第10話 一ヶ月以内に一〇〇万円をオーナーのところに持っていかないと店を追い出されるってのに刺青天狗はぜんぜん危機感がないんだけどどうすんの。

 模様替えが終わった天狗バーで、俺はカウンターに頬杖をついていた。広くなった店内では天さんとミカさんがくつろいでいた。


「なるほどな。そんなことがあったんかいな。篤はホンマおもろいなぁ」


 俺の話を聞いた天さんは声を上げて笑った。面白さは微塵もない。完全に騙されただけだ。

 

「騙してなんかいないわよー。あっくんが勝手に勘違いしただけじゃない」


 ニコニコ顔のミカさん。このラブサイコめ。

 ぜんぜん納得いかないぞ。恋の天使に恋愛をサポートされるって聞けば、誰だって恋愛成就までの道のりを支援してくれると思うではないか。


「世の中、美味しいだけの話があるわけないじゃない。でも、そんなにネガティブにならなくても平気よ。私だって、契約してくれた人には幸せになってほしいもの。ちゃんとあっくんの恋が成就するように頑張っちゃうから期待して」


 憮然とした態度をとる俺の手を握り、「ね?」と顔を寄せてくる。美人はずるい。


「でも、面白いもんやな。契約書ってもんは口約束じゃ信用できん、なんて言って人間が作ったもんやのに、結局その契約書をよく読まないでトラブルになったりするんやもんな。ホンマ人間って面白いわな。オレらみたいなもんとは考え方が違うんやろね」


 そりゃ、そうだろう。ってか、天さん達のような人外は何を考えてるのかすら皆目見当もつかないが。


「さて。模様替えも終わったことだし、そろそろ行かないとね。あっくん。また来るわね」


 ミカさんは人の気なんか知らないで、素敵な笑顔を振りまいて店を出ていく。


「今日は世話になったなぁ。ほな、外まで送ってくで」


 天さんが一緒に店を出ていくのを見送り、俺はため息をつく。


 模様替えは思ったよりもすぐに完了した。ミカさんは不思議な魔法で家具をスイスイ運んでくれたのだ。天さんは「毎度思うけど、ミカの力ってすごいんよなぁ」と感心していたものの、彼自身は特になにを手伝ってくれるわけでもなかった。


 バーカウンターと棚を移動して、天さんがごろ寝するのに使っていたソファも移動して、物置と化していたダイニングテーブルをその前に置いた。天板がガラスのテーブルで、なかなかオシャレだ。これで店内はだいぶ広くなった。客が増えたら大変なのは俺なのだが。


 あとはベランダを掃除したいところだが、それは後日にしよう。

 天さんはいらないものをベランダに放っておく癖があるみたいで、焦げた鍋やら、枯れた観葉植物が無造作に置かれている。片付けたいが、あれらを持って急階段を上り下りするのは骨が折れそうだ。どうせならミカさんに魔法でささっとやって貰えばよかった。


 ……って、また天さんに逃げられた!



 くそ。あの天狗め。ほんとに責任感が無いな。呆れ果てる。もう無理。一ヶ月後には路頭に迷うがいいさ。といっても、能天気な天さんのことだから、全然気にせずのらりくらり生きていきそうだけど。


 そんなことを考えていると、ぎぎぎ、と鉄扉が開いた。

 天さんが戻ってきたのかと思い、顔をあげると、現れたのは身なりの綺麗な老女。この店のオーナーの堂島さんだった。


「あら、藪坂さん。こんにちは。今日もひとり? 私の忠告は聞いてもらえなかったようね」


 突き刺すような視線。失望と侮蔑が混じったような、そんな冷たい瞳に、辞めた会社の上司の姿が重なって、心臓が跳ねる。


「あ……。いらっしゃいませ」


 できるだけ愛想よく微笑んで頭を下げる。

 今日の彼女の出で立ちはベージュのブラウスにゆったりとしたパンツ。今日はひらひらと大きなつばがついた帽子を被っている。指には大きな宝石のついた指輪が二つ三つ嵌められている。

 オーナーは広くなった店内をぐるりと見渡した。


「模様替えしたのね」


「ええ。席を増やしてお客さんが入れば、多少売上も増えると思いまして……」


「ま、無駄な足掻きだとは思うけど、頑張る姿勢は評価するわ。それで、天宮司さんは今日もいないのかしら?」

 

「さっきまでいたんですけど、またどっか行ってしまいました」


「まったく。よくあなたも愛想を尽かさないわね」


 おっしゃる通りです。

 だけど、どうしてだろう。会社勤めの時にも、天さんみたいに嫌な仕事を俺に押し付けて、すぐに逃げる先輩もいた。その人のことはとても苦手で、できるだけ関わりたくなかった。天さんだって似たようなもので、いいかげんなのだけど、それでもなぜか会社の先輩のようには嫌いになれなかった。


「それは、彼に人の心がないからよ。不真面目な生活を送って、遊び半分でお店をやって、これっぽっちも責任感を持たず、楽しければいいやという堕落した刹那主義で生きている妖だからよ。自分にも他人にも何も望まず、向上心もない。クズね。でも、だからこそ、時にそんな生き方をしている彼らが羨ましく見えてしまうことがあるの。若さゆえの過ちというやつね」


