第11話 今日のお客さんは色白幸薄系美女で正体は雪女でしかもなんと何故だか知らんが俺を尋ねて来たんだって言うからこれもしかして恋の予感?

 夕方六時。開店時間。空はまだ明るいが、今日は妙に冷える。季節外れの寒波が来ているとスマホのニュースが教えてくれた。天気が悪いと客足が鈍るのは高校時代のファミレスバイトで経験していたが、この店はどうだろうか。


 ベランダのドアを閉めに外に出ると、息が白くて驚いた。もう五月も末だぞ?

 これだけ冷えるならおしぼりも温めた方がいいな。キッチン脇のタオルウォーマーのスイッチをいれる。冷蔵庫は壊れているのに、おしぼりを温める機械は万全の態勢で完備されているのが、ある意味この店らしい。使い方だけは教えてもらっていたが、これから夏になるのに使う機会はないと思っていたが。


 お客さんが来たのおしぼりが温まった頃だった  

 重たい鉄扉が開けられて、若い女性が顔を覗かせた。



「あの……。ごめんください。お店、やってますか?」


 透明感のある声。おどおどした様子で中の様子を伺っている。


「やってますよ。どうぞ」


 微笑むと女性は恐る恐るといった感じで、お店に入ってきた。


 さて、今回はどんな属性のお客さんだろう。

 さっと彼女の全身を見る。清楚なロング丈のワンピースに薄手のカーディガンを羽織っている。今日みたいな季節外れの日にその格好は寒そうだけど、当人はあまり気にしていないようだ。

 肌は透き通るように白く、艶のある黒髪が背中まで伸びている。年齢は俺と同じくらいか。タマさんのように人に化けているだけかもしれないが、とても美人だ。


 だけど、美人ではあるけれど、どこか幸の薄そうな物憂げな雰囲気を纏っている。首元には小さな宝石のついたネックレス。右手の薬指にはきらりと光る指輪があった。

 彼女は席に座っても俯きがちで、それが緊張感から漂ってくるものだというのはこちらからでもわかった。

 天狗がやっている店に見知らぬ人間がいるので、少し戸惑ってしているのかもしれない。


 席につく彼女に微笑みかけて会釈をして、先回りに自己紹介をしようとすると、女性の方が先に口を開いた。


「あの……あなたが藪坂さんですか?」 


 まさかの言葉に驚いた。


「そうですが、どうして俺の名を?」


「ザルフェルさんに教えてもらって来ました……。人間の方が働いているお店があると聞いて……」


 あの魔界の住人に聞いたと?

 

「はい。そうです……」


 俺が温かいおしぼりを渡そうとすると、女性は首を横に振った。


「あの……すみません。温かいものが苦手で……。冷たいおしぼりってありますか?」

 

 こんなに冷えた日に珍しい。冷たい方のおしぼりを取り出して渡す。

 それにしても、ザルフェルのご紹介でこんな美人が来るとは意外だ。魔境のヒトなのだろうか?


「突然押しかけて、こんなことを伺うのも申し訳ないのですが、お聞きしたいことがあるんです。藪坂さんは招き猫のタマさんと同居されてらっしゃるんですか?」


 おしぼりを受け取った女性は、思いつめた口調で俺に訊いた。


「ええ。同居っていうか、居ついちゃったっていうか、勝手に上がり込んだっていうか、そんな感じですけど……」


「そうなんですか」


 安堵の息を吐き、肩の力が抜けたような声になった。一体なんだろう。

 ともかく注文を聞こう。話は後だ。


「お飲み物はいかがいたしますか?」


 尋ねると女性は顔を上げドリンク棚を眺めた。


「そうですね……、冷酒はありますか?」


 冷酒と来たか。参ったな。

 冷酒ってのが冷蔵庫で冷やした酒で、常温で提供する『冷や』とは違うってことは、なんとなく知っているけれど。


「あの、すみません。ちょっと今、冷蔵庫が調子悪くて、冷えてる日本酒はないんです……」


 言い訳がましく「今日、急に調子が悪くなっちゃって……」などと少々話を盛ってしまったが、冷凍庫はちゃんと動いていること、氷はたくさんあることを伝えた。


「日本酒だとなにがありますか?」


 俺は慌ててカウンターの下に仕込んだメモを見た。店に置いてある酒を全部メモしておいたのだ。日本酒、ウイスキー、ブランデー、テキーラ、ウオッカに、リキュール、とりあえずあるものは全部メモしてある。正直、飲んだこともないものも多々あるのだが、「わからん時はお客さんに聞きゃええでー。飲みたい酒のことくらい自分でわかるやろ」と天さんに言われている。本当、テキトーだ。

 日本酒は、えーっと。冥鏡紫水、厄介山、という銘柄が置いてあるようだ。


「冥鏡紫水をください。常温で構いません。自分で冷やしますから」


 かしこまりました、と棚から一升瓶を取り出す。せっかく来てくれたお客さんなのに、希望のものを出せないのは申し訳ない。本当に冷蔵庫だけでも早くなんとかしないと。

 謝罪しつつ、瓶の口を開け、グラスに注ぐ。……って今、彼女は自分で冷やすと言ったか?


