろう。雪女と魔境の住人とは接点がなさそうだけど。


「ザルフェルさんは曽祖母ひいおばあちゃんの友人だったそうです。二人の関係は詳しくは知りませんが、人間と妖との間に生まれたおばあちゃんやその孫、そしてわたしのこともずっと気にかけてくれたのがザルフェルさんなんです」


「ザルフェルさんには相談しなかったんですか?」


「しました。けれど、自分は人間の考えは分からないから、迂闊なことは言えないと言われて……」


 見た目は恐ろしいが、ザルフェルはとても理性的で紳士的だったし、彼が憶測で物を言わないのはわかる気がする。そうか、それで人間の俺を紹介したというわけか。

 

「一人で思いつめてないで、誰かに愚痴でもなんでもぶつけた方がいいと言われて。お前みたいな根暗にぴったりなやつがいるなんて、ザルフェルさんに紹介されて来たんです。ごめんなさい。初対面なのに、こんな話をしてしまって」


 きゅっと唇を結んだユキさんは俺を見上げた。少し目が潤んでいる。サッと目元を拭って照れくさそうな笑顔を見せた。

 俺は困ってしまった。何を隠そう女性と付き合ったことのない俺なのである。こんな真面目な話をされても、うまいアドバイスなんてできない。だって経験がないんだもん。

 こういう時にこそ、経験豊富そうな天さんやタマさんがいてくれたらいいのに。全く役に立たないヒト達だよ。


「でも、話をしたら少し気分が晴れました。今までずーっと誰にもこんな話はできなかったので」


 けれど、ユキさんの表情は店に入った時よりも、明らかに明るくなっていた。

 お酒のせいか少し頬も赤くなっている。

 そうか、別に俺が何か言う必要はないのか。今まで胸の内に溜め込んでいたものを吐き出せただけで、彼女は満足なのかもしれない。


「わたしは田舎に帰ります。彼の幸せを願って静かに暮らして行こうと思います」


 それが彼女の答えのようだった。

 だけど、俺はちょっとだけ、引っかかっていた。

 彼女は自分で考えて結論を出したようだけど、それは言ってみれば彼女が自分の胸の中だけで煮詰めた答えだ。自分だけで考え自分だけで結論つけた答えは、強固に見えて意外と脆かったりする。冷凍庫の中では硬い氷も外に出せば、すぐ溶けてしまうものだ。


 だって、一緒に暮らせないからって別れる必要がどこにあるのだろう。


「ユキさん。本当にそれで良いんですか?」


 恋人が出来たことのない俺がこんなこと言うのはおこがましいけれど、だからこそ、理想論くらいはカッコつけて言いたい。


「人間同士だって全部を全部打ち明けて付き合ってるカップルっていないと思うんです。いろんな人がいろんな事情を抱えて生きているし、目に見えない病気とか障害とか、そういうのを抱えて生きてる人もいっぱいいるじゃないですか。でも、そんな人だって幸せを掴むことを諦めなくたっていいですよね。雪女の子孫だって妖だって同じだと思います。自分の正体を明かさずとも、一緒に暮らせなくとも、別れる必要はないと思います。東京には住めないって正直に言ってみたらどうですか。体調のことはお医者さんにも原因不明と言われてるんですから、そういう特殊な体質で、気温が高いところは無理だって話をしてみたらどうですか? 彼氏さんも理解してくれますよ」


「え……無理ですよ。そんなこと言ったら雪女じゃないかと勘繰られてしまいます」


 そうだろうか。いや、むしろ暑いところが苦手だと聴いて、あいつは雪女かもしれない、と考える人間がこの世にどれだけいるだろうか。俺だって喋る猫に自らを招き猫だと言われても、微妙に信じていなかったりするぞ。


「雪女が本当にいるなんて、この現代社会で考えている人なんかいないですよ」


「そ、そうでしょうか?」


 ユキさんは自分が雪女で、それを人にバレてはいけないと考えすぎていたから思考が極端になっていたんだ。誰にも相談できなかったから、自分の中だけで不安が大きくなって、誰も気にしないようなことを心配していたんだ。


「でも、一緒に暮らせなかったら、結婚なんてできないでしょ?」


「夫婦の形だって今は様々です。単身赴任の旦那さんがいる家庭もあれば、別居しながらも仲良く暮らしてる夫婦もいます。一緒に暮らせないからって、それが別れる理由にはならないですよ。せっかくお互いに好きなのに別れるのはもったいないですよ。ちなみにユキさんは何の仕事をしてるんですか?」