 カウンターに腰掛けたオーナーは遠い目をした。


「私にもそんな時期があった。でも、それで痛い目をみたわ。きっとあなたもそう。後になって後悔するわ」


 オーナーは目を細め、自嘲気味なため息をついた。

 その時、鉄扉が開いた。


「なんか今日は妙に冷えるな。もうすぐ夏やってのに……ぬわ!? 出た!」


 刺青だらけの腕をさすりながら入ってきた天さんはカウンターに腰掛けるオーナーに気づき、飛び退いた。


「なによ、あなた。妖怪にでも会ったみたいな態度ね」


「おお、びっくりした。心臓が止まるかと思ったわ」


 胸を撫で下ろしながら扉を閉め、オーナーの前に立った天さんは「で、今日は何の用や?」と腕を組んだ。


「最後通告よ。あなたみたいな適当な人に書面でいくら言ってもはぐらかされそうだから。今月の売上金額、一〇〇万円を達成できなかったら、この店から出て行ってもらいます」


「わぁっとるわ。男に二言は無いで」


 プイっと横を向いて、天さんは吐き捨てた。


「ふふ。その言葉が聞ければよかったわ。では、一ヶ月後、きちんと一〇〇万円を持って私の事務所に来て頂戴ね」


「ああ。一〇〇万持ってお前んとこに行きゃええんやろ?」


「ふふ、できるならね」


「できるわ。もし、出来んかったらすぐに出てったるわ」


「随分と自信があるようね。結構。一ヶ月後が楽しみだわ。ではご機嫌よう。篤さんもこんなヒトの下で働くのは大変でしょうけど一ヶ月の辛抱よ」


 唇の端を歪め、冷笑するとオーナーは軽やかに店を出て行った。颯爽と階段を降りていく姿を閉まるドアの隙間から見届ける。


「天さん、あんなにあっさり了解しちゃっていいんですか。頭を下げればもう少し猶予期間がもらえたかもしれないじゃないですか」


「ドアホ。なんでオレが頭下げなあかんねん。これで、ええんや。言質は取った」


「……どういうことですか?」


「ふふふ。来月までに一〇〇万を持ってあいつの事務所に行けばいいだけの話なら、別にこの店の売上で金を用意せんでもええっちゅうことや!」


 したり顔で天さんは頷いた。どういうことだ? もしかして、天さんはこの店以外にも収入源があるというのか?


「ふっふっふ。聞きたいか? オレの天才的な案を」


 自信満々に腕を組んでいるところを見るに、なかなか良案がありそうだ。身を乗り出して天さんの言葉を待つ。


「オレが調べたところ、人間の世の中には金を貸してくれる場所があるんや。そこで一〇〇万を借りてオーナーん所に持っていけばええんや! どうや? これなら店の売上がなんぼでも店は継続できる! 完璧な計画やろ?」


 ……馬鹿だ。馬鹿だった。ちょっとでも期待した俺も含めて馬鹿だった。


「あのね、天さん。借りた金は返さなきゃいけないんですよ。どうやって返すんですか?」


「ふふふ。甘いで篤。金を貸してくれる場所はぎょうさんあるんや。別のとこから借りて返す。これを繰り返せば、永遠に金に困らないで済むんや!」


 よくもまあそんな馬鹿げたことを無垢な笑顔で言えるものだ。それは自転車操業とも呼べないお粗末な計画だ。馬鹿らしい。


「そうなん? ダメなん? 完璧な計画やと思ったんやけどな」


「その場しのぎにしかならないですよ」


 苦笑いしか出なかった。


「真面目にやるしかないですよ。ともかく頑張って働きましょう。俺もできることはしますから」


「ちぇ、いい計画だと思ったんやけどな。まあしゃあない。別の案を考えるわ」

 

 違う、そうじゃない。真っ当にこの店の売上を増やすことを考えて欲しいぞ。

 呆れながら、開店準備を進める。ミカさんがこの店のことを人外の友人に勧めてくれたらしく、もしかしたら今夜にも来てくれるらしい。冷蔵庫は相変わらず調子は悪いが、その代わりに冷凍庫で氷をたくさん作っておこう。

 準備を黙々と続けていると、天さんが突然叫んだ。

 

「そや! いいこと思いついた! これは金になるで!」


 チラリと見るだけで手は止めない。どうせロクでもないことを考えついたのだろう。聞くだけ無駄そうだけど、一応どんなことを思いついたのか尋ねる。


「話すと長くなりそうや。こういうのはスピードが大事やからな。よっしゃ、篤、今日は店、任せるで! これが成功すればこの店は安泰や!」


 パッと顔を明るくした天さんは「俺に任せとき!」と胸を叩いたかと思うと、風のように軽やかに店から出て行ってしまった。


「ちょ、ちょっと天さん!?」

 

 俺はまたしても店に一人にされてしまったのだった。


 まったく、なんてそそっかしいヒトなんだ。困ったヒトだ。

 せっかく模様替えもしたんだから、この店で売上を増やすことを考えた方がいいのにな。ともかく開店準備だけは済ませよう。


 もう天さんがいない状態も慣れ始めている俺であった。


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