「ありがとうございます」と頭を下げた彼女は、細い手でグラスを持ち上げると、目を閉じた。そして薄い唇をつんと尖らせると、グラスに口づけをした。すると、彼女の持つグラスが白く凍り始めた。


「す、すごい。もしかして今ので冷えたんですか?」

 

「はい。わたしの名前は音無ユキ。実は……わたし、雪女なんです」


 なるほど。言われてみれば、冷たいおしぼりを欲しがったり、寒い日に薄手の服装だったり、白い肌に物憂げな表情だったり、雪女と言われると合点がいく。


「驚かないんですね」


 意外そうに彼女は微笑んだ。全身刺青の天狗やらRPGの中ボスみたいな悪魔なんかと比べれば、なんてことはない。


「ふふふ。そうですね。わたしも初めてザルフェルさんを見た時は驚きました」


 ユキさんは歌う鳥のような声で笑った。


「雪女さんと言っても人間とそう変わらない姿なんですね」


「わたしは純血の雪女ではないんです。曽祖母 ひいおばあちゃんが雪女で、わたしは雪女の子孫と言った方が正確ですね」


 そういえば、タマさんも人間との間に子供がいるとか言っていたな。意外と世の中にはそういう妖と人間の混血が人知れず存在しているのかもしれない。


「でも、そのことは人間には秘密にしているんです。こうして自分の秘密を人間の方に打ち明けるのは初めてで……」


 それで店に入って来てからソワソワしていたのか。でも、なんで初対面の俺にそんな重大なことを打ち明けたのだろう。


「それは、あなたが人間でありながら妖や異世界の住人とも関係のある人だからです。あの有名な招き猫のタマさんと一緒に暮らしてらっしゃるんですよね。ザルフェルさんにも、タマさんに認められているのだから藪坂さんは信用できる人だとお墨付きをもらっていて」


 タマさんって有名人(猫)だったのか。確かにザルフェルもミカさんも一目置いている感はあったな。


「うーん、認められているっていうのかなぁ、振り回されてるだけですけど」


 苦笑するしかない。


「藪坂さんはどうして妖のお店で働くことにしたんですか。妖という存在は恐ろしくはなかったんですか?」


 不思議に思うのも無理はない。俺自身、どうしてこうなったのか、いまだによくわかっていない。成り行きってやつだ。けど、自分の行動の根底には、新卒で入った会社で役に立てなかったことは大きいと思う。人間社会に適合できなかったから、というネガティブな理由は認めたくないが、大きいと思う。


 俺はタマさんとの出会いや、この店で働くことになった経緯をユキさんに話した。妖やら人外やらの存在を知ったのもつい先日だということも。

 ユキさんは俺の目を見ながら、時折微笑み、時折頷きながら、真剣に話を聞いてくれた。


「こうして話していても、藪坂さんが優しい人だとわかります。勇気を出して訪ねて来てよかった」


 こんな美人に言われると、なんだか全身がむず痒くなってしまう。


「社会に適合できなかっただけの人間ですけどね」


「そんなことありませんよ。わたしだって半妖です。人間社会にも妖の社会にも適応できない中途半端な存在です。似たもの同士かもしれませんね」


 微笑む表情にどきりとする。もしかして、良い雰囲気ってやつなのではないか?

 似たもの同士の二人が互いの心の傷を舐め合い、やがて惹かれあっていく。まるでドラマのような恋が始まるのではないか?

 ……いや待て、俺には優里ちゃんがいる。こんな美人に似たもの同士と言われたからと言って浮かれてはならない。

 

「もしよければ、わたしの話も聞いて頂けますか?」


 俺は頷いた。次はユキさんが身の上話をする番か。これはあれだな。心の距離が近づいてしまうかもしれないぞ。

 表情は変えず、けど内心ドギマギしている俺に気づかないユキさんは俯きがちに「何からお話しすればいいか……」と、指先に光る指輪をさすった。


 あ。薬指に指輪をしているじゃないか。ってことは、彼女には恋人がいるってことじゃないか。


 意気消沈。勝手に舞い上がって恥ずかしい。とりあえず心を静めて彼女の話に耳を傾けることにした。



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