「web系のデザインをしてます」


「なら、今時リモートワークとかもできるじゃないですか。夏の間は東北で、気温が下がったら東京に出て彼氏さんと一緒に暮らしたりもできるし、テレビ電話だってなんだってコミュニケーションを取る方法はいくらでもあるでしょう」

 

「……確かにうちの会社でも育休でリモートワークを活用してる人もいますね」


「でしょう? 一緒に暮らせないからって別れる必要はないんじゃないですかね。雪女だってことは隠さなきゃいけないのかもしれませんけど、だからって一族の呪いみたいな呪縛に縛られる必要はないんです。大丈夫ですよ」


「……そうですね、うん。そうかもしれない」


 自分に言い聞かすように、ユキさんは二度三度と頷いた。


「もう一度、彼と話してみます。ありがとうございました。わたし、古い教えに縛られてたのかもしれないですね」


 ユキさんは胸のつかえが取れたような晴れやかな表情になった。こんな笑顔の素敵な東北美人と付き合えている彼氏は幸せ者だろう。もし、彼女と別れるって言うなら、俺が彼氏に立候補したいくらいだぜ。

 ……なんて、思っても口には出せないけどね。


「今日、ここに来て良かった。藪坂さんのおかげで心のもやが晴れた気がします。何かお礼をさせていただきたいですけど……そうだ!」


 ユキさんが手を叩いた。


「冷蔵庫、壊れているって言いましたよね? わたしに見せてもらえませんか?」


「冷蔵庫を?」


「はい」


 軽やかに立ち上がったユキさんはカウンターの奥に鎮座する壊れかけたオンボロ冷蔵庫の前にやってきた。


「機械に強いんですか? 俺も見てみたんですけど、古いタイプで全然直せなかったんです」


「いえ。機械はあまり強くありません。でも、わたしにはこれがあります」


 ユキさんは流れる髪を耳にかけ身をかがめた。そして瞳を閉じて、冷蔵庫の扉にそっと口づけをした。

 その瞬間、冷蔵庫の白いボディがきらりと輝き、氷を弾くような透明な音が響いた。


「もしかして、今のは……」

「ええ。確かめてみてください」


 微笑んで立ち上がったユキさんが冷蔵庫の前から離れる。入れ替える形で冷蔵庫の前に立ち扉を開けてみる。


「……うわ! つめたっ! すごい! 冷えてます」

 

 一瞬で冷蔵庫の中がひんやりと冷気をまとっていた。


「雪女ですから。本気でやりましたんで、一年くらいは保つと思いますよ」


 クスッと笑って人差し指を立てるユキさん。すげえ。やっぱり雪女だ。

 しかもアレじゃね? これ、電気代もかからないパターンじゃね?


「うふふ。意外とちゃっかりしてるんですね。そうです。コンセント抜いておいて大丈夫ですよ」


 すごい、めちゃくちゃ便利な能力じゃないか。


「人前では使えないので、宝の持ち腐れですけどね」


 ユキさんは微笑んだ。


「ユキさん、ありがとうございます! これで冷たいものを注文されるたびにビクビクしなくてすみます!」


 そんなに困っていたんですか、とユキさんに笑われた。





「……そろそろ行きます。また、お話しに来てもいいですか」


 その後、少し喋ってユキさんは席を立った。


「ええ。是非いらっしゃってください。今後はちゃんとうちのマスターにも紹介したいんで」


 でも、これから暑い時期が始まるから、ユキさんが来れるのは夏が終わったらだろうか。


「それまで、お店が無くならないようにしっかりしてくださいね」


 そうだ。忘れていた。結局それだ。お金を稼がねば来月には店を追い出されるのだ。


「頑張ります」と苦笑いしながら、カウンターを出て、ユキさんを見送りに出る。

 ビルを降りると夜風が冷たく首を竦めた。


「では、失礼します」


 ユキさんは頭を下げると冷たい夜風の中、気持ちよさそうに歩いて行った。


 なんだか俺も気持ちがよかった。誰かに感謝されるのがとても久しぶりのような気がした。

 そうだよな。誰かに感謝されるって気持ちがいいものだよな。怒られてばかりのサラリーマンの頃には得られなかった心地よさに、足取りも軽く店に戻った。


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